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つれづれなるままに、お色気歌謡

昭和歌謡_其の十壱

五月みどりの系譜_覚悟の色気

五月みどり

五月みどり、別の名前を「かまきり夫人」(笑)……。これをご存知の方は、かなりご年配になりましょうか。本人主演のお色気映画に、そういうタイトルの作品がありましてね。現在、御年78だそうですが、まだまだお元気ですねぇ。彼女の名前を聞くと、反射的にお色気歌手、セクシー女優など、いわゆるSEXシンボル的なキーワードが飛び出します。

大ヒット曲の『おひまなら来てね』 (1961年5月発売/作詞:枯野迅一郎/作曲:遠藤実)の歌詞を少し、書き出してみます。

♪〜おひまなら来てよネ 私 淋しいの
知らない 意地悪 本当に一人よ 一人で待ってるの〜♪

彼女のアノ艶っぽい声で、歌謡曲とは言いつつ、♪〜来てね 来てね 本当に来てよね〜♪ などと言われると、メロメロになってしまった殿方が、当時は大勢いらっしゃったはずです。

この作曲が、演歌界の大御所、島倉千代子や森昌子を育て、国民栄誉賞に輝いた遠藤実だということを、ご存じなかった方も多いでしょうね。遠藤は、意外にコミックソング、お色気ソングを、それもかなりの数、「本人もけっこう気に入って」書いていたようです。

あまりヒットはしませんでしたが、遠藤は五月みどりにもう1曲、こんなお色気ソングも書いています。

♪〜昨日ダメダメ 今日もダメ あなたが断る そのわけは
朝まで夢中の徹マンで 待ってる私を どうするの
ズキズキ体が燃えちゃうわ イライラ世の中つまんない〜♪

名付けて『わたし今夜もイライラよ』(1974年発売/作詞:?)という楽曲ですが、なんとも凄いものです。頭がクラクラしちゃいます(笑)。こんなエロい歌詞が、当時は企画に通り、普通にレコード化もされてしまうのですから。

五月お姉さまは、デビュー当時から、エロを売り物にしている風もありまして、役柄のまま「かまきり夫人」などと呼ばれても、多分に開き直っていたのでしょう。

青江三奈

一方、正統派のブルース歌手として、音楽業界でも高く才能を評価されながらも、天性の声質によって、失敬にもお色気歌手扱いされ、NHKでは歌唱禁止になってしまった過去を持つのが、青江三奈ですね。

青江は、1966年9月、川内康範が作詞、浜口庫之助が作曲の『恍惚のブルース』でデビューしますが、この歌詞に出てくる「あとは、おぼろ」のフレーズが、問題になりました。

彼女はハスキーボイスなのですが、サビの部分ですーっと高く声を張り上げ、ビブラートをつけたまま、「あとは おぼろ」につなげます。この部分、実際に聴いていただくと一発でわかりましょうが、かなりエロっぽいのです。もっというと、SEXの喘(あえ)ぎ声のように響くんですね。

♪〜あたしをこんなにした あなた ブルーシルクの雨が降り
心がしっとり 濡れていた
あ〜あ〜あ〜 あとはおぼろ〜 あとはおぼろ〜
あ〜あ 今宵また しのび泣く 恍惚のブルースよ〜♪

川内康範といえば、著名な作詞家であるばかりか、正真正銘の国士として、政治家のトップともヤクザの親分とも【サシ】で話ができる、かなり大物のフィクサーでもありました。その彼が週刊新潮に連載していた『恍惚』という作品が、まず前提にあり、そのヒロインだった青江三奈を、そのまま芸名に付けたのが、歌手の青江三奈なのです。

彼女にとって川内は恩師であり、初期の頃の作品は、ほとんど彼が作詞を担当し、楽曲のプロデュースも手がけていたはずです。

その川内と青江がコンビを組み、みごと大ヒット曲に化けたのが、ご存知、♪〜ダダッタダダダズンダダン はぁ〜ン はぁ〜ン〜♪ の『伊勢佐木町ブルース』(1968年1月5日発売/作曲:鈴木庸一)です。

♪〜伊勢崎あたりに 灯(あか)りがともる
恋と情けの ドゥドゥビ ジュビドゥビ ジュビドゥヴァ
灯(ひ)がともる〜♪

川内が書き上げた歌詞には、具体的に「はぁ〜ン」の喘ぎ声は書かれておらず、レコーディングの段階で、いきなり恩師から直々に、「どこでもいいから、『はぁ〜ン』という色っぽい吐息を入れろ!!」と命令が下されたのだそうです。

青江は、デビュー曲のヒット以降、これといった楽曲に恵まれませんでした。川内は所属レコード会社のビクターから、「青江の再起のため、50万枚は売れる楽曲を書いてくれないか」と頼まれていたのです。「はぁ〜ン」は、彼女の声質を知り尽くした川内なりの、イチかバチかの大博打だったのです。

勝負は大当たりしました。……が、この楽曲は「子供に聴かせられない、破廉恥な歌だ」と、全国のPTAたちが騒ぎ始め、同年の暮れ、2年ぶりに出場したNHKの「紅白歌合戦」では、「はぁ〜ン」は禁止され、代わりにカズー(バズーカ)が使われたのだとか。まったく、NHKも無粋なことをしやがります。

昭和歌謡のビッグスターは多しといえども、声質がエロいために、ただ吐息を吐いただけで、SEXが連想されてしまうのは、青江三奈ぐらいのものでしょう。

本田美奈子

アイドル歌手としてデビューしつつ、あまり売れなかったため、途中から、かなり無理したセクシー路線に切り替えてブレイクしたのが、本田美奈子です。

5枚目のシングルの『1986年のマリリン』(1986年2月5日発売/作詞:秋元康/作曲:筒美京平)、6枚目のシングルの『Sosotte(ソソッテ)』(1986年5月1日発売/作詞:秋元康/作曲:筒美京平)は、ヘソ出しの衣装で、唄いながら腹這いになるという、過激でエロい振り付けが、思春期の【一人遊び】少年の劣情をそそりまくりました(笑)。

本人は、その売り出し方を、決して快く感じていなかったのでしょう。その後、しばらくして充電期間に入り、ふたたび元気な姿を見せてくれた時は、みごとなミュージカル女優に転身していました。晩年は白血病に冒され、2005年11月6日、38歳の若さで亡くなったことは、皆様のご記憶のとおりです。

舞台『ミス・サイゴン』での彼女の演技と歌唱は、確かに相当高く評価されるべきものでしょうが、私はやはり、『Sosotte(ソソッテ)』を熱唱していた頃の、彼女のアクティブさが大好きでした。あの当時の【小悪魔】ぶりが演技だったにせよ、TVの前の、私も含めた男性ファンたちは、彼女のエロい肢体の動きから、猛烈にエナジーを注入されたのですから。

♪〜そそってそそられて 誘って誘われて
KISSは あ〜あ どっちにする〜♪

畑中葉子

逆に、そこまでエロくやられちゃうと、逆に食傷気味になり、もう無理!! パス!! という気分にさせられる元アイドル歌手が、畑中葉子でしょうかね。

平尾昌晃の秘蔵っ子として『カナダからの手紙』でデビューしながら、平尾先生と何があったのでしょうか? ほどなく電撃的に某音楽プロデューサーと結婚し、芸能界を休止。

しかし、わずか数ヶ月で離婚すると、それまでの人生を振り払ったがごとく、女優として、日活ロマンポルノの主役を張ります。ソロ歌手としても、なんともかとも衝撃的な楽曲、昭和歌謡史上、これ以上に卑猥なタイトルはない!! という『後ろから前から』(1980年8月21日発売/作詞:豊兵衛(荒木とよひさの別名)/作曲:佐瀬寿一)を引っさげ、ふたたび音楽業界に殴り込みをかけてきました。

続く楽曲が、さらにミモフタモナイ。『もっと動いて』(1981年2月5日発売/作詞:豊兵衛/作曲:茅蔵人)と来やがった(笑)。

♪〜体中 熱くもえて 灰になってもいいの
だからもっと動いて もっともっと もっともっと
あ〜あ〜 夢の中 夢の中〜♪

エロ路線は、小説でも音楽でも、どうしてもキワモノ扱いされてしまいます。本人がそうしたくて「やる」のか? それともスタッフ側によって、かなり無理に「やらされる」のか? そのあたりは、個々の仕事の現場によって異なるでしょうが、本人の意識はどうあれ、その作品を待ち望み、その作品によって癒やされるファンが、たくさん存在したのも事実です。

作詞を担当した、豊兵衛こと荒木とよひさは、何かのインタビューに答えて、変名を使ったのは、さまざまな大人の事情が働いたからで、「作品として決して貶められるようなものでなく、自信を持って世の中に送り出したよ」と語っていました。

途中でエロ路線から脱却するのは、当人の勝手ですが、体を張って創った作品を、みずから「なかったこと」にするのだけは、やめてもらいたいですね。

ほかならぬ私も、官能作家・花園乱の時代があって、今があるのですから。

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

 

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