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稲垣潤一 その2

昭和歌謡_其の94

80年代「シティ・ポップス」歌手=稲垣潤一の光と陰 (後編)

 『クリスマスキャロルの頃には』

by 稲垣潤一

大先生の産声

前回コラムのおしまいの方で触れましたが、稲垣の3枚目のシングル曲『ドラマティック・レイン』が、爆発的に大ヒット!したことにより、歌詞を書いた 秋元康は、メジャーランクの作詞家として大いに音楽業界に名前を売ることになりました。

秋元は高校時代から放送作家をしていましたが、作詞家になりたくて、作品を書いては様々なレコード会社に持ち込んでいたんですね。ようやくアルフィーの シングル曲のB面で、念願の作詞家デビューを果たしたものの、少しも売れな かった、……そうです。

そんなタイミングに、知り合いのレコード会社のプロデューサーから、稲垣の3曲目の制作の話を聴きます。作曲を依頼された筒美京平からメロディが上がり、当初、予定していた作詞家が書いた歌詞も上がってきた段階で、どうやら稲垣が難色を示したようだ、と、急遽、コンペになったので「お前も出してみた ら!」てなところでしょう。

スタッフ協議の結果、秋元の書いた歌詞に決まった! その時、一番〝推し た〟のは稲垣だったそうです。この経緯もあり、秋元康にとって、稲垣潤一は「大」の付く恩人なわけです。

今や音楽業界の枠を軽く飛び越え、芸能界のドンと化す秋元大先生。ここ数年、年2回、春と秋の番組編成時には、地上波民放テレビ局のどこかで必ず、秋元が「企画制作」の連続ドラマやバラエティ番組が、いくつもスタートします。 ネット系放送局ではさらに多くの数の番組に、秋元が絡みます。

こんなに偉くなり〝過ぎた〟現実を、秋元自身、どう捉えているか? 私には想像すら出来ませんけれど、本人が意識しようがしまいが、彼の「周囲が放っておかない!」立場に君臨してしまったことだけは、確かでしょうね。

似た例で、つい最近、山下達郎が11年ぶりに新アルバムを制作し、発売されました。熱狂的ファンでなくても、音楽好きの老若男女にとって、まさに「待ちに待った!」アルバムの出現です。

〝この〟プロモーション絡みで、ラジオのニッポン放送の伝説的長寿深夜番組である「オールナイトニッポン」に、ほぼ46年ぶりに生出演した……んだそうですが、達郎が局舎に入る際、玄関脇にニッポン放送の社長、取締役、その他諸々の、達郎いわく「お歴々の顔ぶれが大勢、お揃いになられ」て、「局のフロアに まっすぐ2本、列が出来上がり、私はその真ん中を通って歩く」のだけれど、その心境は「赤絨毯こそ敷かれてないものの、美空ひばりになった気分だった」……と。

達郎は持ち前の饒舌なトークの中で、その時の様子をやや〝茶化して〟リス ナーに伝えたんですって。達郎が、そんな〝お出迎え〟を本音で「当然だ!」と 感じたか? 「予想外だ!」と感じたか? は、本人に訊いてみなけりゃわかりませんが、達郎の意志など抜きに、「周囲が放っておかない!」ことだけは事実 のはずです。

じゃあ、現在の稲垣潤一に、いや、〝ここ20年ほど〟の彼に、秋元や達郎と同様の「周囲が放っておかない!」空気が存在するか?

そんなはずがねぇじゃん。という勝手な〝決めつけ〟を前提に、稲垣潤一の活動を検証してみよう! というのが、今回のコラムの狙いです。

――というのも、私の知る限り、稲垣の知名度、認知度は、意外なほど悪いんですよねぇ^^;。

同種の曲調の〝匂い〟がするシティーポップス系の後輩歌手、徳永英明であれば「あー、わかる!『壊れかけのRadio』でしょ」と即答してくれるケースが高いのに、「じゃあ稲垣潤一は?」と問えば、「ン? イナガキ? えーと、 何を唄ってたヤツだっけ?」と、〝反応〟が実に冷たい。

確かに、〝ここ20年ほど〟の稲垣潤一は、どこでどんな歌手活動をしているのか? ほとんどマスメディアに〝顔〟を出していない、……気もします。

ま、ミモフタモナイ比較をしますと、徳永は、顔立ちもイケメンですし、声質も女性ファンをしっかり掴んで離さないほど、なんともセクシーな印象が強烈 な……タイプの歌手です。片や稲垣はイケメンどころか、なんか野暮ったいで しょ、ルックスも話し方も(笑)。稲垣のファン層の主軸が、女性ではなく、彼と 「同世代の男性だ」いうデータも、理由はそんなところにあるのかも? と感じてしまいます。

ただ唄う人

かつての人気歌手が、自分が唄う現場を離れて、作曲や編曲、あるいは後輩歌手のプロデュースに転じて、〝そちら〟の世界で超ビッグになっている例も、 多々ありますけれど、稲垣は作詞も作曲もしません。後輩歌手のプロデュー スもしません。「ただ唄うだけ!」です。

……などと書くと、昭和歌謡史を彩る、あまたの歌手のお歴々が激怒しましょうけれど、ことニューミュージック系の歌手に限っていえば、事実として「ただ唄うだけ!」の〝元売れっ子〟は、ほぼ、いつの間にか音楽業界から消えています。

ところが稲垣は「ただ唄うだけ!」なのに、……消えないんですねぇ、不思議なことに(笑)。

その大きな理由は、「80年代デビュー組」のニューミュージック系歌手の中では、彼は、ベスト5に入るほどの〝売れっ子〟でした。いやぁ、お世辞ではなく、掛け値なしの事実でしょう。昭和57年のデビューから、20曲目のシングルを 出した平成2年まで、常にオリコンチャートの100位以内を死守して来ましたか らね。

オリジナルのアルバムに関しても、昭和61年3月1日発売の『REALISTIC』から、平成元年4月19日発売の『EDGE OF TIME』まで、1年に1枚ずつ、4年連続 でオリコンチャートの1位を獲得! この実績は文句なく偉大です。

平成3年以降、急に売れ行きの〝落ち込み〟が酷くなりましたけれど、これは全ての歌手にとって、いや音楽業界のみならず、全ての業種において【同じく】 でありましてね。少しも前向きに「モノが売れない!」時代……、平成の「失われ た20年」に突入しますから、かく言う私も、取引先の出版社が、笑っちゃうほど 次から次へと潰れまくりました。

けっこうな数の〝元売れっ子〟歌手が、1人、また1人と消えていく中で、稲垣潤一は決して消えません。しばらく低迷期を我慢すると、ひょんなタイミング に、「稲垣潤一死なず!」と言わんばかりの奇跡的な大ヒットに〝ありつける〟 んですね。

彼の27枚目のシングルで、平成4年10月28日発売の『クリスマスキャロルの頃 には』(作曲:三井誠)は、タイトルに聞き覚えがなくても、冒頭の部分 ♪~ クリスマスキャロルが 流れる頃には~♪ を聴けば、すぐにピン!と来る…… でしょ?

♪~クリスマスキャロルが流れる頃には
君と僕の答えもきっと出ているだろう
クリスマスキャロルが流れる頃には
誰を愛してるのか今は見えなくても

この手を少し伸ばせば 届いていたのに
1mm何か足りない 愛のすれ違い
お互いをわかりすぎていて
心がよそ見できないのさ

クリスマスキャロルが聞こえる頃まで
出逢う前に戻ってもっと自由でいよう
クリスマスキャロルが聞こえる頃まで
何が大切なのかひとり考えたい~♪

オリコンチャートの第1位に数週間、輝いたのはもちろん、カラオケのクリス マスソングの人気曲として、令和の現在でも歌い継がれるほど、カラオケファンに愛され続ける楽曲になりましたよね。稲垣の歌手人生、最大の〝バカ売れ〟作品でして、ちなみにこの楽曲の歌詞も、秋元康が手掛けています。

さらに時代が進み、オリジナル楽曲のシングル制作が〝ほぼ〟進まなくなった 平成20年……。実際、さほどマニアでない歌謡曲ファンたちの関心から、稲垣潤一 の存在は〝消え〟ました。

が、おそらくは彼を取り巻く制作スタッフの面々が、メチャメチャ優秀なんで しょうね。その1人に、秋元康の名前は絶対に欠かせない!はずですし、秋元自身も、自分をメジャー作詞家に〝成り上がらせて〟くれた、稲垣に対する恩義は少しも忘れていないように思われます。

稲垣潤一死なず!

今回の「稲垣潤一死なず!」の戦略は、昭和歌謡の人気楽曲のカバーアルバムの企画、それも女性歌手とのデュエットでした。

まぁ、昭和時代のビッグネームの歌手による、昭和歌謡のカバーアルバムの企画自体は、古くは平成6年に中森明菜が『歌姫』というアルバムを発売し、メ チャ話題になったのが〝きっかけ〟ですかね。それに味をしめたのか? 平成14 年に発売の第2弾『-ZEROalbum- 歌姫2』以降、彼女の歌手活動は、正直〝コ レ〟と会員向け限定ライブだけで、十二分に「喰っていける!」ほど爆発的な セールスを記録しました。……し、德永英明も、平成17年に『VOCALIST』の第1弾 を出し、こちらも爆発的なセールスを記録しました。

……ので、稲垣の昭和歌謡のカバーアルバムは、しょせん○番煎じの真似っ子であり、「明菜も徳永も売れたなら、イッチョウ俺だって!」ってもんでしょ。本音ではね。安易といやぁ安易ですけれど、

ただ、稲垣の〝コレ〟が興味深いのは、女性歌手とのデュエットだという点で す。他の〝元売れっ子〟歌手の制作スタッフには考えつかない、画期的なアイデ アだと私は思います。

自分がスターである!自覚が強ければ強いほど、歌手としての自分の人気度と、デュエットを組む相方の〝それ〟との差異を、比較しなきゃ嘘ですよ。猛烈に気になるはずです。いざアルバムを発売し、ネットに「稲垣は聴きたくないけど、○○とのデュエットなら、ぜひ聴いてみたい」」とかなんとか書き込まれた ら、スターの経歴に傷が付きますからね。

稲垣は、というより、稲垣の制作スタッフは、どうやら「そんなこたぁ気にし ない!」タイプのようです。いや、むしろ、デュエットの相方の人気度を、アルバムのセールスに利用してやろう……ぐらいのことを考えていたかも? しれませ ん。ひょっとして、この辺りの発想、秋元康の入れ知恵かも? などと勘ぐってしまいますが。

舞台裏の事情はよくわかりませんが、『男と女 -TWO HEARTS TWO VOICES-』シリーズの第1弾が、平成20年11月19日に発売され、制作スタッフの期待どおりに、このアルバムは話題になりましたね。いやはや、まさに「稲垣潤一は死なず!」でしょう。翌年以降、第2弾、第3弾、……平成15年発売の第5弾まで続きます。

実は私も、このアルバムを買いました。関心を持った楽曲が数作品、入ってい たものですから。小柳ゆきとのデュエットで、杏里の『悲しみがとまらない』 (作詞:康珍化/作曲:林哲司)……。太田裕美〝本人〟とのデュエットで、『木綿のハンカチーフ』(作詞:松本隆/作曲:筒美京平)……。中森明菜とのデュ エットで、稲垣自身の『ドラマティック・レイン』(作詞:秋元康 作曲:筒美 京平)……。

 

だいぶ前のコラムにも書きましたけれど、昭和歌謡の魅力の有無は、かなりの部分、編曲家のアレンジ手法の巧みさや斬新さに左右されます。

特にカバーアルバムであれば、楽曲の出来不出来は100%、編曲家の腕次第!  聴き慣れた原曲のメロディの印象を、良い意味で「大きく裏切ってくれる」ことを、身勝手ながら、多くのリスナーは猛烈に期待するわけです。

その点、このアルバムは「お見事!」でした。個人的には、明菜との『ドラマ ティック・レイン』に惚れましたよ~。一聴の価値があるでしょう。

「秋元くん」で炎上

今回のコラムは、前々回に取り上げた徳永英明との残酷な比較で、昭和時代に 超が付くほど売れまくった稲垣が、落ち目になって久しい、という話を書こうと思ったのですが、タイトルに偽りあり(笑)! 少しも稲垣は、落ち目じゃないじゃん。てな結論になってしまいました。

今年の3月30日には、デビュー40周年の記念アルバム『稲垣潤一 meets 林哲司』も発売されました。10枚目のシングル『1ダースの言い訳』や11枚目のシン グル『思い出のピーチクラブ』を作曲した林哲司の作品の、ニューアレンジ録音をメインに、録り下ろしの新曲も2つ、収録されているようですね。

数年前、ラジオ番組の生放送でしたか? 稲垣が出演した際、『ドラマティッ ク・レイン』の制作当時の話を振り返りつつ、作詞を担当した秋元康のことを、 ごく自然な言い方で「秋元クン」と発したそうで。これをネット住民が「まさ か? 天下の秋元康大先生を、今や『誰それ?』的な存在の稲垣潤一が、クン呼 ばわりしたぜ!」と取り上げたため、ちょいと炎上したんですね。

ネット情報では、その炎上を気にした稲垣は、あえてコメントを出さなかったものの、その直後、何かのイベントで秋元と同席した稲垣は、「クン」ではなく 「秋元さん」と呼んでいた、……と、これまたネットで〝ちょいと〟炎上したみたいです。

今回のコラムを通して、好き嫌いはともかくとして、稲垣潤一は、秋元康をクン呼ばわりしたぐらいで「何の文句がある?」と吠えたいぐらいに、素晴らしいキャリアを持つ〝売れっ子〟歌手であることを、私も悟らされました。……スミマ セン^^;。

もっとも、この「クン呼ばわり」の話、例の口腔科ドクターの林にかかりゃあ、こうなります。稲垣にも秋元にも「1ミリも興味がない!」ことを前提に、 私に「どっちが年上なんだ?」と訊き、私が「そりゃ稲垣だよ」と答えた途端、

「バカ野郎、だったらクンで当然だろうがよ。秋元がいくら売れていようと、そ んなの関係ねぇ。秋元クン。稲垣は、何も間違っちゃいないんじゃね」

おあとがよろしいようで。

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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