水原弘とザ・ピーナッツ
昭和歌謡_其の八十八
「歌詞とメロディが1つになっていた」時代・その①
『黒い花びら』by水原弘
『ふりむかないで』byザ・ピーナッツ
〝おミズ〟
2022年の新春、明けましておめでとうございます。
小正月も過ぎ去った今、遅ればせながらの年頭のご挨拶。
今年もどうか当コラムをご贔屓に願います。
前回の拙文に、NHKの朝のドラマ『カムカムエヴリバディ』の話題を取り上げました。
昨年末あたりから、物語の舞台は、主人公の生まれ故郷の岡山から大阪に移り、時代も一気に飛び、年明けからは昭和37年、つまり私や歯科コラムを載せている林が、ジャスト生まれた年の出来事が描かれております。
主人公の「るい」を、久々ながらテレビドラマに出演の深津絵里が演じておりましてね。〝岡山を捨てた〟彼女は、大阪の繁華街にあるクリーニング屋に、住み込みで働いているのですが、1月11日の回だったでしょうか、彼女が銭湯ではなく、いわゆる内湯に浸かって出て、濡れた髪をタオルで拭くシーンが登場しました。
まだ、当然ながら、一般家庭にドライヤーなど無く、……と書いてみて、いや待てよ。ひょっとして? と調べてみましたら、実はドライヤー、すでに戦前の昭和10数年には発売されていたんですね。翌々年の昭和39年は、1回目の東京オリンピックが開かれた年で、この前後から日本人の生活は急速に〝リッチ〟になりまして。昭和40年以降にドライヤーも、ごく普通の感覚で、多くの日本人の自宅の洗面所に置かれる、生活必需品になった……のだそうで。
ドラマの舞台が大阪の中心部、一番賑やかなエリアってこともありますが、街のいたるところに、さまざまな流行歌が流れます。
私の耳に一番印象的だったのが、水原弘の『黒い花びら』(作詞:永六輔/作 曲:中村八大)でしょうかね。
楽曲の発売は、昭和34年7月でして、爆発的に大ヒットし、同年に新設された 『日本レコード大賞』の第1回大賞に輝きましたから、3年後の昭和37年には、 日本人のほとんどが「この歌」を認知していたはずです。
♪~黒い花びら 静かに散った
あの人は帰らぬ 遠い夢
俺は知ってる 恋の悲しさ 恋の苦しさ
だから だから もう恋なんか
したくない したくないのさ~♪
昭和歌謡・全盛期の大スターである、通称〝おミズ〟こと水原弘の、まぁ、使 い古された物言いを借りるならば「栄光と凋落」の、あまりに極端な落差については、ネット上に膨大に披瀝されている、まぁ有る事無い事、無い事無い事……の ゴシップ記事の数々をご覧いただくことにし、私は控えておきます。
なにしろ、この、流行歌手としてのデビュー曲にして、昭和歌謡史に遺る名曲、かつ〝おミズ〟の輝かしき看板ソング!! ……の大ブレイク当時、私はわずか3歳ですからね^^;。現在、知り得ている情報は、すべて誰かの受け売りです。
ただ、1つだけ明確に言えるのは──、「凋落」の主因が、明らかに「お酒」だったということ。酒豪を気取りつつ、相当に酒癖が悪かったらしいですから。 元々、アルコールを受け付けない体質の癖に、可愛がってもらった勝新太郎の呑みっぷり、夜の酒場の豪遊ぶりに憧れてしまい、無理に酒を覚え、酒に溺れ、…… 体がボロボロなのに、酒が止められず、ついに最期は肝臓の末期癌だか肝硬変だか。大量に血を吐いて42歳、男の大厄の年におっ死んでしまいました。
早逝する数ヶ月前、〝おミズ〟は入院中の病院を勝手に抜け出し、生放送のフジテレビの番組『3時のあなた』に、アポ無しでゲリラ出演したんですね。年月日は忘れたのですが、私は高校1年生だったかな? たまたま自宅のテレビで、 この様子をリアルに観ています。
司会の森光子も、演技抜きに、おったまげてしまい、「水原さん、アナタ、大 丈夫なの? どうしちゃったの?」と、かなり狼狽して接する中で、〝お水〟は、もはや死相が出まくり、放送禁止としか言えぬ風貌で、「僕は大丈夫。まだまだ死ねない。テレビの前の皆さんに、元気になった僕の歌声を聴いてもらいたい」……とかなんとか、詳細はうろ覚えですが、そんなようなことを口走りまし た。そして1曲、『黒い花びら』と並ぶ、看板ソングの『君こそわが命』を、当然ながら伴奏の用意はないですから、アカペラで唄った……記憶が鮮明に残ってい ます。
全盛期の美声も迫力ある声量も、哀しいほど再現出来ず、生意気盛りだった当時の私は、目の前の16インチのテレビ画面に向かって、「コイツは何をやってんだ!? 水原弘って、ただの馬鹿だったのね」と、はなはだ失敬な言葉をぶつけてしまった次第。
水原弘が、人間として馬鹿だった!! という私の評価は、昔も今も変わりませ んが、この『黒い花びら』という楽曲の評価は、成人した私が、カラオケで歌唱チャレンジしてみて初めて、素人が唄うにはあまりにハードルが高い難曲であることを知り、作曲した中村八大の偉大さと、〝お水〟の圧倒的な歌唱力に改めて感服させられました。
著名なジャズ・ピアニスト出身の中村八大が紡ぎ出すメロディは、聴いているだけなら、いかにも単純げに思えるんですね。でも、音符のつながりが少しも、 従来の歌謡曲の〝オキマリ〟な進行をしていません。ジャズの楽曲の進行なのでしょうね。本来ならトランペットやサックスが演奏する、歌詞のない楽曲(インスツルメンタル)に、永六輔が無理やり歌詞を付けた、……わけです。
こんな難しい〝歌謡曲〟を、水原弘のレコードデビュー曲にするなんて、 コード会社のスタッフも意地悪だなぁと思いきや、〝お水〟はデビュー前、すでに進駐軍のクラブなどで、原語で著名なジャズナンバーを唄いまくって来たの で、この程度のメロディなんざ「朝飯前だぜ!!」ぐらいの意気込みだったので しょう。いやはや、とにかく『黒い花びら』は、素人がカラオケはおろか、鼻歌で口ずさむにも難しい楽曲でした。
売れる歌謡曲のオキマリ
そこ行くと、同じ昭和37年2月に発売された、ザ・ピーナッツが歌唱の『ふりむかないで』(作詞:岩谷時子/作曲:宮川泰)は、素人でも「ちょいと唄って みようかな?」という気にさせる楽曲ですね。
発売後、すぐに大ヒットしましたし、朝ドラのBGMがわりに、クリーニング屋の居間のテレビやラジオ、隣近所のさまざまな店舗内から、軽快なメロディに 乗って、 ♪~ふりむかな~はぁは~い~で~♪ と、息もピッタリ、音の高低のハモりもピッタリな、姉妹デュエットが聴こえて来ましたよ。
♪~Yeah Yeah Yeah Yeah……
ふりむかないで お願いだから
今ね 靴下なおしているのよ
あなたの好きな 黒い靴下
ふりむかないで お願いだから
今ね スカートなおしているのよ
あなたの 好きなタータンチェック
これから仲良く デイトなの
ふたりで語るの ロマンスを
ふりむかないで お願いだから
いつも腕をくみ 前を向いて
きっとね 幸せつかまえましょう
Yeah Yeah Yeah Yeah……
2人の歌声は、あまりといえばあまりに美しすぎて、……でも、〝売れる歌謡曲〟の、オキマリの特徴で、つい、ほんの軽い気持ちで「♪~Yeah Yeah Yeah Yeah~♪」と、鼻歌まじりに唄ってみたくなるのでしょう。ドラマの登場人物も、何か作業をしながら、ついつい〝それ〟をやっているシーンが、私にはとても微笑ましく感じます。
この「ちょいと鼻歌」は、昭和時代、どこでも誰でも無意識にやっていたことで、少しも珍しくありませんでしたが、令和の現在、大人はもちろんのこと、子供も、遊んでいる時に何かしら、自分が好む歌を口ずさんでいる姿を、ほぼ観なくなりました。
私は、このコラムに何度か、自分が大好きになる歌謡曲は、決まって「風呂の 湯船に浸かっている時に、無意識に鼻歌が出ちゃう……ような楽曲である」と書きました。
その事実に間違いはないのですが、数日前、朝ドラを観ていて、ハッと気付かされたのです。
闇夜でしか聴こえぬ歌がある
深津絵里と恋仲になる、ジャズ・トランペッター役のオダギリジョーとが、 デートで映画館に行くのですが、観た作品は時代劇で、モデルは誰になるので しょう? ナントカ殺法を編み出した侍が、敵を切り捨てる前に、必ず口にする台詞がありまして。
「闇夜でしか見えぬ月もある。闇夜でしか聴こえぬ歌もある。黍之丞見参!!」
ジョーは、この言葉にいたく感応するのです。
「僕のトランペットは、正直、華やかさに欠けるけれど、でも闇夜に聴けば、 きっと多くの人々の心に届く。感動させられる」
ずっと悩み続けて来た答えが、〝そこ〟にあった!! と、彼は時代劇の台詞から、これから先を生きる、ジャズプレイヤーとしての自分の道を、初めて明確に認知するのです、……が。
私は私で、このシーンを観終えて、1つハッキリと再認識させられたことがあ りまして。
暗い夜道を1人歩いていて、周囲に誰も行き交う者もない。心細いというか、 生理的に誰しも、多かれ少なかれ「怖ぁ~い」と感じますよね。
そんな自分に檄を飛ばすがごとく、励ますがごとく、無意識にぽろりと口から放たれる歌のフレーズ!! 朝ドラでいえば、まさに、ザ・ピーナッツの ♪~ふり むかな~はぁは~い~で~♪ ですが、〝それ〟こそが、〝そんな鼻歌〟こそが、 私にとって「愛すべき歌」ってことになるのだ、……と。
時代は変われど、私同様、夜道を一人歩きする際に、生理的な恐怖を振り払い たいがごとく、昨日も今日も、そして明日も、全国の至るところで誰かしらが、 自分にとって「愛すべき歌」を、つい……無意識に口ずさんでいるはずです。
それは、私が文章指南をしている塾の生徒たちも一緒のようで、受験間際の中学3年男子に、「お前が自分を励ますために唄う鼻歌は、何だ?」とと訊くと、 普段は流行りの韓国系ヒップホップだそうですが、鼻歌となると、「けっこう昔の歌だよ。こぶくろとか、もっと古いとスピッツとかミスチルとか」……を唄うのだと。
反射的に私は嬉しくなり、「そうか、お前たちもスピッツやミスチルを唄うの か。でも俺にとって、どちらも少しも古くないけどな」と苦笑してから、
「どうしてお前の鼻歌は、流行りのヒップホップじゃないんだ?」と、たぶん 〝おおよそ〟答えが予測される質問を投げかけたところ、案の定、彼から返って来た言葉は、
「だってヒップホップって、聴く分には楽しいけど、唄ってみると、なんか面白くないし。スピッツの曲は歌詞とメロディが1つになっているから、つい唄っちゃう。昔の曲って、なんかイイよね。アノ歌を創った人、マジ天才だよ」
ふうむ、……コイツぅ、ガキの分際で、「歌詞とメロディが1つになっている」 とは、うめぇこと言いやがる!! と、私は感心してしまいました。
昭和歌謡史の流れで視ますと、私が生まれた昭和37年前後から、2年後の東京オリンピックを経て、昭和40年代中頃ぐらいまでが、いわゆる歌謡曲の全盛期に あたりまして、カラオケなど想像もつかぬ〝その時代〟に流行った歌が、巷のあちこちから漏れ聞こえ、街の空気と一体化して、全国に住まう老若男女の鼻歌とともに、次の世代、また次の世代と唄い継がれていく。
歌謡曲の効用……というと大げさですが、人々が口ずさむ歌は、確実に〝それ〟 を唄う自分にとって、何かしら、大切な役割があるのです。たかが歌謡曲、されど歌謡曲。歌で人生が救われること【も】、大いにある!! と私は信じます。
少なくとも、私の家族はそうでした。四畳半二間の貧乏所帯でありながら、 日々、なんとかギリギリ明るく前向きに生き抜いて来られたのは、「鼻歌で唄える流行歌が、数多くあったから」です。
それを可能にしているのが、どの楽曲も「歌詞とメロディが1つになってい る」という事実です。「1つになっている」からこそ、歌詞カードなんざ見なくても、さして何度も聴く必要もなく、知らず「覚えちゃう!!」のでしょう。
逆にいうと、……まぁ、以下はあくまで乱暴な私論ですが、
〝たかが歌手〟が偉そうにアーチストを名乗り、自意識の高さだけが売りのような、自慰行為そのもののごとく歌詞を巷に垂れ流すようになってから、また何故か〝それ〟が爆発的に売れてしまうため、いつしか街から人々の鼻歌が消え去 りました。結果、毎週毎週オリコンチャートの1位に輝く楽曲は、音楽オタク以外、誰も「知らない!!」……ってな状況になってしまった。
次回も引き続き、私の昭和歌謡全盛期=私の幼少時代のヒット曲をご紹介しな がら、アノ時代の【空気】を、様々な楽曲とともに蘇らせましょう。
勝沼紳一 Shinichi Katsunuma
古典落語と昭和歌謡を愛し、月イチで『昭和歌謡を愛する会』を主催する文筆家。官能作家【花園乱】として著書多数。現在、某学習塾で文章指導の講師。