戦艦大和は蚕で作られた
お蚕さんのお話 其の壱
天の虫〈蚕〉
大袈裟な話しではない。本当に戦艦大和は蚕によって作られた。
もちろん甲板や砲台の素材が蚕というわけではない。
ことは明治維新にさかのぼる。大政奉還がなり江戸幕府は滅び新政府のもと日本は文字通り新しい幕開けを迎えたが、日本政府は貧乏であった。
鎖国を解き開国して西洋文明を取り入れようとしたが、まず第一に軍備を整えることが急務であった。
この時期、西欧諸国はアジア各地の国々を手中に治め植民地化していった。
中国しかりインド、ベトナム、インドネシア、フィリッピンなど軒並みである。日本がかの国々と同じようにならないためには、欧米に対抗するに充分な近代的軍備を備えた軍隊を保有する必要があった。しかし、備えようにもそもそも国に資金がなかった。
では、何が足りない資金を補ったのか
日本の命運を握っていた蚕
維新前、外国の圧力に屈し鎖国を解いた江戸幕府は、安政五年(1858)の日米修好通商条約を皮切りに、欧州各国とも通商条約を結んで、1860年には横浜港を開港する。
この時以来、各国が競って輸入したのが、蚕種(さんしゅ)と生糸である。
その背景には、欧州の養蚕の危機があった。1840年にフランスのプロヴァンス地方に発生した蚕病(微粒子病)は猛威を振るい、1853年にはフランス全土を覆って、1868年にはイタリアのロンバルディア州に至った。
この養蚕二大産地の打撃は、欧州の生糸を壊滅状態に追い込んだ。そこで欧米は、こぞって質の良い開国したばかりの日本の蚕種(蚕の卵/種のように小さい)を求めたのである。
明治22年(1889)、時の大蔵大臣〝松方正義〟は、「日本の軍艦は、すべて生糸をもって購求するものなれば、軍艦を購求せんと欲せば、多く生糸を産出せんことを謀らざるべからず」と演説して、養蚕を広く全国に奨励した。
当時の日本政府には、蚕で外貨を稼ぐ以外に、軍備を備える術がなかったのである。
日本が天から授かった虫
こうして日本は1909年に世界最大の生糸輸出国となり、1930年にはアメリカのシルク市場をも独占した。
まさに近代日本は蚕の恩恵の上に成り立っており、明治以降の日本の近代化を支えたのは蚕といって間違いはない。
国にも人と同じように運というものがついて廻る。大変革が起こる時期、世界情勢などの運次第でその国のあり様は変わってしまう。
戦艦大和だけではなく、日本の近代化を支えたのは「お蚕さん」、天が日本という国のために遣わした虫〈天の虫〉が蚕なのである。
その蚕が、生糸のほとんどが純国産ではなくなり、途絶えようとしている。