令和六年 小暑
懺悔

世智辛い
梅雨はどこ
小暑_暦の上では梅雨が明け夏の暑さがやって来る頃。
梅雨入り前の長雨「走り梅雨」が終わって梅雨入り宣言したと思ったら、雨が止み真夏日が続く。梅雨はどこに行ってしまったか。
この暑い最中、東京都知事選が行われている。
7月7日投票の七夕決戦であるが、選挙ポスターの掲示板といい、候補者のメンツに絶望感を感じるのは私だけではあるまい。
たびたび、このコラムで書いているが、世の中で起こることは、起こした本人達だけの責任としていては無くならない。社会を構成する我々全員に責任がある。遣ってはならぬことを遣らせないという我々の持つ強い意識があれば、遣れない空気を醸し出し、呆れるようなことは起こりにくくなる。特に道徳・倫理に関する事柄においてそうであろうと感じる。道徳は風であり、その時々の我々の心根によって変化するものだろう。
都知事選であるから現実にある都の問題について各候補がどう対処していくかが討論される(はずである)。
都知事となることは出世なのだろう。出世とは仏教語「出世間」の略である。現実の世界は、山川国土の「器世間」そこに棲まう生命の「衆生世間」と精神のあり方の「五蘊(うん)世間」を合わせた「三種世間」からなり。これが「俗世間」である。この俗世間を超越した仏の境地が「出世間」となる。本来出世とは精神的な高みに達することに他ならない。
また、俗世間の凡夫の知恵を「世間智」といい「世智」とも略される。これが俗才、世渡りの才能の意味になった。計算高く抜け目がなく小賢しいことは「世智辛い」と表わす。今回の都知事選では二人の「世智辛い」女性候補が「出世」して欲しくはないのだが、叶わぬ願いのようだ。
投票日の七夕は、中国の「乞巧奠」と日本の「織姫伝説」が合わさったもので、現在でも仙台の七夕祭りのように、華やかなものである。しかし、七夕には溟い面もある。それは農耕に密接に関係がある。この時期は、田圃の草取りという厳しい農作業が続く期間でもあるので七月一日の「半夏生」には鯖や蛸、餅、卵、うどんなどを食べて体力をつけたり、適度な休養を取りながら作業をした。
もし、この時期に農家の女性が妊娠していたら、三ヶ月後の一人でも人手の必要な稲刈りという重要な時期に、働き手を失うことになるので、堕胎が行なわれていたという。
堕胎は、鬼灯の根を煎じて飲んだり、粉末にして局部に塗り込むと良いなどの迷信が信じられていた。そのため昔の農家の庭には必ず鬼灯が植えられていたという。七夕は〝堕胎の節供〟でもあったという悲しい季節でもあった。〝ほおずき〟に「鬼の灯」という字を当てるのも、なんだか納得できる気がする。
都知事選の最中というのを受けて、公共事業について伝聞ではなく私自身が体験した溟い話をひとつ。
公共事業の正体
今から三十年前ほど前、私は広告代理店を辞めて個人事務所を立ち上げた。本来やりたかった仕事、執筆と編集プロダクション業務を目指してであるが、独立時には何ひとつ出版社にツテがあったわけではない。ちと無理筋な方向転換であった。都心の真ん中にマンションを借り、自宅と事務所を併用した、その当時流行のS(mall)O(ffice)H(ome)O(ffice)というやつである。
当然、最初から編集の仕事があるわけではないので、広告代理店時代の業務と、知人から紹介されたパリの免税店の日本事務所という全く毛色の違う業務を掛け持ちして、家賃諸々のランニングコストを賄った。
続けた広告代理店の業務とは、企業や個人が金融機関などに融資を受けるため提出、あるいは企業内で検討するための事業計画書・企画書・提案書の作成であった。その当時多かったのが、バブル崩壊後塩漬けになった土地を利用した案件で提案施設としては温浴施設が多かった。
まず提案者に取材して、作りたい施設内容等のコンセプトをまとめテキストと可視化したチャートなどの図解を作成する。次に計画地の住民・市民・地方の特性や消費行動の特徴を調べた上で、商圏調査をしてターゲットの商圏範囲を設定。その上で適正な建築費と人件費・管理費などのランニングコストを算出して、最低三十年間位の基本的な損益・収支計画書を策定するといったものである。
当然、個人事務所が元請けになることはないので、下請けとしてライター、商圏調査、建築、事業計算のプロたち、時に編集系のデザイナーも加えたチームを構成して作業にあたり、バックアップデータの添付などで結構なボリュームの事業計画書を作るのである。ただし、事業を推進するか否かを検討する最初の基本計画書であるので、概ね過不足なく全体的な項目を押さえたものとなる。
この作業は、ライター・カメラマン・デザイナーでチームを構成して行なう出版系の編集作業とほとんど同じものであったので、無謀に見える方向転換をしたのであった。
大小の違いはあれ温浴施設のコストは、約10億円規模の投資となるので、企業にとっては失敗は許されず、即死活問題となるため検討を重ねることになる。その検討の元の材料となる計画書であるので、こちらもいい加減な成果物を元請けに提出できない。実現化されない案件の方が多かったが、事業化されたものの中には、現在全国に事業展開し誰もが名前を聞いたことのある温浴施設もある。
温浴施設の案件は民間企業だけでなく地方自治体のものも多かった。この公共施設の案件はどれも酷いものだった。
多くが、すでに建築するゼネコンが決まっており、通常よりも高額の建築費が計上され、基本平面図まで出来上がっている。さらには施設管理責任者の高い給料まで決定済みである。
通常初期投資の大半を占める建築費は、商圏調査から年間利用者数と利用料を慎重に策定し年間売上高を算出。利用料からそれに見合った設備を落とし込み、施設管理・運営者の人数と給料を算出してから、これらの数字をもとに初期投資の総額を決め、ここで初めて全体の建築費の予算が出るのである。その基本計画の肝腎要の部分がまるで考慮されずに、建築費と基本設計、あろうことか天下りの館長の給料が決まっている。最初の打ち合わせで絶望的な気分になるのが、このような地方自治体の案件であった。
彼らの望む基本計画書とは、議会を通すためのもっともらしい書類ワンセットである。これさえあれば共産党の反対だけで議会の承認がおり施設は作られる。
ある市の場合、臨海公園にある市営プールが老朽化したので、作り直そうとなった。プールだけならそんなに大きな資金は必要ないが、温泉が豊富に湧くその市は昔から温泉を利用した市営の温浴施設が欲しかった。そこで市が目をつけたのが国の公園整備補助金である。事業費の半分が国から支給される。しかし、公園整備事業なのでプールは良いが温浴施設では補助が出ない。そこで市は施設を室内型温泉プールとして申請した。度重なる陳情の成果もありこれが了承された。事業費の半分は老朽化した市庁舎の建て替え資金にプールしていた資金が回された。
ゼネコンも決めた、建築費も決めた、天下り人事も給料も決めた。あとは議会を通す計画書さえあれば良い。事業の整合性などどうでも良い。施設さえできれば良いのだ。きっと市民も喜ぶ。
で、私のところに元請け経由で発注が来た。こういった類の事業計画書の作成は実は至って簡単である。初期投資が決まっているならば、商圏調査など無視して事業が成立するように逆算し数字を当てはめれば良いのだ。通常、商圏の範囲は車で30分以内の圏内の人間が年に何度この施設を利用するかを設定する。それには県民性や可処分所得、競合施設の有無やその施設内容との比較などを考慮するのだが、それらを一切無視すれば済むのである。
商圏も隣の県くらいまで広げてしまい。この圏内の住民が年間複数回利用するとすれば、年間利用者数が大幅に増えて素晴らしい年間売上高になる。まるで東京ディズニーランドクラスの利用率で設定される—そう、ありえない。しかし、クライアントの市はこのありえない事業計画書を望んでいるのである。で、作った。施設もできた。今日も運営はされているが、赤字を垂れ流している。
私が関わったこんな事例は、ひとつやふたつではない。
地方経済を潤すのに、大きな施設の建築、公共工事が必要なのはわかるが、せめて運営企画は民間並みに考えてほしい。無駄に消えてしまうのは税金であるのだから。
幸にして、独立してから三年後くらいに編集の仕事が入るようになったため、需要はまだまだあったが、この温浴施設の基本計画書の仕事をせずに済むようになった。
今回のコラムは、身過ぎ世過ぎのためと言いながら、この〝世智辛い〟案件に加担してしまった私の懺悔である。
編緝子_秋山徹