畠山みどり
昭和歌謡_其の二十四
亥年の春を寿ぐ「おめでた」歌謡
2019年になりました。皆様、謹賀新年です。
今年は亥年。猪突猛進、思い込んだら命がけ!!
いや、正直、そこまで覚悟を決めたわけでもないけれど、走り出したら、途中でみずからブレーキを賭けられない……。
私の周りの亥年生まれは、新旧世代とりまぜて5人いますが、全員が全員、〝そういう〟行動パターンなのです。やはり、生まれ持った星回り、干支はバカにできないですねぇ。
新春を寿ぐ意味で、今回は、おめでたい歌謡曲を取り上げたいと思います。
畠山みどり『恋は神代の昔から』
まぁ、何を称して「おめでたい」と判断するか? これはなかなか難しい問題でしょうけれど、単純に、歌唱する際の〝出で立ち〟が、もう「おめでたい」としか言いようのない、加えて歌詞の内容もメロディの調子も「おめでたい」、三拍子そろった、昭和歌謡史上最も「おめでたい」楽曲といえば、畠山みどりの看板ソング『恋は神代の昔から』でしょうかね。
1962年6月にシングル・レコード発売。作詞:星野哲郎、作曲:市川昭介という、演歌業界の大ヒットメーカーの作品です。
北海道は稚内出身の畠山は、高校卒業後、いったんはデザイナーをめざして上京し、ファッション教育の老舗、文化服装学院に通い始めますが、幼い頃から持ち続けてきた、歌手になる夢を捨てきれず、思い切ってラジオの「素人のど自慢」番組に出演したところ、みごと優勝します。
日本コロムビアのプロデューサーの目に留まり、およそ1年半、船村徹の厳しい歌唱レッスンを経て、この楽曲でデビューしたのですが、たちまち150万枚のレコードを売り上げました。
この楽曲の人気の要因として、スタッフの発案により、デビューしたばかりの新人歌手に、白衣(びゃくえ)に緋袴、手には神楽鈴、頭上には冠という、きわめて縁起が良く「おめでたい」神社の巫女さん装束をさせたことが、かなり大きいでしょうね。
彼女の福々しい体型がまた、巫女さん装束にピッタリなんですよね。唄いながら、合いの手代わりにシャリンシャリンと鈴を振る、その仕草もなんとも「おめでたい」わけです。
星野が書いた歌詞も、その「おめでたさ」に輪をかけます。
♪~はぁー 恋をしましょう 恋をして~え~
浮いた浮いたで暮らしましょ 熱い涙も流しましょ
昔の人は言いました
恋はするほど艶が出る~う~う~
恋はするほど艶が出る~♪
「浮いた浮いたで暮らしましょ」なんて台詞は、昭和時代末期の、バブル経済の真っ只中であれば、ドンピシャリでしょうが、1962年といえば、不肖ワタクシが生まれた年でございます。
いくら世の中の〝空氣〟的に、戦後の生活困窮ドサクサ時代は「とっくに卒業」し、経済は前向きも前向き、イケイケドンドンの高度急成長!! 再来年には敗戦国である日本が、首都東京でオリンピックを開催するという……、すこぶる明るい時代に突入したとはいえ、「浮いた浮いたで暮らしましょ」と言い切れるほどの老若男女は、全国各地、どの位の数いらっしゃったのでしょう?
そんな疑問も浮かびます。なにしろワタクシは、この楽曲が発売された5ヶ月後に、オギャーと姿を現したばかりですからね(笑)。よぉわからんのですよ、当時の〝空氣〟感というものが。
しかし結果として、この楽曲は爆発的な大ヒットを飛ばし、「浮いた浮いたで暮らしましょ」という台詞は、当時の流行語になったという情報を、私が主宰する『昭和歌謡を愛する会」のご常連さんから入手しました。
落ちて行くときゃ 独りじゃないか
デビュー曲ですぐにスター歌手の仲間入りした畠山が、同年の12月に発売した、3枚めのシングルも、タイトルだけは、じつに「おめでたい」……『出世街道』です。作詞&作曲は、デビュー曲と同じく星野哲郎&市川昭介のご両人。
これまた超ビッグヒットで、250万枚以上のレコードを売り上げました。
しなしながら、こちらの歌詞は、決して「おめでたく」はありません。むしろ人生の辛酸を舐めた者だけ、極度の絶望感から、一度はみずから命を絶とうとした者だけ、……に〝巫女〟の畠山が贈る「生きなきゃ駄目よ!!」の応援歌とでも言いましょうか。
♪~やるぞみておれ 口には出さず
腹におさめた 一途な夢を
曲げてなるかよ くじけちゃならぬ
どうせこの世は 一本どっこ
他人(ひと)に好かれて いい子になって
落ちて行くときゃ 独りじゃないか
おれの墓場は おいらが探す
そうだ その気で ゆこうじゃないか~♪
やはり私が危惧した通り、「浮いた浮いたで暮らしましょ」の世の中の流れに、どうしても乗り切れない老若男女の皆さんも、全国けっこうな数、存在したわけですね。
後年、畠山が語るところによると、中小企業の社長さんの多くが、『出世街道』の歌詞に励まされ、「中には、この曲のおかげで、自殺を踏みとどまった社長さんもいらっしゃってね」と。
「私が会ったこともない、名前も存じ上げない社長さんから、ある時、コンサート会場に差し入れが届きましてね。『打ち上げでお呑み下さい』と大量のお酒とビールがね。手紙が挟まっていて、それを読むと、社長さん、従業員を十数名ほど抱えた町工場を経営していたのだけど、時代の波に乗れず、倒産してしまった。社員を路頭に迷わせ、自分は莫大な借金を抱え、奥さんは子供を連れて出て行った。埃のかぶった工場に、たった1人、ぽつんと置き去りにされて、『俺の人生は、いったい何だったのだろう?』と自問自答しているうちに、ふと『死んじゃおうか」と。『死んじゃえば、楽になれるかも?』と、……機材の上に乗り、天井から紐をぶら下げて、首をくくろうとした、そのタイミングに、工場の外から、どこかのウチのテレビかしらね、私の『出世街道』が聴こえてきたんですって。
♪~他人(ひと)に好かれて いい子になって 落ちて行くときゃ 独りじゃな いか おれの墓場は おいらが探す~♪
これって、まさに今の俺じゃないか。『おれの墓場は、おいらが探す』……、そうだ、その通りだ。俺の墓場は、ここじゃない。まだ俺は死ねない。いや、死にたくない。こんな程度のことで、死んでたまるかい!! そう強く感じ、気持ちを入れ替えて再起をはかり、十年かかって、新たなビジネスを成功させたのだそうです。『貴方は私の命の恩人です』……、そんな言葉で手紙は締めくくられていました」
そんな経緯もあってか、畠山にとって『出世街道』は、数ある持ち歌の中でも、特別な楽曲になりました。
皮肉なことに、畠山自身も『出世街道』の歌詞に、ずいぶん励まされたそうです。
彼女は芸能界でも数本の指に入るほど、有名な株トレーダーでして、彼女が薦める「株の儲け方」的な手引書も、過去に出版しています。バブル経済の頃は50億円ほど儲けまくりましたが、バブル崩壊後、その額はそっくり借金に化け、彼女のコンサート会場の楽屋には、多数の債権者が押しかけるような生活が、けっこう長く続いたようですね。
スポーツ新聞や芸能雑誌に「3億円で購入!!」とすっぱ抜かれた、超豪華な〝畠山御殿〟も、いつしか競売にかけられ、立ち退き要求を彼女が拒絶したことで裁判沙汰にもなりましたが、どっこい畠山は強い。なんてったって強いのです。
『出世街道』の歌詞を体現するべく、
♪~やるぞみておれ 口には出さず 腹におさめた 一途な夢を
曲げてなるかよ くじけちゃならぬ どうせこの世は 一本どっこ~♪
さんざん債権者に追われ、マスコミに追われまくっても、当人はいたって平静を装い、事の詳細は知りませんが、現在も、彼女は御殿に住み続けているはずです。
TVの歌謡番組に出演する際には、脳天気とばかりに、失敬(笑)、「おめでたい」とばかりに、巫女の姿でシャリンシャリン、神楽鈴を鳴らしつつ『恋は神代の昔から』を、いかにも福々しい満面の笑みで熱唱するのです。
如何でしょう? 新年号『○○』の元年となる、亥年の2019年。猪突猛進、出たとこ勝負。なにやらアブナイことばかりが起きそうな? そんな予感もする1年になりましょうが、
畠山みどりご本人と、彼女の持ち歌に込められた、人生の「おめでたさ」とバイタリティをお手本にし、せめて気持ちだけでも明るく前向きに、
浮いた浮いたで暮らしましょう。
勝沼紳一 Shinichi Katsunuma
古典落語と昭和歌謡を愛し、月イチで『昭和歌謡を愛する会』を主催する文筆家。官能作家【花園乱】として著書多数。現在、某学習塾で文章指導の講師。