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なかにし礼

昭和歌謡_其の105

「本当のことなど、知りたくない!」(後編)

『知りすぎたのね』by ロス・インディオス

『時には娼婦のように』 by 黒沢年男(現・年雄)

『ホテル』 by 立花淳一&島津ゆたか

 

女ゴコロを書かせりゃ超一流

前回のコラムで取り上げた、菅原洋一の『知りたくないの』(昭和40年10月発売/原詞:ハワード・バーンズ/作曲:ドン・ロバートソン)の歌詞を、もう一度載せておきます。

♪~あなたの過去など 知りたくないの
済んでしまったことは 仕方ないじゃないの
あの人のことは 忘れてほしい
たとえこの私が 聞いても いわないで
(中略)
ああ愛しているから 知りたくないの
早く昔の恋を 忘れてほしいの~♪

作詞を担当したのは、昭和歌謡全盛期、主にポップス系の〝超〟ヒットメーカーの作詞家として、阿久悠と双璧だった、なかにし礼です。

年に数作品、オリコンのヒットチャートにランクインする曲を「書ける」作詞家ならば、名前を挙げたらキリがないですけれど、「女ゴコロを書かせて超一流!」となると、真っ先になかにしの顔が私の脳裏に浮かびます。

自他ともに認める「恋多きオトコ」だった彼は、恋愛中の男女には「秘密がなければ刺激的じゃない!」との信条を終生いだき続け、数多くのヒット曲の歌詞を通して、それを具現化して来た……んじゃないですかね。

シャンソンの訳詞の売れっ子から脱却し、原曲の歌詞の直訳をほぼ100%無視! あくまでオリジナルの〝つもり〟で書いた歌詞……、その1発目のブレイクソングが、この『知りたくないの』でした。

これが2年を経て昭和42年に大ヒット! 無名だった菅原洋一はスター歌手の仲間入りを果たし、なかにしも、売れ線の歌詞が書ける若手作詞家として、音楽業界に認知された……翌年、昭和43年に彼は、少し前のコラムで紹介しましたよね。ムード歌謡グループの老舗、ロス・インディオスの新曲として、こんな歌詞を提供したのです。

『知りすぎたのね』(作曲:なかにし礼)

(令和4年4月21日、浅草公会堂で開かれた結成60周年記念のライブ。これを最後にグループの活動を終えました)

♪~知りすぎたのね あまりに私を
知りすぎたのね 私のすべて
恋は終わりね 秘密がないから
話す言葉も うつろにひびく

嫌われたくなくて 嫌われたくなくて
みんなあなたに あげたバカな私

捨てられたのね 私はあなたに
いいのよいいの 作り涙なんか~♪

あなたの本当のことなど『知りたくないの』と書いた、そのすぐ後に、(あなたは)私の本当のことを『知りすぎたのね」……と来なさった。

和歌の世界でいう「返歌」? 洒落っ気というか遊び心というか、そういう感覚をなかにしは、常にさまざまな制約を要求されるのが当たり前の、プロ中のプロの制作現場で、さも「平気でやってのけちゃう!」ように周囲に感じさせる……。〝ここ〟が彼の凄味です。

『知りたくないの』の主人公の彼女は、惚れた彼氏が過去の恋人と「どんな付き合い方」をして、結果「どんな別れ」をしたのか? ♪~知りたくないの~♪ なのは、いざ知ってしまうと、自分の未来もおのずと想像できちゃうから、……でしょうね。

だから彼女は、彼氏に余計なことを語らせない代わりに、つい自分を語ってしまう。そうじゃないと、ベッドを共にした後のいわゆるピロートークが保てないから。

「私はね、……」「私はね、……」を繰り返すうちに、彼氏の本当のところは何1つ知らされないまま、逆に彼女の本当のところは、彼氏に「みんな」知られすぎて、「みんなあげた」……挙げ句、「秘密がないから」「恋は終わり」になってしまって、「あなたに捨てられ」てしまった「バカな私」……と自嘲気味に反省する、と。

だったら「私」も「あなた」も、恋愛を始めた時から、本当の話も嘘の話もゴチャ混ぜに、お互い聴きたいことは聴き、話したいことは話しゃあ良かったんじゃね? と、根っからのお喋りな私は、率直にそう感じますけれど、……まぁ、だから私は、小学生の頃から一貫して女に「もてない^^;」のでしょう。嗚呼、残念ながら。

そこ行くと、見かけからして100%ダンディ! 加えて得意のフランス語を習得する過程で、本場フランス人男性の、女の口説き方にも精通したはず……のなかにしは、恋愛は「秘密がなくちゃ成り立たない!」と確信犯のごとく、そう信じ切っていたはずです。これはもう、彼の生活信条みたいなものでしょう。

同時になかにしは、男女ともにお互いが秘密を守れるならば、恋愛関係において(法律に抵触しない範囲で)何をやらかしたって構わねぇ! とも感じていた……ような?

淫らな看板ソング

それが明確にわかったのが、彼が作詞も作曲もして、親友の歌手&俳優・黒沢年男(現・年雄)に〝無理やり〟唄わせた『時には娼婦のように』(昭和53年2月10日発売)です。

♪~時には娼婦のように 淫らな女になりな
真赤な口紅つけて 黒い靴下をはいて
大きく脚をひろげて 片眼をつぶってみせな
人さし指で手まねき 私を誘っておくれ
(中略)
時には娼婦のように 下品な女になりな
素敵と叫んでおくれ 大きな声を出しなよ
自分で乳房をつかみ 私に与えておくれ
(中略)
バカバカしい人生より
バカバカしいひとときがうれしい
ムームー ムームー

時には娼婦のように たっぷり汗をながしな
愛する私のために 悲しむ私のために~♪

こんな、あまりにもミモフタモナイ欲望を、ダンディななかにしは、胸の奥へしまっていたんですね。「いや、野郎ならどいつもこいつも、本音じゃそう思ってるだろうがよ」と、彼のことだから笑い飛ばすかもしれませんが、〝いつも〟の彼の作詞の流儀なら、フランス文学から学んだ、洒落やウイットに富んだ一言や、情緒豊かなフレーズを多用するはずなのに、この曲には欠片ほども存在しない! そこに違和感をおぼえる連中は多かったでしょう。

6つも年上の先輩である、なかにしから、「お前が唱えば絶対にヒットする!」「黒沢年男の代表曲になるぞ!」と唆(そそのか)されて、単純に「その気」になって歌詞を見せてもらえば、えー? マジーッ? なんじゃこりゃ?

「先輩、こんなハレンチな歌詞、俺、恥ずかしくって、唄えるわけないでしょうが!」

黒沢はあくまで拒否した、……んですって。そりゃあ、ね。これ(↑)ですもんねぇ。

でも、なかにしに半ば強制的に「唱え!」と命じられてレコードを吹き込んだところ、たちまち、この曲が世間で話題になりました。……その話題というのも、純粋に「歌謡曲として素晴らしい!」ではなくて、まぁ予想通りに「歌詞がイヤラシイ!」「えげつない!」であり、「不謹慎だ」なんて声も大きかった記憶があります。

令和の今なら、発売禁止どころか、企画そのものが成り立たないでしょう。いや今時の若者は、生まれながらコンプライアンスにがんじがらめですから、最初からこんな曲、創ろうともしないはず。

当時、私は中学を卒業する時期でしたけれど、メロディが耳に心地良く響くので、すぐに歌詞も覚えちゃったものの、世間が「イヤラシイ!」と感じているらしい、♪~大きく脚をひろげて~♪ とか ♪~自分で乳房をつかみ~♪ とかの歌詞には、さほどエロい刺激を受けませんでした。……が、♪~たっぷり汗をながしな~♪ の一節にだけ、やけに劣情が萌したんですよねぇ。15、6歳の童貞のガキが。理由は判然としませんが。

ただ、タイトルにもある【娼婦】という単語の意味が、私には不明で、辞書で引いたら「売春を職業とする女」と書かれてましたっけ。つまり売春婦! それなら解りました。

私の生まれ育った蒲田の駅前には、その手の女が数人、派手な化粧して突っ立っていましてね、「ありゃ立ちんぼだ」と近所のヤンチャなお兄ちゃんが教えてくれたんです。まだ中学に入ったばかりの頃? でしたかね。「立ちんぼって何するの?」って訊いた私に、「売春だよ、売春、男にカネと引き換えに1発ヤラせる女だよ」……。何故か即座に売春婦の意味に合点がいったのです。それが娼婦だったんですね。

ま、あくまで興味本位でしょう、多くの下衆な連中がレコードを買いまくりました。累計で80万枚ほどのレコードが売れて、なかにしの予言通り、『時には娼婦のように』は黒沢年男の、あまりに見事な看板ソングになりました。

不倫ソングの定番

もう1曲、なかにし礼でなけりゃ書けない、現在でもカラオケの不倫ソングの定番になっている曲を紹介しておきましょう。昭和59年2月21日発売、立花淳一が唄った『ホテル』(作曲:浜圭介)。翌年に島津ゆたかもカバーして売れましたが……、

当時、この歌詞は衝撃的でした。バブルの真っ最中で、下手にあぶく銭が溢れているものだから、一流企業の〝お偉方〟は、どいつもこいつも浮気しまくっていた時代! というのは大袈裟でも、破廉恥にヤリまくっていた……今思えば懐かしい時代です。そんな連中の、エロに染まった脳味噌に、なかにしの歌詞は冷水を浴びせたわけですね。

♪~ごめんなさいね 私見ちゃったの
あなたの黒い電話帳
私の家の電話番号が 男名前で書いてある
(中略)
ごめんなさいね 私見ちゃったの
あなたの家の日曜日
あなたは庭の芝をかっていた
奥で子供の 声がした

奪えるものなら奪いたい あなた
そのために誰か泣かしてもいい~♪

飲み屋の隣の席で女とイチャついている野郎が、女にこっそり、「君は大丈夫だよな? 僕の家庭を壊すなんて、そんな馬鹿なことはしないよね?」とかナントカ、ほざいていたり、……ね。女は女で、「うふふ、どうかな? 貴方がグッチのバッグを買ってくれたら、しないであげよっかな?」、「うんうん、だったら買ってやる! グッチだろうがエルメスだろうが」、「ホントぉ? だから◯◯さん、私、だぁい好き」、「あはは、だろだろ?」

これ、実話ですからね。当時は飲み屋のアッチでもコッチでも、イイ歳こいた浮気カップルは、愚かしくも似たような会話に花を咲かせ、男は内心、(早くコイツをホテルに連れ込まなきゃ!)と焦り、女も内心、(なるべくコイツにヤラせずに、高級バッグや宝石だけ買わせてバイバイしなくっちゃ!)と画策する。牝キツネと牡タヌキの化かし合い。

だからこそ、なかにしは、男女の恋愛は「秘密がなくちゃ成り立たない!」と本気で説くのです。男も女も、決して「実は……」などと本当のことを口にしちゃ駄目だ! と。

とりわけ不倫恋愛の男女関係は、スタートラインからお互い「罪の意識を共有すること」を条件にしなけりゃ成り立ちません。だからこそ、「お互いの本当の生活は見ない、訊かない、関心を持たない」……で、あくまで嘘の時間を愉しむ!

嘘だからこそ「余計に燃え上がる」ってなシーンを、私も花園乱名義の官能小説で、飽きるほど書いてきました。小説誌に掲載されると、決まってタイトルの横に「背徳の美学」って大きな文字が躍りましたけれど。

と考えると、不倫恋愛においては、わざわざ歌謡曲にして唄わなくても、 ♪~あなたの過去など(現在も)知りたくないの~♪ は言わずもがなの話で、それを破って、惚れた相手の家庭生活の「本当の姿」を覗き見したくなった段階で、恋人とはジ・エンド。ルール違反の ♪~知りすぎたのね~♪ です。

ふうむ、それにしても……です。

不倫不倫フリンフリン……、こんな耳障りな言葉、いつから一般的になったのでしょう? 昔だったら〝ただの〟浮気でしょ? 男女ともに「浮ついた」「気持ち」を相手に向けるのですから、嘘の関係に決まってんじゃん!

ってな〝本当のこと〟を、誰も言わない、いや「言えない!」時代というのは、なんと健全なことでしょうね。嗚呼、ブツブツ……。

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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