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村田英雄

昭和歌謡_其の110

「元日から干支の龍神が怒りまくり!胸中穏やかならぬ新春の応援歌」

皆の衆』
by 村田英雄

『大空と大地の中で』
by 松山千春

『田園』
by 玉置浩二

龍神さまの怒り

 令和6年が始まりました。遅ればせながらの謹賀新年。今年もよろしくお願いします。

前回のコラムに書かせてもらいましたが、昨年は、まさに怒涛のごとく世間を騒がせる事件が「あれ」も「これ」もとテンコ盛りで、いささかならず神経を疲弊させられましたので、今年こそは「穏やかで安らかな日々が続きますように!」と、元日の昼下がり、毎年恒例となっている地元神社の初詣……、カミサンと2人、拝殿の正面に並んで、ペコリペコリ深々と礼を2つ、パンパンと柏手2つ、神聖な心持ちで祈ったのですけれどね。

帰宅してほどなく、グラリと来ました。それも、わが住まいのある高崎では、かつて経験したことがないほど、ゆったりと幅の広い横揺れが1分ほど続いたでしょうか?

(こりゃ、いつもの地震とは違うぞ!)
(こりゃ、ちょいとばっかし、ヤベェーんじゃね?)

と感じた通り、地震のエナジーとすれば、阪神・淡路大震災の「およそ8倍ほど」の破壊力でもって北陸地方を襲撃し、能登の観光名所である「朝市通り」は全焼、輪島塗の老舗会社の7階建てビルは、建物ごとゴロリと横倒し。加えて、311の大震災と同様、震源地の石川県はもちろん、隣接する県でも津波の被害が甚大で……。

翌2日には、羽田空港の滑走路上で、日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機が衝突し、大炎上。日航機の乗客は奇跡的に全員命拾いしたものの、海保の乗組員は、機長を除いて5人が死亡。

さらに翌3日には、当ネットマガジンの主筆・秋山さんの故郷である、北九州市は小倉にある、老舗の飲食店街で大規模な火事! 古い木造の店舗ばかりだから、たちまち炎上してしまい……。

今年の干支は辰。つまり龍が守護神ってことになりましょうが、龍神さまは内に秘めたパワーが強靭で、怒れば口から猛烈な炎を吐きます。年明け初日から、これだけ〝歴史に遺る〟火事が連鎖するということは、龍神さまが怒りまくっている証拠のようなもので。

令和に入ってすぐに日本全国、いや全世界中にコロナウイルスが蔓延し、……それも、ようやく収まりかけての年越し、晴れてめでたい新春の訪れのはずが、何故か? 干支の辰が大暴れ!

この調子だと、火事の連鎖がさらに続くのでは、……とかなり不安な心持ちで数日やり過したところ、嗚呼! やっぱり! 悪い予感が的中しちゃいましたね。8日の午後、あろうことか、良くも悪くも昭和時代を象徴する政治家、総理大臣だった、〝あの〟田中角栄の目白邸が大炎上し、瞬く間に全焼。娘の田中真紀子が仏壇に灯した蝋燭ないしは線香の火が原因? とかナントカ報道されてますが、ひょっとして、射殺された安倍元総理同様、何者かに……??? いやぁ、ここから先は書けません^^;。

出世街道をずれる

前回ご紹介させていただいた、私が生まれた昭和37年に発売された大ヒット曲、畠山みどりの『出世街道』に、不肖ワタクシなりの縁起担ぎ! 験担ぎ! 来る令和6年は、コラムにも取り上げた【怒涛】なんぞという単語とは、思いっきり無関係な、ひたすら穏やかで安らかで朗らかな日常を、干支の龍神さまに演出してもらいたく、「お願い申し上げまするぅ~」の祈りを込めたつもりでしたが。

屁垂れ一辺倒なアタシの祈りには、な~んの効力もありやせんでしたねぇ。真に相すみません。

ふうむ、……それもそのはずです。どうやら私が偉そうにシノゴノ書かせていただいた、『出世街道』の歌詞の解釈は、大きな勘違いだったようでして^^;。

効力以前の問題ですね。スミマセン。

当マガジンが更新されて間もなく、例の、高校の同級生の口腔科ドクター・林から、「解釈が違うだろ!」と〝真っ当な〟ダメ出しを喰らいました。

♪~人に好かれて いい子になって
落ちて行くときゃ 独りじゃないか
おれの墓場は おいらがさがす
そうだその気で ゆこうじゃないか~♪

この3番の歌詞の解釈を、私は以下のように記しました。

【翻って今年、あっちも懺悔、こっちも懺悔……、からの心機一転、事業の「立て直し」は、並大抵の労苦じゃないはずです。でもね、「自分の墓場を自分で探す」心境にまで至ってないのであれば、なぁに、命まで取られることはないでしょう。】

これに対して林は、

思い悩んだ中小企業の社長が、自死を選ばんとする、その寸前、偶然にもどこからか『出世街道』のメロディが聴こえて来て、【自分の墓場は自分で探す】の歌詞に、思わずハッとなる。

嗚呼、俺は今、大変だ大変だ、と気持ちばかり焦るのみ。はたして【自分の墓場を探す】までの覚悟、矜持でもって事(コト)に当たってるのか? どうなんだ? と強く問われている気がし、我に返って自死を思い留まり、心機一転、以降、数年かけて会社の立て直しに成功した。全国に同様の体験をした者が多数実在し、畠山みどりに「感謝」の内容の手紙を書いた。

「つまり『出世街道』は、【自分の墓場は自分で探す】」の心境にまで至ってなければ、命まで取られることがなくて御の字!などといった、そんな甘っちょろい解釈の歌ではなく、まるっきり、その逆! 戒めの歌だろうが」

ほぉー、そうですか。なるほど、なるほど。

だからこそ、その御託宣がすーっと胸中、いや丹田かな? ……に沁み入った者は、目からウロコが落ちたが如く、たちまち了見を入れ替え、まっさらな心持ちで業務に専念した結果、歌のタイトル通りの『出世』が叶う、と。

そのことを、ハゲ茄子頭の還暦野郎になってもなお、まーったく理解できないのですから、そりゃ『出世』には、とんと縁がないはずですね。とほほ、情けない。

というわけで、恥の上塗りになるやもしれませんが、この調子だとさらに、まだまだ続々と「尋常でない!」天災人災に遭遇する可能性大、……の令和6年を乗り切るべく、改めて、皆さんが少しでも元気の出る歌を数曲、紹介させてもらいましょう。

庶民のお馴染み

まずは『出世街道』の大ヒットから2年経た昭和39年の7月、東京オリンピックが開催される直前に発売された曲ですが、わずか5歳で天才少年浪曲師としてもてはやされ、のちに大スター歌手に上り詰める、村田英雄が熱唱した『皆の衆』(作詞:関沢新一)。

 これも、たちまちミリオンヒットに化けましたね。作詞は異なりますが、作曲は『出世街道』と同じく市川昭介なのが面白いところです。

歌詞の内容は、『出世街道』同様の人生の応援歌ですけれど、わが人生が劇的に変わるほどの厳しい戒めの御託宣なんぞ、たった一言も描かれてはいません。

……ので、おそらくは、とカッコ書き付きで、この歌を聴いたからといって、経営に行き詰まった社長が、ハッと気付いて自殺を思い留まった、なんぞという大層な実話は、なかったんじゃないですかね。ま、あくまで私の想像ですが。

それでもね、昭和40年代後半、私が小学5、6年の時分でしたが、わが故郷・蒲田にて、駅前の「呑んべえ横丁」からの帰り道らしき酔いどれのオッチャンが、『皆の衆』のフレーズを口ずさみながら、ふら~り、ふら~り、千鳥足の光景をちょくちょく目撃しましたよ。

また、ある日の銭湯で、背中の観音様が美しいオッチャンが、気持ちよさげに湯船に浸かりつつ、ひとしきりベリグーな喉で『皆の衆』を披露してくれた直後、湯船のお湯でパシャーンと音を立てて顔を拭いつつ、「どうせこの世は そんなとこ、だってよ。ホントかねぇ、坊主?」と、いきなり問われてビビったことも、この原稿を書きながら、にわかに思い出しました。

ま、そのぐらい当時の大ヒット流行歌は、庶民の生活に馴染んでいたのです。

♪~皆の衆 皆の衆 嬉しかったら 腹から笑え
悲しかったら 泣けばよい
無理はよそうぜ 体に悪い
洒落たつもりの 泣き笑い
どうせこの世は そんなとこ
そうじゃないかえ 皆の衆

皆の衆 皆の衆 腹が立ったら 空気をなぐれ
癪(しゃく)にさわれば 水を飲め
徳川家康 啼(な)くまで待った
天下分け目の 関ケ原
どうせこの世は そんなとこ
そうじゃないかえ 皆の衆

皆の衆 皆の衆 好きと嫌いじゃ 恋にはならぬ
恋はその日の 風次第
風の吹きよで しんから惚れた
あの娘(こ)と別れた 奴もいる
どうせこの世は そんなとこ
そうじゃないかえ 皆の衆~♪

道産子

お次は、時代をもう少し「今」に近づけて、昭和52年6月25日に発売された、ちー様こと松山千春の『大空と大地の中で』(作詞&作曲:松山千春)です。

(まだ毛がある頃の、珍しい映像)

この曲は、『季節の中で』や『長い夜』と並んで超ヒットしましたし、令和の現在でもカラオケファンの定番ソングですよね。私もちょくちょく唄いますし、メロディが良い意味で平易なので、ついつい入浴中や外出中に口ずさんだりも、しています。

♪~果てしない大空と 広い大地のその中で
いつの日か幸せを 自分の腕で掴むよう

歩き出そう 明日の日に
振り返るには まだ若い
吹きすさぶ 北風に
飛ばされぬよう 飛ばぬよう

凍えた両手に 息を吹きかけて
しばれた体を 温めて

生きることが つらいとか
苦しいだとか 言う前に
野に育つ 花ならば 力の限り生きてやれ~♪

この、【生きることが つらいとか 苦しいだとか 言う前に】のフレーズが、風呂に浸かりながら結構な声量で唄うのに、ちょうどグーなんですよね。何度も…そうですねぇ、5度ほど繰り返すと、脳天気なほど気分が良くなって、

ついでに私は、千春と同じ北海道生まれ(旭川)、玉置浩二の代表曲『田園』(作詞&作曲:玉置浩二)の、サビの部分【生きているんだ それでいいんだ】も、5度、いや6度ぐらいは繰り返し、怒鳴るような大声で唄っちゃいます。

千春は北海道の足寄生まれ&育ちを全面に出して、芸能活動を続けて来ただけのこともあり、歌詞に描かれる世界が、どの楽曲もおおよそ実に雄大というかな、懐が深いというかな、伸び伸びした印象を私は持ちます。

ま、あの態度や話しぶりもね、傍若無人そのもので、年齢もデビューの時期も明らかに「上」の吉田拓郎のことだって、平気で「拓郎はさ」と呼び捨てです。それで拓郎も、少しも腹を立てない。「千春じゃあ、しょうがねぇや」と、皆さん、そうおっしゃる。人柄と言ってしまえば、それまでですけれど。

そういう千春特有のキャラは、醸し出すメロディや歌詞も含めて、やっぱり北海道という「どでかい土地」があってこそ、産まれたんじゃないですかね。

比べちゃナンですが、千春と仲の良い長崎出身のさだまさし……、決して私は嫌いじゃないけれど、歌詞内容がどれもこれもなんかチマチマしてんじゃん! つーのと、ある意味、対局のように感じます。

サバカレー効果

さて私が風呂場で大声で唄う『田園』……の玉置浩二は、千春の『大空と大地の中で』が流行ってから6年後、『ワインレッドの心』(昭和58年11月25日発売/作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二)で大ブレイクした安全地帯のリーダーでしたね。

『ワイン……』は、安全地帯のデビュー曲ではなくて、実は4曲目でしてね。昭和57年2月25日にバンドがメジャーデビュ-し、シングルを3枚出しましたが、さして話題にもならず、レコードも売れず……。

制作スタッフは玉置に、「次の曲は、歌詞も曲も(師匠格の)井上陽水に書いてもらおう。すでに陽水には話を通してあるから」と告げた、と。これを玉置は拒否! 「歌詞はともかく、曲は俺が書く。それが駄目ならバンドを辞めて旭川に帰るから」……ということで、玉置は【歌謡曲っぽくて売れそうな感じの曲】を生み出すべく、1週間ほど自宅にこもったそうで、なんとか書き上げたのが『ワイン……』なんですって。

さて『田園』……。安全地帯の活動を行いながら玉置は、昭和62年7月以降、ソロ歌手としても曲を発表しだしますが、この曲は平成8年7月21日に発売された、11枚目のシングルになります。(作詞&作曲:玉置浩二)

(ベートーヴェン作曲・交響曲第6番『田園』とのジョイント)

フジテレビ系連続ドラマ『コーチ』(平成8年7月4日~9月19日放映)のエンディングソングにも、なりましたね。このドラマは主演が浅野温子ですが、玉置自身も役者として、それも浅野とW主演の座で出演し、いやぁ見事に〝泣ける〟演技を視聴者に示してくれました。

♪~石コロけとばし 夕陽に泣いた僕
夜空見上げて 星に祈ってた君
アブラにまみれて 黙り込んだあいつ
仕事ほっぽらかして ほおづえつくあの娘

何もできないで 誰も救えないで
悲しみひとつもいやせないで
カッコつけてないで
やれるもんだけで
毎日 何かを 頑張っていりゃ

生きていくんだ それでいいんだ
ビルに飲み込まれ 街にはじかれて
それでも その手を 離さないで
僕がいるんだ みんないるんだ
愛はここにある 君はどこへもいけない~♪

千葉の九十九里浜の缶詰工場が舞台のドラマでした。私は正直、この歌にはすぐにハマりましたが、ドラマ自体はどうにも強い関心を持てず、ストーリーをよく覚えていませんが、劇中に「サバカレー」の缶詰が登場したのです。

実際に商品化されましてね。私も1つ買って食べました。……さして旨くなかった記憶だけは、今でもしっかりハッキリと(笑)。

ドラマの反響や「サバカレー」の効果もあってか、『田園』は玉置がソロ歌手になって以降発売したCDの中で、最大の売上げです。オリコン集計で100万枚に迫る記録を残しました。

レコード会社や玉置の所属事務所には、『田園』の歌詞に励まされ、「挫けそうになる気持ちを立て直すことが出来た!」、「生きる勇気をもらった!」老若男女から、感謝の手紙が多数寄せられたのだそうです。

俗に「歌は世につれ、世は歌につれ」などと言われますけれど、長く続いた昭和、その後の平成と令和、いつの時代も、その時に流行っていようがいまいが、◯◯というタイトルの歌謡曲が……、私たち1人1人の日常に寄り添い、時に厳しく戒め、時に穏やかに励ましてくれる。

さて新春早々、あろうことか大震災から始まった令和6年、皆さんには、どんな歌謡曲が寄り添ってくれましょうか?

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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