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アイ・ジョージ

昭和歌謡_其の二十八

レジェンド(伝説)の条件〈前編〉

『ラ・マラゲーニャ』

昭和歌謡の会

私が主催する「昭和歌謡の会」では、三月のテーマとして『レジェンド歌手』の特集を行いました。

昭和歌謡の長い歴史の中で、オリコンチャートのトップを数回取ったぐらいの〝スター歌手〟は、戦前、戦後、高度経済成長期、オイルショック以降、バブル経済突入前夜……それぞれの時代に、いくらでも数え上げることが出来るわけです。

でも、年号が平成に変わり、さらに新たな年号に変わっても、カラオケファンや歌謡曲マニアたちの間で〝レジェンド=伝説〟になるほどのトップスター、ってなことになりますと、当然ながら数は絞り込まれて来ます。

それでも、私の会で毎回聴いていただく【15曲=15人】を決定するするのは、正直、至難の業でした。仕方なく、まことに勝手ながら、あくまで私の感覚として〝レジェンド〟に基準を設けさせていただき、全員が物故者、つまりアノ世に昇天してしまった歌手だけ集めちゃうお!! と決めたのです、

……が、どうしても男女1人ずつ、諸般の事情によって、すでに物故者同然、TVラジオはもちろん、著名大ホールでのコンサートから少人数のライブハウスまで、日本在住のファンの前に「二度と顔向けが出来なくなった」トップスターを加えたくなったのです。

理由は、その【諸般の事情】も含めて〝レジェンド〟に相違ないからです。

今回、まず男性歌手のご紹介をさせていただき、次回、女性歌手を、ということにさせていただきましょう。

アイ・ジョージ

アイ・ジョージといえば、『硝子のジョニー』や『赤いグラス』という、ビッグヒットを飛ばした、かつての超ビッグ・スターです。

本名・石松譲冶の生まれは、1933年9月27日だそうですから、現在・御年85。ネットのどこにも「亡くなった」というデータが書き込まれていませんので、おそらくまだご存命なのでしょう。

父親は、石油会社の役員をしていた日本人、母親はスペイン系フィリピン人というハーフで、上記2つのオリジナル楽曲は、確かに彼の看板ソングではありますが……、

昭和歌謡史の中で、彼の大切な〝顔〟は、1959年12月に、世界的に著名なラテンバンド「トリオ・ロス・パンチョス」が初来日した際、坂本スミ子と並んで、前座歌手をみごとに務め上げたという、その実績でしょう。

戦後、全国のお茶の間の皆さんにとって、『ベサメ・ムーチョ』や『キサス・キサス・キサス』ほか、多くのラテン・ポップスの楽曲を身近に感じられるようになったのは、アイ・ジョージと坂本スミ子のご両人が、日本人離れした圧倒的な〝声量パワー〟で熱唱してくれた賜物と断定しても、誰からも文句は出ないはずです。

坂本スミ子といえば『エル・クンバンチェロ』であり、アイ・ジョージといえば『ラ・マラゲーニャ』……。そのハッキリとした認知だけを取っても、〝レジェンド〟として、美空ひばりや石原裕次郎クラスと肩を並べるにふさわしい存在でありました。

スター歌手だった彼が、マスコミの取材から逃げ回るため、海外へ姿をくらましたのは、自分のその著名な〝顔〟を利用し、各方面の有力な支援者から数十億円を集めるだけ集め、「世界規模のチャリティーCDを制作する!!」と大見得を切ったまま、ドロン……何処へ行方をくらましたからです。

なにしろ、このチャリティーに「賛同してくれる!!」と、……まぁ、あくまでアイ・ジョージが勝手にそう言い張っているだけだったわけですが、いやはや顔ぶれがメチャメチャ物凄い!! クインシー・ジョーンズ、マイケル・ジャクソン、マライア・キャリー、スティーヴィー・ワンダーほか、世界著名なミュージシャンの勢揃いです。

「彼らがみんな、喜んで楽曲制作に協力してくれることになっている」

「みんな、俺の音楽仲間、ファミリーだからね。売り上げは、軽く300億円ぐらい行くはずだよ」

しかし、とっくの昔に大金を渡したはずなのに、いつまでたってもCDは完成しない。アイ・ジョージ本人とも、連絡が取れない。

「こりゃ詐欺なんじゃねぇか?」

しばらく蒸発していた彼が、何かの拍子にひょっこり報道陣の前に現れましてね。これも、ある意味メチャメチャ物凄い!! 盗人猛々しいと申しましょうか、いかにもスター然、ふてぶてしいまでに堂々とした態度で、

「制作はちゃんと進んでいる。時間がかかっているだけだ。なにしろ売り上げ300億円を見込んだビジネスなんだから」

大勢の報道陣のカメラに向けて、みごとに言い切りましたねぇ~、素晴らしい!! ……褒めちゃいけねぇや^^;

2004年当時の話です。それ以降、アイ・ジョージの噂は、とんとご無沙汰です。どこで何をして暮らしているのでしょう?

ネットには、おそらく1980~90年代あたりだと思われますが、彼の最後のTV出演という映像がアップされています。彼の歌手としての才と『ラ・マラゲーニャ』との相性が、どれほど抜群であるか? リアルに判ります。

神様から授かった、その見事すぎる〝才〟を、みずから棒に振ってしまう、ないしは傷つけてしまう……ような行動をしてしまう、そもそもの理由って、何なのでしょう?

それは次回に紹介させていただく、歌謡曲ファンならずとも、その名前はあまりに知れ渡っている女性歌手も、……たとえば中森明菜なども同じ部類に入ると思いますが、芸能界に憧れ、スターになりたくても、〝才〟がないばかりに断念せざるを得ない、古今東西あまたの老若男女からすれば、「なんてもったいないことをするのよ? バッカじゃないの!!」というのが、本音の感情のはずです。

おそらくは持って生まれた性格、加えて、ミモフタモナイ表現になってしまいますが、彼を取り巻く人間たちの〝民度〟なのではないでしょうか。

歌謡界のビッグ・スターとしての華麗なるレジェンドが、衝撃の事件の当事者、自殺未遂などなど、破廉恥な芸能ゴシップ誌のトップ記事を飾るという、情けない〝レジェンド〟に上書きされ、後世まで語り継がれることになる……。かつて「追っかけ」までしていた熱狂的なファンの胸中には、大いなる絶望感とともに、許しがたい想いばかりが募ります。

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

 

 

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