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谷村新司

昭和歌謡_其の107

追悼寄稿「わが谷村新司〝体験〟記」

『チャンピオン』 by アリス

 『青年の樹』 / 『22歳』 by 谷村新司

 

親爺の主題歌『チャンピオン』

谷村新司が亡くなりましたねぇ~^^;。病気だったのでしょうが、それにしても享年74とは早過ぎます。

彼がリーダーを務めたアリスは、昭和50年代に大ブレイクしました。私が中学2年生だった昭和50年9月5日、シングルカットされた『今はもうだれも』から発売順に、『帰らざる日々』、『遠くで汽笛を聞きながら』、『冬の稲妻』、『涙の誓い』、『ジョニーの子守唄』、『チャンピオン』、『夢去りし街角』、『終止符』……、

そして、石原裕次郎主演の日活映画『狂った果実』と同タイトルの別作品、日活は日活でもポルノ映画の枠で昭和56年4月24日に公開された、根岸吉太郎監督版映画の主題歌にも選ばれた『狂った果実』が発売されたのは、昭和55年7月5日。私は高校3年生の夏でした……。他にも数曲、はしょりましたけれど、これらすべての楽曲がヒット! ヒット! ヒット! しまくりましたから、タイトルにピンと来ない皆さんも、メロディを聴けば、たちまち「あー、あの曲!」となるはずです、

特に、♪~あなたは 稲妻のように ~♪ のフレーズでお馴染みの『冬の稲妻』(昭和52年10月5日発売/作詞:谷村新司/作曲:堀内孝雄/編曲:石川鷹彦)は、オリコンチャートこそ最高8位止まりですが、昭和平成令和のカラオケファンに継続的に愛される曲に成長しました。

そして、なんたって『チャンピオン』(昭和53年12月5日作詞&作曲:谷村新司/編曲:石川鷹彦)! この曲は、晴れてオリコンチャート1位に輝いたこともあり、現在50代以上の殿方の皆さんで、かつボクシングを愛するとくりゃ、、この歌を一度も(ほんの1フレーズすら)口ずさんだことのない人は1人もいないんじゃないですかね。

♪~つかみかけた 熱い腕を
ふりほどいて 君は出てゆく
わずかに震える 白いガウンに
君の年老いた 悲しみを見た

リングに向かう 長い廊下で
何故だか急に 君は立ち止まり
ふりむきざまに 俺にこぶしも見せて
寂しそうに 笑った

やがてリングと 拍手の渦が
ひとりの男を のみこんでいった
(You’re king of kings)
立ち上がれ もう一度その足で
立ち上がれ 命の炎燃やせ~♪

私が幼少時代から愛して来た歌謡曲の流れが、高校に入った頃(昭和53年4月以降)から大きく変わります。俗にロック歌謡&ニューミュージックと称される楽曲群……、サザンオールスターズ、世良公則&ツイスト、甲斐バンド、レイジー(LAZY)、オフコース、桑名正博、原田真二、渡辺真知子、桑江知子、庄野真代(順不同)ほか、がデビューし、話題を呼んで楽曲が大ヒットし、TVの歌謡番組の常連歌手になりました。

あ、これは……余談ですが。流れが変わったといえば、ロック歌謡&ニューミュージック系の彼ら(彼女ら)が様々なメディアに出まくるようになると、何故か自分たちのことを、歌手ではなく「アーチストと呼びなさい!」というような、おかしなムーブメントが起きました。アーチストは、和訳で芸術家。そんなこたぁ、今どき3歳児でも知ってます(笑)。へぇー、○○(私が嫌いなバンドのリーダー)って、芸術家だったのね。「芸術作品」として、アンタは歌を唄ってるのね。ふん、誰が認めるか。ブツブツ……。

ま、話を戻してアリスです。

私はアリスの様々なヒット曲を、高校時代に〝かなり〟聴きまくりました。その意味では、どんな歌謡バンドよりも個人的に影響を受けましたし、リーダーの谷村新司がパーソナリティを務めるラジオの深夜番組も、毎週欠かさずカセットテープに録音してまで楽しんだほどです。

ギタリストがギターという楽器の音色を武器にするならば、歌手の楽器は喉から発される声でしょうかね。唄声が魅力的な歌手はゴマンといましょうが、私は、谷村の声に猛烈に惹かれました。低音でふわぁ~と豊かに広がるように響く声は、彼の、それこそ最大の武器だったはずです。

声を駆使して谷村は、ラジオの深夜放送においても、放送禁止ギリギリのエロ話を奔放に披露してくれましてね。高校時代〝むっつりスケベ〟な私は、「エロ話は、笑いにくるんで大いに他人に公言すべき!」という御託宣を真面目(笑)に信じたがため、それが数年後、エロ作家の花園乱の誕生につながる(という話は冗談ですが)。

ラジオでエロ話を語りまくる、その声で、谷村はアリスを「活動停止」して以降、ソロ歌手としても、日本人ばかりかアジア諸国の国民歌謡にまで成長した『昴』をはじめ、様々な名曲を世に送り出したのです。

私が忘れられない曲が幾つかありまして、……中でも抜きん出て好きな曲が1曲! よほどの歌謡マニア、ないし熱狂的な谷村新司ファンでもないとご存知ないんじゃね? ……の『青年の樹』(昭和56年8月5日発売/作詞&作曲:谷村新司)です。

♪~一人 心に別れを秘め
何も知らずに 眠る貴方の
部屋の灯りに 眼をやれば
憧憬(あこがれ)に旅立つ 足がすくむ

私の二十歳の祝いにと
貴方が庭に立たずみ 静かに
やせたその腕で 土をかけた
青年の樹よ

今をのがせば 夢などに
若さをかける時は 二度とない~♪

これは、TBS系の連続ドラマ『野々村病院物語』(昭和56年5月12日~11月3日放映、全26回)のテーマ曲です。

当時、かりにも日芸の演劇学科で芝居台本の書き方やストーリー構成などを学んでいた私は、このドラマの脚本家である高橋玄洋の書くさまざまなシーンに惹かれ、(当時は録画するビデオもなかったので)毎週毎週、番組をリアルタイムに鑑賞しつつ、気になった台詞や、そのシーンの設定などを懸命に手を動かしてノートに記しまくりました。

『野々村病院……』は、主演クラスの俳優が宇津井健、津川雅彦、夏目雅子で、脇を伴淳三郎、山岡久乃、関口宏、イッセー尾形などが固めていました。今こうして名前を並べると、実に錚々たるメンバー揃いであることに、たまげてしまいますけれど、当時の感覚では、このぐらいのキャスト(配役)はごく普通であり、『野々村病院……』が特段に凄かった! わけじゃありません。

高橋玄洋先生は現在、御年94。まだ元気でいらっしゃいます。脚本家稼業は、だいぶ前に「引退」したようですね。初期の頃は硬質な社会派ドラマで名前を挙げたものの、その後、森繁久彌主演の『三男三女婿一匹』(昭和51年TBS放映)などのホームドラマに移行し、「常に高視聴率を稼げる脚本家」として、のちの倉本聰や山田太一並みの超売れっ子になったのです。

高橋作品のホームドラマの特徴は、作中に嫌なヤツや嫌な事件が続出し、常に波乱含みのストーリー展開になるものの、……不思議と「心底、悪いやつは出てこない!」ところでしょうか。

『野々村病院……』もそうです。病院長で外科医の宇津井は、大病院勤務の立場を捨ててまで、自分の思い描く理想の地域医療を目指し、理解ある父親(伴淳三郎)の財産をすべて投入する格好で、吉祥寺にちっぽけながら内科と外科の揃った病院を開きます。

若い頃から公私ともに浅からぬ因縁のある、同じく外科医の津川雅彦を医局に引っ張って来ます。……が、コイツは、とにかく性格のヒネた野郎でして、酒に溺れている気配もあり、妻子持ちでありながらプレイボーイを気取ったり、しています。内科医の関口宏をはじめ病院のスタッフは、何かにつけて津川と揉めて、そのたびに宇津井がかばうのです。

こういう嫌な野郎を何故、病院に迎い入れたのか? スタッフはみな院長の判断に疑問を抱くのですが、津川は手術の腕が抜群で、津川がいなけりゃ助からない患者も実在するんですね。おまけに意外に人間クサイ部分も見え隠れし、ドラマが後半に進むにつれて、津川が〝こうなる〟理由が、自然な形で視聴者に理解できるようになります。

私は毎週、ドラマを観ながらハラハラ・ドキドキさせられるんですが、観終わるたびに胸の奥が熱くなるのを感じたものです。そして、「嗚呼、僕も将来、こういうドラマが描ける物書きになりたい!」と強く願ったり、……しました。高橋玄洋のみならず、売れっ子脚本家のシナリオ集を手に入れて、勉強のためにト書きや台詞を〝そのまま〟書き写すという文体模写をし始めたのも、この頃でしたかね。

このたび谷村の急逝の報が、各TV局のニュースや報道バラエティ番組に採り上げられた際、いずれもBGM代わりに『冬の稲妻』や『チャンピオン』、『昴』を流してましたけれど、私が真っ先に口ずさんだのは、この『青年の樹』でした。

同時に、久しぶりに『野々村病院……』のドラマを観たくなりました。you-tubeを探っていましたら、こんな動画が1本、アップされています。

これは、私があらすじを記した『野々村病院物語』ではなく、高視聴率を得て翌年に制作された「パート2」のバージョンでして、キャストはほぼ一緒なのに、役名も役柄もまるで異なるという、現在じゃとても考えられない手法が、当時のドラマ制作ではまかり通っていたんですね。

白血病で早逝した夏目雅子の、女優としての演技と貴重な歌声が観られます。ふうむ、デジタル時代の良いところは、こういう映像が(僅かですけれど)令和の時代にも拝めること、……ですかね。

谷村新司、夏目雅子、ご両人に改めて合掌いたします。

22歳になれば

今回、湿ったセンチメンタリズムで稿を終えるのは、明るいエロ話が大好きだったチンペイさん(谷村のあだ名)に失礼な気もするので、最後にもう1曲、ご紹介しておきましょう。

こちらも……、おそらくは皆さん、ご存知ないでしょう。でもシングルカットされた曲としては、『青年の樹』よりは遥かに売れまして、売上枚数は27万枚以上! 当時、フジテレビの生放送の歌番組、「夜のヒットスタジオ」に出演して谷村が歌唱するのを、私はこの目で観ています。

が、周囲の親しい数人に訊いてみても、誰もが「えー、知らない!」と言う、昭和58年10月1日発売の『22歳』(作詞&作曲:谷村新司)です。

当時、私は大学4年生でした。誕生日が11月6日ですので、「夜ヒット」で初めてこの歌を聴いた時、まだ二十歳で21歳になる直前だったわけです。

歌詞の中の ♪~やさしさとか愛だとか 綺麗な言葉など 信じれる程 若くはない それは知っていたけれど~♪ というフレーズを聴いて、

「え~ッ、あと1年で僕も、こんな心境になるんだろうか? そうか22歳は、もう若くないんだな」
「嗚呼……そうか、あと1年で若者じゃいられなくなるんだな」

そう強く意識され、背中に嫌な汗が滲んだ記憶が、今でも鮮明によみがえります。

加えて、曲の冒頭の ♪~白いシーツをまきつけ 背中でサヨナラの~♪ を、この目で観たくて、……そのためにはまず、まともな恋人というか、要するにそういう光景を具現化してくれる彼女を見つけなきゃいけない、と。彼女を見つけて、ヤルことをヤッて、そのうちにお互いに飽きが生じ、最後に二人で過ごした朝、自分の裸体を白いシーツで隠して背中を向けた彼女が、無言ながら背中で「さよなら」を告げるのを、僕は少し離れた距離で、わざと不味そうな顔をして煙草の紫煙をくゆらせながら、しみじみ受け止める。

嗚呼、そんなストーリー……、それこそ高橋玄洋ばりに自分のオツムの中では、幾つも幾つも妄想として浮かぶのです。が、実際の「僕」には、クリアせねばならぬハードルが無数にあることに気付かされ(そもそも煙草は吸えないし)、さらに嫌な汗が掌にじんわり滲んだものでした。

あれから丸々40年。髪の毛はとっくの昔にハゲ茄子状態。なのに「やさしさとか愛だとか」の本質を、いまだに知ることも叶わず、そりゃ「ヤルことをヤる」女はカミサンを含めて数人、経験しましたけれど、「白いシーツをまきつけ 背中でサヨナラ」をして来た相手は、女ではなく22歳の美青年だった、と。

ま、令和のコンプライアンスもありますので、この辺にしておきましょう^^;。かつて昭和時代の後半に、深夜放送で聴いた谷村のエロ話に比べりゃ、甚だお粗末様でございます。

♪~白いシーツをまきつけ 背中でサヨナラの
悲しい別離を感じてた 窓の外は光る海
やさしさとか愛だとか 綺麗な言葉など
信じれる程 若くはない それは知っていたけれど

22歳になれば少しずつ 臆病者になるわ
何故かわかる? 貴方

私の髪の煙草の匂い 消えるまでの思い出ね
私の髪の煙草の匂い 消えるまでの思い出ね~♪

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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