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菅原洋一

昭和歌謡_其の104

「本当のことなど、知りたくない!」(前編)

『知りたくないの』by 菅原洋一

嘘、それは子孫繁栄のため

皆さん、前回のコラム……覚えていらっしゃいますか?

ちょいとワタクシ事で「大嘘をコかれた!」経緯がありまして、正直、猛烈にムカッ腹が立っている最中だったもので、その勢いのまま、ほぼ何も深くは考えず、いや考えるキャパを持たぬまま、ウン十年前に大ヒットした歌謡曲の中から「嘘をテーマ」にした楽曲をいくつか、それも、私が(歌手ではなく)歌詞に惹かれた作品ばかり紹介させていただいた、……わけですが。

ダダダと勢いに任せて原稿を仕上げているうちに、内心、(嗚呼、今回はオチがねぇな)と感じたんですね。ただ曲紹介しただけじゃん。と気付いてしまったわけです。

と、ほどなく姑息な抜け道を思いつきました! そうだそうだ、文章の〆の手前に、高校の同級生である、〝あの〟「口腔科」ドクター・林先生を登場させ、一発、得意のドヤシをかましてもらい、それを受けて私が……、

ま、論より証拠、前回の原稿の〝そこ〟の部分を、以下コピペしてみましょう。

☆      ☆

さてさて、冒頭の、早苗チャンと言葉を交わした「嘘の存在理由」について、例の「口腔科」ドクター・林に言わせりゃ、実に明瞭でしょうね。

「バカっ! 存在理由もナニも、最初から嘘をつかなきゃイイだけのことだろ。正直に誠実に、真っ当に毎日を過ごせば、嘘が入り込む余地などねぇじゃんか」

ま、おっしゃり通り。……ではありますがね。多くの皆さんにとって、それがなかなか難しいのも本音でしょうね。

☆      ☆

この、「なかなか難しいのも本音」つーのを結論にし、おあとがよろしいようで、チャンチャン……にすりゃあ、とりあえず格好がつくんじゃね? とね。。

コラムがネットに公開されてほどなく、林から突然、1通のメールが届きました。表題が「馬鹿野郎っ、嘘つき!」とありまして。ヘタレな私はたちまち焦り、キョドってしまい、メールを開けば……、

【おいおい、こんな的外れなご託宣を、まるで俺が言ったかのように書かれるのは、至極心外!冗談じゃねぇぞ!俺はこんな間抜けなことを真顔で宣う”嘘吐き”じゃねぇ!】

文字を目で追う私は、ますます動揺し、一体、俺は何をやらかしたのか? しばし意識を過去に遡らせてはみて、ようやくハッ! と気付きました。

私が原稿の〆の部分に用いた、林の発言……。如何にも彼が発した風にでっち上げましたけれど、実はまったくもって私の創作なんですね^^;。

同窓会で奇跡の再会を果たして、およそ4年間、様々な事象に関して、実に真っ当でロジックの過不足無き見事な御託宣を連発する林なので、きっと「嘘」に関して、如何にも〝こんな風〟なドヤシを1発、決めてくれるんじゃなかろうか? という……、今時の言い方ならば「印象操作」ってヤツでしょうか?

林が怒っているのは、きっと【そこ】だな! ドドドと嫌な汗を背中に滲ませつつ、林のメールの先に目をやれば、嗚呼やっぱり^^;……。

以下、ちょいと長くなりますが、林の、実に実に真っ当な「反論」と、「嘘の存在理由」に関する同じく真っ当な御託宣をご披露します。

【つまりお前の俺に対する理解は、甚だ勘違いもしくは、無理解ということになる。大体、林ならこう言うとお前の作った台詞が、「最初から嘘をつかなきゃイイだけのことだろ。正直に誠実に、真っ当に毎日を過ごせば、嘘が入り込む余地などねぇ」とはあまりにも情けない!

しかも、これに同意出来ないのが自分を含めた世間一般、とでもいうように、

ま、おっしゃり通り。……ではありますがね。多くの皆さんにとって、それがなかなか難しいのも本音でしょうね。

という文言が続く。

あのな、この一連のやり取りは、全てお前の内面から出たものであって、1ミリも俺ではない。つまり、お前は俺をダシに使って、嘘を吐かないことが最上ではあるけれど、嘘を吐かないなんてあり得ませんよね!「ね」「ね」と、やっていることに気付いてない。

俺的にはこれが一番悲しい。

では、以下、”嘘の存在理由”について論じよう。

これは至極簡単なことなのだ。総論としては、「嘘の存在理由」は〝子孫繁栄の為〟なのだよ。生物の基本的存在理由は、子孫を残すことに集約出来るので、オスは〝ヤリまくるため〟。メスは妊娠中及び子育て中の〝食料運搬人の確保のため”に、「嘘」を吐く。

つまり〝子孫繁栄の為〟、本能的な嘘を吐く。こう考えれば合点がいく場面を想像できる人が大半を占めているのではないか。

男は「愛してるから、やらせてくれ!」、女は「愛してるなら、他に行かないで!」等々の嘘……。良いも悪いもない嘘なのだ。「嘘の存在理由」の根本は、〝生きる為!〟。

各論としては、”良い嘘”と”悪い嘘”がある。良い嘘は、相手を守るために吐く嘘。悪い嘘は、自分を守るために吐く嘘。共にその存在理由は、自分の為。前者が慮りで、後者は愚か、ということ。以上!

大体が、こんなことも消化せずに還暦を迎えているなんざ正気の沙汰じゃねぇ。猛省せよ! とにかくお前の原稿の中で、人を勝手に許可なく、ダシに使うなっ! このバカタレっ! ハゲ野郎っ!】

どうです皆さん。この真っ当さ! ドヤされている本人の言うことではないのは重々承知ですがね。私はここ数年、この真っ当なご託宣の嵐を漂い続け、結果、確信を得たことが1つ。林のご託宣には、「納得し得る知性がある」ということ。

私がこの林の宣う御託宣に「洗脳」される、いや「ハマる」のも致し方ないと思っていただける、一端になれば幸いの限りです。

まぁまぁ、とにかくさ、申し訳ないっす、林! お前さんのおっしゃり通りだよ。反省……。あはは、反省だけなら猿でも出来るけどもね^^;。

「しょせん添え物」だった

でも反省がてら、林の説く「嘘の存在理由」の総論の根本の〝生きる為〟と、各論の〝良い嘘〟は、相手を守るために吐く慮りの「嘘」……という御託宣に触れて、ふわりと私の中に降りてきた昭和歌謡の名曲があります、

成り行き上、今回も嘘がらみの楽曲……ではありますが、前回ご紹介した数曲のように、ミモフタモナイ「嘘」を扱ったものではなく、恋愛中の2人が、特に女の側が、ベタ惚れした男との関係を「守るため」に、

「お願いだから私には、貴方の過去に関する【本当のこと】は言わないで!」

と希(こいねが)う、……そんなラブソングを1曲、ご紹介しましょう。

作詞を担当したのは、フランスのシャンソンの訳詞を皮切りに、超の付く売れっ子作詞家、さらに直木賞作家にまで成り上がった、なかにし礼です。

『知りたくないの』(昭和40年10月5日発売/作詞:H.Barnes/訳詞:なかにし礼/作曲:D.Robertson)
https://www.youtube.com/watch?v=xPfEhSDg5YI
(↑:昭和42年、NHKの「紅白歌合戦」に初出場した時の歌唱/エラーメッセージが出ますが「YouTubeを見る」をクリックしていただければ視聴できます)

♪~あなたの過去など 知りたくないの
済んでしまったことは 仕方ないじゃないの
あの人のことは 忘れてほしい
たとえこの私が 聞いても いわないで

あなたの愛が 真実(まこと)なら
ただそれだけで うれしいの
ああ……愛しているから 知りたくないの
早く昔の恋を 忘れてほしいの~♪

この曲は、シャンソンの名曲『恋心』の日本語カバー、シングル盤のB面になります。

菅原は国立音楽大学の声楽科で正統的なクラシック唱法を学びますが、幼い頃からタンゴの魅力にハマり、「タンゴ歌手になりたい!」という想いが募り……、卒業後は恩師を裏切るような格好でタンゴバンドに参加。ポリドールから念願の歌手デビューを果たしますが、数年ほどは〝まったく〟売れなかったそうです。

日本では昭和30年代後半にタンゴブームが到来し、本場のタンゴバンドが来日したり、しましたけれど、日本で流行歌手を続けるとなると、タンゴよりは馴染みの深い洋楽のジャズやポップス、シャンソンの日本語カバーか、菅原にとってさして唄いたくない、〝つまらない〟国産の歌謡曲を、レコード会社から「義務的に唄わされる!」ことになります。

しかも、それが「売れない!」わけですから、菅原はかなりショゲた気分、腐った気分でいたのでしょう。そこに『恋心』の日本語カバーのレコーディングが入り、菅原は初めて、訳詞を担当した、なかにし礼と出会います。

当時、なかにしは27歳。菅原は32歳。なかにしは、シャンソンの訳詞の世界じゃ、若くしてすでに著名でしたけれど、オリジナルな歌謡曲の作詞家としては、まだ無名。一方の菅原も、なかにしより5歳年上で、すでに結構な数レコードを出してはいても、流行歌手としては、まったくの無名。

後に物書きと歌手のビッグスターになる2人が、運命の出会いを果たしたのが、『恋心』のレコーディングであり、しかもしかも! あくまで『知りたくないの』は、音楽業界の常識でもある「しょせん添え物」のB面だった……わけです。

『知りたくないの』は当時、欧米で大ヒットを飛ばしていた有名なポップス、『I Really Don’t Want to Know(日本名:たそがれのワルツ)』の日本語カバーなのですが、

作詞の世界観を【訳詞→オリジナルの歌詞】に変革させることに情熱を傾けている、なかにしは、〝ただの〟直訳の日本語ではなく、聴く者の感覚を刺激し、たった一度、聴いただけで「ムムム、この歌、なんか違うぞ!」と、なるような作品を書きたい! さかんに自意識にハッパをかけつつあった……そんな時期です。

そこへ、飛んで火にいるナントヤラ、菅原の新曲として、それも、あくまでB面の歌詞を「お前、書いてみる?」と依頼が舞い込んだ。「望むところでぇ!」と、……品川育ちの江戸っ子ならぬ東京者(もん)の血が騒いだか? それは定かじゃありませんが、まぁ、とにかくメチャメチャ気負って訳詞を引受け、直訳なんざ一切スルーし、意訳も意訳、これはもう、なかにしのオリジナルな作詞としか言えないんじゃね? というのを書き上げた。

レコーディングで初めてご対面した2人。その時の印象を後年、互いに「今だから言えるけど」と前置きして、苦笑まじりに語っています。なかにしは、菅原をパっと観て「なんて風采の上がらないやつなんだ!」と感じた、と。片や菅原は、「中西クンって僕より年下のはずなのに、やけに突っ張ってるな。なんか怖いな(笑)」と……。

お見合いは失敗。すぐにバトルが始まります。先に喧嘩を売ったのは、なんと菅原でした。歌詞を一読した後、すぐに愚痴った。唄い出しの【日本語】にあからさかにケチを付けたのです。

♪~あなたの過去など~♪ の【など】に言及し、「こんな唄いづらい日本語を、かりにも歌謡曲の歌詞に使うなんて、非常識もいいとこだ!」、「僕は、こんな舌触りが悪い歌詞じゃ唱えない。書き直して欲しい!」

流行歌の歌い手として、いくら売れていなくても菅原にはプライドがあります。音大でクラシック歌唱を学んだ経緯もあり、ジャンルを問わず歌手というもの「綺麗な言葉で書かれた歌詞を唄うべきだ!」……なるプライドが。

さて、それを聴いたなかにしにも自負がある。俺は凡百の作詞家じゃない! シャンソンの訳詞上がりの若造なんぞと、ナメんなよ! という、ね。

「菅原さん、あなたは歌手でしょ。それもれっきとしたプロの歌手だ。プロならプロらしく、作詞家が用意した歌詞をシノゴノ言わず、あなたの芸当でみごとに唄って見せて下さい!」

後年、なかにしは反省していました。「さすがに言い過ぎたよね。でも僕も若かったからね、自信を持って提供した作品を、即座に『こんな歌詞、唱えない!』と言われちゃ、立つ瀬がないしね」

菅原は菅原で、「中西クンに言われて、それは良い気分はしなかったけれど、彼の言う通りだな、と感じたのも事実ですね。少し時間をもらって、必死に唄い出しの ♪~あなたの過去など~♪ を練習しました」

怪我の功名とでも言いましょうか? どうにかこうにか録音を終えた『知りたくないの』は、欧米ポップスのカバー曲としては異例中の異例、A面の『恋心』を無視して、全国的にじわりじわりと、特に繁華街の飲み屋のホステスの間で人気が出たんですね。

2年後、改めてレコード会社は『知りたくないの』をA面にし、ジャケットの写真を差し替え、再発売した結果、80万枚を超える大ヒット! 無名だった菅原は一躍、スター歌手の1人にカウントされ、この『知りたくないの』を引っさげて、NHK「紅白歌合戦」に初出場します。なかにしも「売れる歌詞が書ける!」若手作詞家として、業界関係者に知られることになります。

なかにしは3年前、御年82で鬼籍に入りましたが、今年90歳になる菅原は、現在も元気も元気! つい先日も、NHKにて生放送の歌番組(カラオケファンに人気の『うたコン』)に出演し、『知りたくないの」を熱唱されたのです。

歌唱中、画面のテロップには「日本で最高齢の現役歌手」と記されましたっけ。

(↑:一昨年(2021年)の歌唱)

そりゃ全盛期の艷やか&伸びやかな美声の〝再現〟は、酷な話ですよね。声量だって衰えています。……でもさ、イイじゃん、そんなの! 90歳でフルコーラス、椅子にも座らず、杖の頼りもなく、みごと情感を込めてプロ歌手としての責務を果たしたのです。いやぁ、観ていて自然に涙がこぼれ、唄い終えた時には拍手もしていました。

「いやはや、すげぇーなぁ、ハンバーグおじさんは!」と、思わずカミサンの前で口走ってしまいました。そうです、昭和のど真ん中にガキだった私たち世代なら、どなたも菅原洋一=ハンバーグという連想をするはず! です。

え、ハンバーグ? それ、何のこと? イイんです、わからなけりゃ。それだけ長い年月、菅原洋一は芸能界の第一線で活躍して来た、という事実に他ならないのですから。

(次回へ続く)

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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