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令和七年 芒種

2025年6月5日 ~ 2025年6月20日

麦も喰えない

公僕はいずこ

早乙女

芒種_入梅が近づき、種子の先にある細く尖った突起・茫(禾/のぎ)のある麦や稲などの穀物の種を蒔く時候である。

今年の入梅は全国的に6月中旬と予報され、例年よりも遅そうである。すでに入梅した奄美(5月19日)や沖縄(5月22日)も押し並べて例年よりは10日から1週間ほど遅い。

梅雨の雨が田圃に溜まり、田植えが始まる。現在は田植えも機械化が進んでいるが、そのむかしは、田植えは農家の女性・早乙女の役割であった。その年の早乙女から選ばれた娘が、菖蒲の葉を葺いた小屋でひと夜を過ごし身を清めてから、田植えは始められた。

諸説あるが、早乙女の早(さ)は[さがみ=田神]の〝さ〟とされる。ゆえに、植えられる早苗は〝さ・なえ〟で[田神の苗]。皐月は〝さ・つき〟で[田神の月]。五月雨は〝さ・み・だれ〟で[田神の水がしたたる]とある。「稲穂の国」日本において、田植えは単に稲の苗を植えるという農作業以上の意味合いがあった。

中国の古書『魏志倭人伝』には日本の呼称が書の表題にもあるように「倭/やまと」となっている。「倭」の文字は人偏に「委」で成り立つが、白川静の『字通/平凡社』によれば「委」とは、「稲魂(禾)を被って低く舞う女」を表していると云う。中国という外国から見て日本の呼称が、「倭」であったことは、日本と稲作が古(いにしえ)よりいかに深く繋がっていたかを示す。

田植えを行なう早乙女の装束は、紺絣の単(ひとえ/裏地のない着物)に、緋色の帯に襷(たすき)掛け、頭には田植え笠をかぶり、苗束から早苗を田に挿していく。一枚の田圃が終われば、次の田圃へと続き、村中の田圃の田植えを終わらせる。田植えの時だけは、年嵩のいった女性も同じ装束で乙女となる。川柳に「道問へば 一度にうごく 田植笠」とあり、田植えののどかな情景が目に浮かぶ。

早乙女は一列に並びながら、〝田植え歌〟を歌いながら苗を植えていく。これが平安時代以降に流行った〝田楽〟の元になったと伝えられる。庶民の歌であるから、素朴な内容のものが多い。

恋しのむかしや
たちもかえらぬ老いの坂
いただくゆき(雪)ましらが(真白髪)の
ながき命ぞうらみなる

白髪頭に老いさらばえた我が身の長き命を嘆いているが、自虐的ではあるものの悲壮感はない。これを早乙女が歌うのであるから、どこかユーモラスになる。歌の内容がまるで私自身のことのようで親近感が湧く。これを畦道で聞いたら微笑ましい気分となったろう。

全く微笑ましくない事象で、今、世の中に米が足りない。

来年は家畜の餌として処分される令和二年産の備蓄米の古古古米を大量に放出して、現状の米不足による価格高騰を抑えるという。以前我が家で、消費する順番を間違えて古古米を食べる羽目になったことがあるが、炊く時に日本酒を入れようが、長く浸水しようが、焼飯にしようが、どうしようもなく味が悪く、全部消費するのに時間がかかった。もちろん政府の備蓄米とは保存状態が違うので、全く一緒というわけではないだろうが、実家が米を作っている友人に聞いても、確実に不味いという。

人間が生きていくために最低限必要なことは、食べることと、寝ることである。この寝食なくして人間は生きてはいけない。国民の身体生命を守ることが国の第一義であるはずだ。日本国民の主食である米の安定供給ができない、食の安全と保障を確保できない国・政府というのは、あまりに無能で存在の価値がない。

政府の失政である減反政策に加え、農家の高齢化と後継者不足によって、今後も需要が供給を上回る状態が続く。抜本的な農政改革が必要とされるが、国が真剣に取り組む姿勢というものが見えない。国の根幹が揺らいでいるのに。

農家の後継者不足の深刻化という状況は、和装の世界でも同じ現象が起こっていて、業界が衰退の一途を辿っている。着物の世界の職人は減り続け、近い将来消滅してしまう伝統的産地が多く、養蚕農家は壊滅状態で、現在すでに純国産の絹織物は無いに等しく、もはや純国産の絹自体がほぼ皆無の状態である。それはそうである、米を作るだけでは、着物の職人でいるだけでは、蚕を育てるだけでは食っていけないのである。職業として成り立たないものに、今までの家業であったから仕事を継げとは、農家に生まれた若い人に我々も言えないのである。これには国が積極的に関わるのが義務である。これまで怠けてきた、もしくは無策であったのだから。いや、長年優秀な人材を抱える役所が取り組んできたのだ、という声が役人からあるかもしれないが、結果が全てである。ただの無能の集まりである。そう評価されるのが嫌なら、今こそ本気になって智慧を出せと言いたい。

純国産の絹が絹製品全体の数%しかないと同様、純国産の農薬・肥料・種子からなる純国産の食品は、現物ベースの食料自給率で1%であるという。これでは、日本は自国で食物を作ることを自ら放棄してきたようなものだ。

日本のお役所には公僕(パブリック・サーヴァントpublic servant)という意識が見えない。自分たちを〝お上〟と思っているのではなかろうか。

貧乏人は麦を喰え

1950年12月7日、時の大蔵大臣(元大蔵官僚)である池田勇人は、国会の質疑で米価高騰に関する質問に対し「私は所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則にそったほうへ持って行きたい」と答弁した。翌日、新聞の一面にはこの答弁を要約した「貧乏人は麦を喰え」という大見出しがトップに踊った。結局他の失言とも相まって池田勇人は辞任する羽目になるのだが、政治家・政府・役人の〝お上〟の考えは75年前から現在まで寸分変わらぬということである。

しかも今日、もっと悪いことに現在程度の良いは、5kgで3,000円と貧乏人が食えるほど安くない。むかし、年貢(重税)に苦しむ百姓はを食って凌いだというが、これもともに1kgが3.000円近くするのである。これも貧乏人は喰えない。
お上の「百姓(国民)は、生かさず殺さず」というフザケた意識が透けて見える。

百姓一揆とは遠ーい昔の縁遠いものと思っていたが、昨今の社会情勢を鑑みるにあながち現代に起きないとはいえない状況であろう。ただし、一揆といっても、武器を使用しての暴動は江戸時代に起こったものにも一割にも満たないという。現代は現代なりの有効な一揆のあり方を智慧を絞って探らねばならない。

2025年の本年、1925(昭和元)年生まれの三島由紀夫の生誕百年に当たり、三島関連の本が各出版社から出版されている。1970年11月25日に三島が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で決起(クーデター)を促し割腹自殺してから、55年が経った。三島の檄文には「われわれは戰後の日本が、經濟的繁榮にうつつを拔かし、國の大本を忘れ、國民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと僞善に陷り、自ら魂の空白狀態へ落ち込んでゆくのを見た」と記し、また「日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう」という言葉も遺している。

また、「文化とはいわゆる芸術作品のみでなく、行動及び行動様式をも包含する」と述べた。

正に、三島由紀夫が憂えた「その場しのぎと僞善に陷り、自ら魂の空白狀態へ落ち込んだ」社会に拍車が掛かってしまった今日である。これは因果応報、大切なことを人任せにして惚けた我々に、ツケが廻ってきてしまったのである。

六月三日、長嶋茂雄の訃報が入った。確実にある一時代・昭和も百年で終わった。

 

編緝子_秋山徹