セクハラ歌謡
昭和歌謡_其の四
甘い男と女の深情け
五七調
セクハラを含めた「ハラスメント」という用語が、一般化したのはいつ頃からでしたでしょうか。
今から【ほんの】数十年前、昭和歌謡全盛期には、今時の日本人の神経なら、ほぼ100%、セクハラやDV(ドメスティック・バイオレンス)と断じられて「当たり前」の歌詞内容の歌が、毎日のようにTVの歌番組や、巷の有線放送で流され、しかも超大ヒットしておりました。
それが良かったとは、決して私も思いません。それだけは、ハッキリ申し上げておきますが、
しょせん【たかが】流行(はや)り歌ですから、そういう歌謡曲が流行るなら流行るなりの、その当時の時代背景もあったのではないか? と、あまり神経を尖(とんが)らせずに受け止めていただき、しばしお付き合い願いたいのですが……。
殿さまキングス(略して殿キン)の代名詞となった『なみだの操』(作詞:千家和也/作曲:彩木雅夫)のレコードが発売されたのは、1973年11月5日です。
♪〜あなたの匂い 肌に沁みつく 女の操 棄てられたあと 暮らしてゆけない
私に悪いところがあるのなら 教えて きっと直すから
恨みはしません この恋を 女だから〜♪
いやはや、何なんざんしょ、この歌詞に濃厚に漂う、亭主あるいは恋人に対する隷属意識は(笑)。女は男の庇護下で生きてこそ幸せで、その生活をつなぎ止めるためなら、「私の悪いところはすべて直します」……。
当時、こういう女が健気(けなげ)で可愛く映ったのでしょうか? 今時の感覚なら、たった一言「バカじゃん、こいつ」で切って捨てられるでしょうね。男の心理的DVによって洗脳された被害者としか、現代人の目には映らないはずです。
唄ったのは、コミックバンド出身のコーラス・グループで、ボーカルの宮路オサムは、グループ解散後、ソロ歌手に転じ、今でも現役の歌手として、BSの歌謡番組の常連だったりします。
この楽曲のシングル・レコードは、とんでもなく売れました。発売から3ヶ月余りで、いきなりオリコンのトップ10に初登場するや、6週後には晴れて1位を獲得し、そのまま9週連続トップの座を譲りませんでした。レコードの累計売り上げは約250万枚。これは、現在のAKBやジャニーズ事務所のアイドルたちも含めて、日本の歴代シングルランキングの第25位です。
同じく殿キンの大ヒット曲である『夫婦鏡』(1974年5月25日発売/作詞:千家和也/作曲:彩木雅夫)の歌詞も、『なみだの操』以上に、いろいろな意味でううむと唸らされます。
♪〜たとえ死んでもいいわ あなたのためなら しあわせな女だと 世間は言うでしょう
何もくやんでないわ あなたのためなら 言いつけを守るのは 私の務めよ
いいえ困らせないわ あなたのためなら 生まれつきお互いに 立場が違うわ
あなたに迷惑かけたくないのよ〜♪
いわゆる【身分違い】の恋ってやつでしょうかね。不倫であれば【立場違い】の恋。
でもね、若気の至りでくっついちゃった、よくあるケースで、たとえば将来有望の若手医師と美人看護婦などの場合、2人の関係を知った彼氏の父親(開業医)あたりが、「看護婦ふぜいが、自分の立場をわきまえたまえ!!」と、無理やり息子と彼女との仲を引き裂くというのならば、まだ話はわかります。
なぜ、おそらく明るい展開など望めないだろうことは、はなから解っているはずの、禁断の恋に溺れておいて、当事者である彼女みずからが、「あなたが幸せなら、私は身を引きます」だなんて口にするのでしょう。現実の問題としてあり得ますかね?
むしろ、彼との仲を引き裂こうとする外圧に対し、「私は絶対に負けないわ!!」というのが、リアルな感情なのではないでしょうか?
「いやぁ、この歌に出てくる女は、まさに女の鏡だね。男にとっては理想の天使だ」
私が毎月1回行っている、『昭和歌謡を愛する会』のご常連の、75歳のオッサンが、言わなきゃいいのに、そう余計なことを口走ったものだから、同じくご常連の、それもかつてバリバリの活動家だったという噂の、同い年のオバハンが、たちまち鋭く突っ込みました。
「理想? 天使? ふん、バカも休み休み言いなさい!! お笑い草だわよ。日本人の男の愚かしさ、ここに極まれるって感じよね。高度経済成長期、亭主は外でガンガン働き、女房は家庭を守って、月に一度、亭主が運んでくるご給金をひたすらありがたがり、亭主はふんぞり返って『風呂、飯、寝る』、その3語しか女房に語らずとも威厳が保てたのかもしれない。だから、その当時の流行歌には、男目線の女性蔑視な歌詞がかなり多いのよ。これはもう、犯罪的ハラスメントと言うほかはない。それに気づかずに、愚かな連中がこぞってレコードを買いまくってさ。私に言わせりゃ、どいつもこいつも頭が悪すぎる!! 昭和歌謡の全盛期に、男目線でオンナのモノローグを書く作詞家は、全員、ギロチン処刑で罰したいほど、私は腹立たしいの」
元活動家の演説の、ババアとも思えぬ(笑)小気味良い啖呵に、会が行われている飲み屋の空気は、結構な時間、凍りつきました。
同時に私はふいに、カミさんが子供時代、ぴんから兄弟と殿さまキングスをかなり嫌悪していた事実を、告白された時のことを思い出したのです。
「子供の頃、なんだか知らないけど、そういう歌がブームだったじゃない? 『これが女の道』だとか『お別れするより死にたいわ、女だから』とか、イケメンでも何でもない、おかしな顔と髪型をしたダミ声のオジサンに、どうして『女ってこう生きなきゃいけない』って命じられなきゃいけないのか? まったくわからなくて、♪〜あなたのために〜♪ ってメロディを聴くたびに、うんざりしてたわ。女って、大人になると、そんなに窮屈でしんどいなら、私、大人の女になりたくない!! って、本気で悩んだほどだったもの」
確かにこの時代、あくまで男目線の『女の生き方』を、歌謡曲の歌詞にしたためる作詞家は多かったようですね。
なかにし礼もその1人でしょう。奥村チヨの大ヒット曲『恋の奴隷』(1969年6月1日発売/作詞:なかにし礼/作曲:鈴木邦彦)などは最たるもので、あなたのそばに置いて欲しいばかりに、♪〜悪い時はどうぞぶってね〜♪ と、みずからDVを望むような発言をし、
♪〜あなたを知ったその日から 恋の奴隷になりました
右と言われりゃ右むいて とても幸せ〜♪
昭和歌謡の歴史の中で、ここまでハッキリ、「男に隷属されることこそが、女の幸せである」と、公言してはばからない楽曲は、他に見当たりません。
見当たらないといえば、なかにし礼でもう一曲、これも平成の現在なら企画すら通らないはずの、『時には娼婦のように』(1978年2月10日発売/作詞&作曲:なかにし礼)。
♪〜時には娼婦のように 下品な女になりな
自分で乳房をつかみ、私に与えておくれ〜♪
歌唱は、なかにしと旧知の仲の黒沢年男ですが、じつは同時発売で、なかにし自身もレコードを出しています。黒沢は、初めてなかにしから楽曲のタイトルを聞かされ、歌詞を読まされた際、「こんな品が悪い歌、俺は唄いたくない」と即座に拒否したそうですね。
それを、なかにしが「これは絶対にヒットする。お前にとってのチャンスだ」と、詐欺師のごとく(笑)強引に説き伏せ、黒沢も不承不承レコーデイングを済ませてみたところ、結果がどうなったか? それはもう、皆さんもよくご存知でしょう。
でも、なかにしが、セクハラ的に女性を侮蔑し、貶めるような歌詞を書いたのかというと、まったくそんなこともなく、むしろその逆ではないですかね。
彼は、男という生き物は、強がって生きているように見せかけて、一枚上っ面をひっぺ返せば、どいつもこいつも弱々しく情けなく幼稚な野郎ばかりで、それを支えてくれるのは、女性の持つ、母性的な温もりや優しさや力強さでしかないことを、体感的によく認識しているのですね。
だからこそ、愚かしいことを要求しているのは百も承知で、惚れた女には、自分の前だけでいいから「奴隷になって」欲しかったり、「娼婦になって」欲しかったり、するわけです。
♪〜馬鹿馬鹿しい人生より 馬鹿馬鹿しいひとときが嬉しい〜♪
いつ死んだっておかしくない人生だからこそ、ほんのひととき、理性も社会的な立場も個人的な事情も一切忘れ、捨て去り、わざと破廉恥きわまりない性愛プレイに溺れたい……。だから「お前も一緒に付き合ってくれ」と、哀れにも懇願する、というのが、この歌詞の正体でしょう。
元活動屋の婆さんには、まず解ってはもらえぬ了見だとは思いますがね。
勝沼紳一 Shinichi Katsunuma
古典落語と昭和歌謡を愛し、月イチで『昭和歌謡を愛する会』を主催する文筆家。官能作家【花園乱】として著書多数。現在、某学習塾で文章指導の講師。