長谷川きよし 後編
昭和歌謡_其の五十一
春が来れば想い出す。「親父の命日と長谷川きよし」【後編】
『死者のカルナヴァル』
別れのサンバ』や『黒の舟唄』などのヒットや、若い時の彼を、永六輔がさかんに〝引き立てた〟こともあり、マスコミ的にも盲目のシンガー・長谷川きよしの名前は認知されました。
ただ、音楽業界のプロの〝評価〟とすると、彼が演奏するラテン系ギターの芸術的技法、超人的なテクニックの方が上回っていますかね。世界各地の著名ミュージシャンの間でも、ギターリスト【Kiyoshi Hasegawa】の名前は、かなり知れ渡っています。
もっとも本人は、かなりの硬骨漢、偏屈といっても過言じゃないオッサンらしくて、ですね……、「私はギターリストなんかじゃない。歌手だ!!」と、過去あちこちの番組やライブで、そう【吠えて】いますがね。
そんな長谷川きよしのナンバーに、さほど世間では知られていませんけれど、『死者のカルナヴァル』(アルバム『Acontece』に収録/平成5年5月26日発売/作詞:津島玲/作曲:長谷川きよし)があります。(※カルナヴァル=フランス語で謝肉祭のこと。英語ではカーニバル))
♪~2月の寒さに 人通りも絶え
夜は更(ふ)けて 街中(まちなか)の公園に
何処(どこ)からともなく やってくる 白い影の群れ
月蒼く冴(さ)え 今夜は死者のカルナヴァル
生き急ぎ 死に急いだ 死の選り人(エリート)たち
かつて愛をささやき 怒りの拳を振り上げた公園で
宴(うたげ)にぎやかに ひそやかに
生への未練と誇りを集め 今夜は死者のカルナヴァル~♪
じつは私、脳天気と言いましょうか、若い頃からけっこうな回数、長谷川きよしのCDをBGMがわりに、自宅の仕事場でかけまくって来ました。特に、この『死者のカルナヴァル』なんぞは、鼻歌まじりに唄っても来ましたけれど……。
メロディが気に入っていただけで、さして歌詞の内容に関心を向けなかったんですね。
親父の死後、大学時代から付き合いのある、ロック系の音楽プロデューサーをしている友人に、長谷川きよしのCDを1枚、プレゼントしたんですね。「まだ一度も(長谷川の楽曲は)聴いたことがない」と言うので、
「だったら、取っておきの1曲があるんだよ。メロディが、メチャメチャ格好良くてね!!」
とかなんとか、『死者のカルナヴァル』が入っているアルバムを、コピーして……。このくだりを、私が書いた小説の中から引用します。友人の名前は、権堂(ゴンちゃん)になっています。
親父の葬式を無事に済ませた後、「お父さんの話をじっくり聴かせてくれ」という権堂のリクエストに従い、男2人、丹沢湖畔の安い温泉宿に1泊する……、その宿へ向かう道すがら、権堂が運転する車中での会話です。」
★ ★ ★
激しく叩きつける情熱的なラテンギターの調べと、ヴォサノバのリズムを刻むズズンと腹に響くパーカッション。ほどなく長谷川きよし特有の、天に届けとばかりに伸びやかで艶やかな歌声が、たちまち車内の空気を占領する。
権堂の表情が変わった。恭一は「はて?」と思ったが、あえて気に留めなかった。
カーステレオのボリュームは、いつしかMAXに引き上げられた。
♪~2月の寒さに 人通りも絶え
夜は更けて 街なかの公園に
どこからともなくやってくる 白い影の群れ
月蒼く冴え 今夜は死者のカルナヴァル~♪
恭一はうろ覚えの鼻歌を、長谷川きよしの声にジョイントさせた。
「これさ、最近ネットで購入した、長谷川きよしのベストアルバムの中に入ってたんだけど。俺、一発で気に入っちゃってさ」
♪~生き急ぎ 死に急いだ 死のエリートたち
かつて愛をささやき
怒りのこぶしをふりあげた 公園で
音もなく ほほえみあふれ ゆらゆらと舞い踊る~♪
「コンヤハ シシャノ カルナヴァル」
恭一は進行方向をまっすぐ見つめながら、間奏のメロディを口三味線で真似し、陽気に体を揺らしまくった。
「う~ん、やっぱ、長谷川きよしはいいなぁ」
脳天気にも、ひとりごちつつ運転席の権堂をうかがうと、彼は泣いていた。それも、すすり泣いていた。
「恭ちゃん、やめてくれよ。なんで今日、こんな曲を選んできやがった?」
問われた意味が、恭一にはわからなかった。
だいいち、彼はどうして泣いているのか?
「バカ野郎ッ!! これ、お父さんの歌じゃないか。街なかの公園で、夜な夜な死者たちが生前の宴を思い出し、酔いしれるがごとく舞い踊る……」
ハッとなった。
そうか、そうだった。
この歌のタイトルは、まさしく『死者のカルナヴァル』だ。
♪~はだかのこずえに 風吹きぬけて
ネオン光る 街なかの公園で
宴にぎやかに ひそやかに 生への未練と
誇りを集め 今夜は死者のカルナヴァル~♪
まぎれもなく戦前からの東京生まれ、かつ東京育ちの男が、渋谷にある大学に通い、銀座の広告代理店に勤め、夜な夜なネオンを追い求めて、有楽町界隈か新橋あたりの飲み屋を徘徊する。へべれけに酒に酔いしれ、家族を犠牲にしてまで手前勝手に人生に酔いしれ、最期は東京タワーにほど近い芝公園の草むらに眠る。一寛は、都会の真っただ中を生き急ぎ、死に急いだ、死のエリートというわけか。
でも、ちょっと待ってくれ。そりゃあ、あまりに格好が良すぎる。一寛は、そんなタマじゃねぇよ。断じて違う、そんなタマじゃ――。
「いや、ゴンちゃん、俺の親父はね」
恭一が言いかけると、
「ごめん、恭ちゃん、ちょっと……」
権堂の声にさえぎられた。
「駄目だ、これ以上、運転できない。涙で前がかすんで見えやしねぇ」
すぐ次の大井松田のインターを出れば宿まで至近だが、権堂の車はスピードを緩め、中井パーキングに入った。一番手前のスペースに車を停め、すかさずシートを倒して背中を丸めた。
「うぅぅぅ……、くそーッ、親父さん、マジに世の中への未練と誇りを、そっくりあの世へ持って行っちめぇやがった。くそーッ、くそーッ、うぅぅぅ……」
権堂は瘧(おこり)が起きたように全身を小刻みにわななかせ、鼻をすすりながら泣きじゃくる。
「うぅぅぅぅ……、うぅぅぅぅ……」
呪文にも似た低くかすれた呻き声は、急きたてるテンポのヴォサノバのリズムに奇妙に絡み合い、恭一の自意識をしきりに掻き乱す。
揺れる権堂の肉付きの良い背中が、これ見よがしに悲しみを訴えてくる。嘘でもその背中に、なにかを語りかけなければ、二度とこちらを振り向いてはくれないのではないか? けったいだが、そんな不安が、恭一の中に浮かんでは消えた。
でもゴメン。今の俺には、ゴンちゃんを振り向かせるだけの台詞は、なにひとつ持ち合わせていないんだよ。だって俺、ちっとも悲しくないんだもん。多少、早すぎたきらいはあるが、そう遠くない明日に、親父の最期、それもまっとうな死に方でない最期は覚悟していたわけで、いざその時を得て、ゴンちゃんのように号泣できる息子の人生を、悪いけれど俺は歩んでいない。いや、歩まされてこなかったんだよ。
権堂の背中をじっと見つめながら、無言で恭一はそう語りかけた。
★ ★ ★
このコラムの原稿を、パソコンのキーボードに叩き込む手を、ふと止めて、仕事部屋の隅に置かれたCDデッキに、長谷川きよしのアルバムをセットしました。曲を早送りし、改めて私は『死者のカルナヴァル』を聴いてみたのです。
目を閉じて、すっかり覚えてしまった歌詞を、メロディに合わせて鼻歌で口ずさむと、17年前の〝あの日〟の情景が、おのずと思い出されてきます。親父が野垂れ死んだ〝あの日〟。そして、ゴンチャンに泣かれてしまった〝あの日〟……。
平成15年の冬は、猛烈に寒かったですね。そして今年、令和2年の暖冬ぶりは、異常なほどです。半年ほど前でしたか、ふと思いつき、1人で芝公園をふらついてみたのですが、東京オリンピック開催を前に、親父と同じ立場のホームレスは、どこにも見当たりません。それどころか、ゴミ箱も撤去され、周囲を取り囲むように、数人の警官が四六時中、監視しています。
私は場違いにも、苦笑してしまいました。こんな無粋きわまりない場所では、死者のカルナヴァルどころか、若いカップルが、酔った勢いでキスすることすら許されないでしょう。
芝公園のみならず、現在、都内の中心エリアでは、海外から多数訪れるでありましょう、観光客たちに迎合し、病的なまでに「綺麗で美しく衛生的な東京!!」を演出しまくっています。
はたして親父が、『死者のカルナヴァル』の歌詞のごとく、♪~生き急ぎ 死に急いだ 死のエリートたち~♪……の1人だったのか? 私にも良くわかりませんけれど、1つだけ明確にわかることは、令和2年の今日まで、生き長らえなくて良かったなぁ、ということです。
親父のように、かつての東京の賑わい──、巷には粋でお洒落な店々が立ち並び、大人の嗜好的な自由というものが、当たり前のように〝ふんだんに〟許されていた時代──、の空気を愛した都会人には、その残り香すら綺麗さっぱり消え去ってしまった、面白くもクソもねぇ「わが街」など、許しがたいほど嫌悪したはず!! でしょうから。
今や「わが街」は、ただただ海外諸国からの観光客、オリンピック見物客のご機嫌を取るためだけ、さもしく観光客の豊かな懐を目当てに、見せかけだけキレキレイに、いやハッキリ無味乾燥かつ薄っぺらな景観へと、国を挙げて強権的に〝リフォーム〟が進んでいる真っ最中です。
冥界へ渡った親父にとって17年目の、暦の上だけの春到来。今あらためて「わが町」を眺め下ろし、胸に去来する想いは如何に?
「クソつまらねぇ世の中だけれど、どっこい、俺はまだ【こっち】で、やらなきゃいけないことがあるんでね」
親父の好きだった、サントリーの角瓶のオンザロックを、ちびりちびりと呑りながら、私はそう独りごちました。
追伸:
このコラムを書き終えたのは、1月の終わりです。その後の2週間に、わが国を取り巻く環境は、ただただ新型コロナウイルス感染の恐怖一色に染まりました。オリンピック開催までの、あくまで姑息な演出として、100%「綺麗で美しく衛生的!!」な街が作られつつある東京は、その対策をオチョクルがごとく、皮肉るがごとく……のコロナウイルスに、加速度的に街を汚されまくっています。
私が月1回、主宰しております「昭和歌謡を愛する会」の常連の面々は、私を含めて、オリンピック開催に異を唱える非国民ばかりでしてね。数日前に開かれた2月の会の冒頭、私は、次のように話しました。
「このまま上手く転べば、冗談抜きに、オリンピックは中止ですね。ざまぁ~みやがれってんだ(笑)!!」
数人の常連客から笑いがこぼれる中、1人、溜池山王で小料理屋をやっている、虎ノ門生まれの、口が猛烈に悪い若女将が、「それがさぁ、呑気に笑ってもいられないのよ」と、憤懣やるかたない表情で、まくしたて始めたのです。
「もうね、嫌ンなっちゃうわ!! コロナウイルスのせいでさ、ここ数日、会社がらみの宴会のキャンセルが続出よ。理由は、どいつもこいつも一緒。『社のトップの方針で、5人以上集まる宴席やイベントは、公私ともに中止せよ』だってさ。ちょっと大げさ過ぎない? 5人以上って言うなら、この会だって、即刻中止でしょうが? 勝沼さん、アンタ、この状況、どう乗り切る?」
どう? って問われましてもねぇ^^;。
ネット検索すりゃあ、出てくる出てくる、大小さまざまなイベント、宴会の中止の報が。高校受験のAO入試課題である「ディベート(集団討論)」まで、「不測の事態を鑑み」取りやめた学校もあるんだとか。
ふうむ……、ため息交じりに、先ほどテレビのスイッチを入れましたら、ちょうどNHKで国会中継の真っ最中。数日前、国民に向けて、コロナウイルス感染拡大を防ぐ意味で、「不要不急の会合は中止せよ」と命じた首相が、ピースボート出身の女性議員にガンガン責めたてられています。
彼女は独自に仕入れたネタで〝王手〟を狙うつもりが、脳天気な首相にゃあコレッポッチも響きません。やれやれ、与党も野党も例の「桜」騒動を、いつまで引っ張るつもりやら? われわれの受信料で成り立つNHKの電波で、われわれの税金で〝雇って〟いるはずの国会議員の茶番劇を見せられるくらい、時間の無駄もありません。
ひょっとして今、世の中で一番、不毛な会合、それこそ〝不要不急〟の会合って、「あんたらの議会なんじゃね?」と、テレビ画面に向けて独りごちてみても、すでにロバと化した首相の耳には、届きますまい。
勝沼紳一 Shinichi Katsunuma
古典落語と昭和歌謡を愛し、月イチで『昭和歌謡を愛する会』を主催する文筆家。官能作家【花園乱】として著書多数。現在、某学習塾で文章指導の講師。