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森田公一とトップギャラン

昭和歌謡_其の五十四

『青春時代』は、本当に夢なのかい?

『青春時代』

あの頃の『青春時代』

昭和時代のビッグアイドルの筆頭格でありました、われらが【真理チャン】こと天地真理の大ヒット曲、『ひとりじゃないの』(昭和47年5月21日発売/作詞:小谷夏/編曲:馬飼野俊一)や、アグネス・チャンのデビュー曲『ひなげしの花』(昭和47年11月25日生まれ/作詞:山上路夫/編曲:馬飼野俊一)を作曲した、森田公一……率いるトップギャランという音楽バンドが放った、カラオケの〝春の卒業ソング〟の定番、『青春時代』(昭和51年8月21日発売/作詞:阿久悠/作曲&編曲:森田公一)。

この、じつに耳に馴染みの良いメロディが、地元の駅前商店街の有線放送などで、ガンガンかかりまくっていたのは、私が中学3年生になったばかり、ちょうど今頃の季節でした。

♪~卒業までの半年で 答えを出すと言うけれど
二人が暮らした歳月を 何で計ればいいのだろ
青春時代が夢なんて あとから ほのぼの思うもの
青春時代の真ん中は 道に迷っているばかり

二人はもはや美しい 季節を生きてしまったか
あなたは少女の時を過ぎ 愛に哀しむ人になる
青春時代が夢なんて あとから ほのぼの思うもの
青春時代の真ん中は 胸にとげ刺すことばかり

当時、ブラスバンド部で、〝なんちゃって〟のトランペットを担当していた私は、中2の担任を兼ねていた音楽教師と、他の生徒以上に親しくしておりました。ある日の放課後、部活の帰り道、一緒に裏門を出ようとしたタイミングに教師は、ふと何を思ったか、

「最近、『青春時代』って歌が流行ってるようだが、私は嫌いだね。あんな歌……、鼻歌まじりにイイ気分で唄うようになったら、男もおしまいだ」

私に告げたのか? それとも独り言か? 判断のつきにくい台詞が、ぼそぼそと放たれたのです。かりに私に告げられたとして、まだ齢15のガキには、担任教師の御託宣めいた台詞の、本当に意味するところなど、理解できようはずがありません。

理解できぬまま、私は歳を重ねて行きましてね。すっかり頭髪が禿げナス同然となった現在、還暦までカウントダウン3つとなって、ようやく、つまりは俺の恩師は、当時、誰よりも青春という言葉を意識し、誰よりも〝その時代〟を、阿久悠が書いた歌詞通りに「いつも迷ってばかり」「毎日とげ刺すことばかり」だった──からこそ、その胸中を悟られるのを羞じらい、あえて「嫌いだ」と公言し、自分から遠ざけたんだな、と気付かされました。

それにしても、感受性が豊かだったろう、思春期真っ只中の〝季節〟に、かりにも信用していたはずの恩師に、あまりにハッキリと強く何かを説かれると、その内容の如何に関わらず、嫌でも記憶に絡みつきますわねぇ。トラウマになるほどに。

(そうか、この歌……、イイ気になって唄うべき歌謡曲じゃないんだ)

当時、超ヤンキー学校だからこその、〝下駄を履かせた〟優等生の私は、恩師の言葉を素直にそのまま理解し、以来、随分長いこと、カラオケで『青春時代』を唄いたくなるたびに、(いかん、いかん、唄ったら男もおしまいだ!!)と自分に言い聞かせ、衝動を抑えてきたのです。

その〝縛り〟が、いつの間にか、私の意識の中から消え、というより、そんなこと「どうでも良くなって」しまう年齢を経て、今や酔うほどに、カラオケに興じるほどに、いかにも朗々と、かつ大声で『青春時代』を唄いまくり、あまつさえ風呂場の湯船に浸かり、【鼻歌まじりにイイ気分で唄うよう】にもなりまして……。

現代版『青春時代』

何の因果か、私は下手な売文ではとっくに喰えなくなり、気分を換えて塾講師として、東京は大田区の小中高校生たちに、受験対策の【文章指南】をする身の上です。

ついでに、当時の私と同じ歳、春から中学3年生になった、妹の娘……、現在、学校の長期休業による、自宅〝強制引きこもり〟中の姪っ子相手に、懐かしの昭和歌謡である『青春時代』のメロディに合わせ、替え歌の歌詞として、「今の自分の本音」を【七五調】の日本語に表現させました。

♪~卒業までの半年で 答えを出すと言うけれど
いつまで このまま 家に居て
退屈してれば いいのだろう
青春時代が一番なんて 誰から出てきた言葉なの
青春時代の真ん中は、コロナコロナのパレードさ~♪

阿久悠が書いた、原曲の歌詞には、「青春時代は夢である!!」という前提の上で、人間ドラマが描かれているわけでして、当時(昭和50年半ば)のリスナーにとって、その前提が共通認識としてあった、わけでしょうね。

ところが、すでに日本の未来に明るい気配が「少しも感じられない」時代を生き抜かざるを得ない、今時の、思春期真っ只中の子どもたちにとって、「青春時代が夢である!!」なんて前提は、とっくに崩れている……のです。

姪っ子の書いた、「青春時代が一番なんて、誰から出てきた言葉なの?」という、世間一般への問いかけをハッキリ呈されますと、「そんな笑っちゃうほど下らな冗談を、どこのバカが唱えているの?」という、強烈かつストレートな皮肉に、私は感じてしまいます。

彼女たち世代の青春は、〝夢〟だの〝一番〟だの、そんな浮世離れしたイメージからは、遠く遠く離れた、むしろ対極とも言うべく、ひたすら世知辛い現実が、コロナ感染騒動の中、ただ目の前に存在するだけである……というリアリティに、改めて気付かされます。

姪っ子の母親、つまり私の妹に、昨日、ZOOMを使ったリモート談義の途中、しみじみ嘆かれました。

「お兄ちゃん、この子たち、来年の高校受験、どうなると思う? 中3の新学期の授業だって、学校から、ただ乱暴に予習用のプリントが渡されて、自宅学習させられるだけ。成績の良い子はともかく、もともと数学が苦手な子供たちは、ちゃんと教師が言葉で指導してくれなきゃ、何1つ理解なんて出来ないよ。アベノマスクなんて配ったり、回収したり、そんなことに税金を無駄遣いするくらいなら、全国の小中学校に、円滑にリモート授業が可能になるよう、wi-fi環境の整備も含めて、そういうことにお金を回して欲しいわ」

そうだね。その通りだな、と私は、深い溜息をつきながら応え、ふと……、『青春時代』が大ヒットしていた頃の日本は、どうだったろうか? 想いを当時に馳せてみました。

楽曲が流行りまくっていたのは、冒頭にも記した通り、昭和52年の春の卒業シーズンでしたかね。

想えばアノ頃、中学3年生になったばかりの、私を含む全国の同学年の生徒たちの大半は、おそらく来年の受験がどうの、世の中の空気がどうの、日本経済がどうの、何ひとつ、さしたる不安も抱かず、日々、当たり前のように学校に通い、授業を受け、放課後の部活に汗を流し、たいがいの男子は、夜中にこっそり、隠し持ったエロ本を片手に、コソコソシコシコ「はぁはぁ」励んで(笑)……、いたはずですよ。

私たちの〝15の春〟は、呆れるほど脳天気に、過ぎて行きました。

まさか、その42年後……、コロナのごとき、およそ目に見えぬ、正体も未だ判然とせず、ワクチンはおろか特効薬すら「ようやく、近日中に承認へ?」という、新種のウイルスの、あまりに傍若無人な〝活躍〟を前に、学校は長期休校、外出も禁止、たとえ家族といえども、感染防止の観点から「2mほど離れて、横並びで食事をせよ」と政府に命じられる【現実】……。

戦時中さながら、国民が総出で「欲しがりません、コロナを撲滅するまでは!!」のスローガンの下、朝に夕に、必死の形相でシュッシュシュ、消毒用スプレーを、自分に他人にブッかけまくる!! ような【現実】……。

そんなC級のSF映画のシーンにも似た、破廉恥な妄想さながら、あまりといやぁ、あまりに「あり得ない!!」──〝15の春〟を、私の姪っ子を始め、全国の中学3年生は、何ら反論の余地すら与えられず、300%一方的に、味わわされているのです。

なんとかしろよぉ~、安倍さんよぉ~!! おめぇたち大人の、いや政治家でしか通用しない【理屈】は、もう聴き飽きたからさ。頼むから、全国の子どもたちの教育環境の整備を、コロナ対策の最大の優先決定事項に加えて頂戴!!

人生100歳時代を迎えようが、〝15の春〟は、生涯でたった一度きり。来年、かりにコロナ騒動が収まろうとも、もう二度と帰って来ない!! のだから。

 

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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