井上陽水
昭和歌謡_其の五十二
「コロナ感染」一色になった2020年・春に、想う
『傘がない』
本ウェブマガジンのリニューアルに際し、これまでとは毛色の異なる、ちょいと気の利いた内容を、……と、4月に入ってから、書いては消し、書いては消し、何度、そんなことを繰り返したでしょうか?
理由はすべてコロナウイルス感染の「現況」データが、連日連夜、悪い方向へ更新されるからでありまして、【ある時点】での私の情動を、拙い言葉にして並べると、数時間後にはもう実感が変わってしまい、書き上げた部分を【そのまま】にして、先の展開を書き連ねる気には、どうしてもなれませんでしてね^^;。
だったらオンタイムの話題など避けて、【そうではない】テーマに切り替えりゃあ良い……ようなものなんですがね。それが出来ないのが、時代の表層を、〝ヒョイ〟と薄っぺらく切り取ることで、駄文を連ねてきた三文文士の意気地、と言やぁ格好良いですが、まぁ、習い性なのでしょう。
耳がロバと化した王様の安倍と、感染者「1000人超え」の現実を前に、顔面蒼白の小池都知事が、時間差で「緊急事態」を宣言し、さらに1週遅れで、わが家のある上州の親分、中央政権からゴミ屑のごとく放り出された、県知事の山本一太も、おそらく近々、異口同音の宣言を発すると思われます。
かれこれ、もう10数年になりますかね。週に1度、不要不急でも何でもなく、自分の仕事と、都内某所で独居するお袋の介護のために、私は東京と高崎とを往復しているのですが、いつの間にか、県知事いわく「東京からコロナウイルスを、県内に持ち込む可能性が極めて高い県民」の1人に数えられておりました。
「不要不急でないなら、出来得る限り、上京するのを自粛して下さい!!」
県庁のリサーチでは、毎日、通学&通勤で、都内に「日帰り」で出かける県民の数って、1万3千人以上もいるんですってね。「へぇー、そんなにいるのかいな??」……私は正直、たまげてしまいました。都内は大田区の外れにあったマンションから、高崎市内、それも駅前から車で5分の、カミサンの実家の2階に、夫婦揃って〝転がり込んで〟はや25年が過ぎましたけれど、
転居当時、23時ジャスト東京発、高崎行の、最終便の上越新幹線の乗客は、私を含めて、ほんの数人だけ!! でしたよ。絶対に10人以上は乗っていません。せいぜい5、6人でMAX……。これは本当の話です。
全国的な「自粛」「自宅待機」の要請ラッシュの中、先週の土曜日(4月11日)の、同じく上越新幹線、それも最終便まで、まだ3時間以上も余裕のある、通常ならば満席になることだって珍しくない、新潟行の自由席車両の乗客は、25年前を思い起こさせる、わずか3人!! 全員が高崎駅で降りました。
階段を降りて改札口へ向かう際、見知らぬ同士の3人が、きちんと「2メートル以上の距離」を保ちつつ、なぜかお互いが目線だけを交わして、「俺の上京は仕事のためであって、不要不急ではないからさ。許してくれよ~」と言い訳している……ような気がして、私は内心、苦笑を禁じえませんでした。
それにしても、家族だろうが他人だろうが、〝誰か〟と接する際には、かならず「2メートル以上の距離を保つ」という、コロナウイルス感染予防の新ルール、ソーシャル・ディスタンスとか言うんでしたっけ?
昨日の朝のTV番組で、このところ連日、生放送に出演している某感染症専門家が、「ご自宅では、親子であっても食事の時は2メートル離れ、横並びに座ることが、感染を防ぐには重要です。親子であっても大皿料理に、てんでに箸を付けることはやめましょう」……と、真面目な顔して宣(のた)まったのです。
耳を疑いました。「コイツ……、アラブあたりの原油国の、大富豪の息子、大豪邸育ちのお坊ちゃんかい?」と、呆れて、すかさず独り言が口から飛び出たほどです。
後半の『大皿料理』云々は、「親子でそこまで!?」の想いも正直ありますが、まぁ理解の範疇です。しかしながら前半は、さすがにバカバカしいったら、ありゃしません。食事時に親子(たとえば)4人が『横並びに2メートル以上も離れて座る』……。2メートル×4人=8メートル!!
いくら医学的なエビデンスにより、「そうすることで感染が防げる」のは確かだとしても、ごく一般的な日本人が住まう家屋において、空間スペース的にせよテーブル形状的にせよ、この【理想】を実現させることなど、不可能もいいところです。
とっさに私の脳裏に、ウン十年前に観た映画、森田芳光監督、松田優作主演『家族ゲーム』の、有名な食事時のシーンが浮かびましたがね。
私が小学2年のなかば頃から、高校3年の夏休みまで暮らした【わが家】は、4畳半2間続きの安アパートでした。親子4人が、窓際から順に布団を敷くと、奥の部屋に3枚、手前の部屋に1枚、〝寝床〟で占められる、……と記せば、おおよそ皆さんにも、室内空間の狭さが理解されることでしょう。
住めば都という言葉がありますが、事実、いま想い起こしてみても、決して強がりでも何でもなく、生活に困るほどの不自由さを感じたことは、ほぼ皆無です。
ただ困ったことに、室内に全員が雁首を揃えりゃあ、どう知恵を凝らそうが、誰かしらが大声でしゃべった途端、無意識ながら唾液の飛沫が、否応なく、残りの者の目鼻口の粘膜に付着するはずであって、いわゆる【濃厚接触】を防ぐ手段など、無きに等しいのです。
しかしながら──、ここが肝要なのですが、そんな〝過酷〟な環境に暮らしたとて、私の記憶に嘘がなけりゃ、足掛け10年ほどの【濃厚接触】暮らしにおいて、親子共々、一度だってインフルエンザのごとく、重篤な風邪にかかった経験はありません。
これが、すなわち感染症学者の一部が唱える、「ウイルスを退治するのではなく、大勢の人間が互いにウイルスを移し、移され、しているうちに、知らずウイルスへの抗体を体内に宿すようになり、非感染者にウイルスが移らなくなる」……という、集団免疫理論の実証だったのではあるまいか?
いいや、そんな大層なことでもなくて、……ですね。貧乏人は、しょせん【理想】に程遠い生き方しか叶わないため、ソーシャル・ディスタンスなんて、はなから無視を決め込むしかスベがない。その代わりといっちゃナンですが、「死んでたまるか!!」ないし「絶対に生き抜いてやる!!」という、ハングリーなエナジーやらバイタリティやらを増殖させることで、極限にまで高めた強靭な自己免疫力によって、みごとにウイルスを弾き飛ばした!! のではないか と、私は推察するのです。
貧者のエナジー
以下、あくまで私の勝手な【推察】を、さらに【妄想】にまで昇華しまして、ですねぇ……。
いま、このオンタイムの時間(4月15日・13時15分)に、世間の自粛コールの嵐、「不謹慎!!」「恥知らず!!」のそしりもナンノソノ。全国の繁華街の中心エリア――ではなく、いわゆる〝場末〟のショボイ町に、なぜか昔っからポツンと1軒あるパチンコ屋に、平日も休日も、開店前にすでに列を作って並んでまで、「玉を弾きたい!!」爺さんども、婆さんども、の行動にも、同じ理屈が当てはまるのではないか? と感じたわけ、……なのです。
東京都心エリアの新橋、有楽町、赤坂見附ほかの駅前にある、大手パチンコチェーンの直営店は、随分と〝遅ればせながら〟の感も「大あり!!」ながら、現状どこも休業している中、私の生まれ故郷の蒲田や自由が丘ほか、おもに私鉄ローカル線沿線の駅前パチンコ屋は、何一つ平常と変わらず営業を続け、台の前には、コロナに感染したらアウト!! のはずの、後期高齢者と思しき皆さん方ばかりが陣取っている……のを、〝当たり前に〟目撃できるのです。
「おいおい、アンタらさ、自宅でじっと暮らしてねぇと、死んじゃうよ」
と、思わず、そいつらに声をかけたくなる衝動を覚えつつ、待てよ!! ……と。
ひょっとして、パチンコ屋に集うジジババどもも、昔のわが屋同様、民度の低さから生じるべき特有のバイタリティー、「コロナなんぞで死んでたまるかよ!!」というエナジーにあふれ、連中だけの集団免疫が、すでに出来上がっていたり……しませんかね?
自宅に風呂がないため、【濃厚接触】を怖がりつつも、銭湯に通わざるを得ない生活をしている老若男女──だって、少しも報道されないけれど、東京、大阪ほか都心エリアには、かなりの数、実在するはずです。ネットカフェ難民だけは、都知事も気になるようですが、
要するに、巷には、政治家や感染症学者の想像が少しも及ばない、(お偉方の)常識の埒外な私生活、【あり得ない】日常を過ごしている連中が、【あり得ない】感覚でもって、【あり得ない】数、生きています。昨日も今日も、そして明日も。
宅配業務の皆さんも、そうでしょう? ヤマト運輸や佐川急便の長距離トラックの運ちゃん、Amazon、ヨドバシほか、「今夜頼めば、明日の午前中に到着する」通販業務の皆さん……。
当初は政府の方針に嫌々従わされた自宅待機でも、徐々に本気でコロナ感染を怖がるようになり、自宅から「出られなくなっちゃった」日本中の皆々様は、会社から慣れぬリモートワークを命じられ、四六時中、女房子供とツラ突き合わせ、そりゃ苛立ちがつのり、喧嘩だって起きるでしょう。でも殴って女房を殺しちゃいけませんが……、そういう老若男女の生活を支えるため、休みたくても休まず、休めず、……に24時間、働いている人たちが、現実的にいるわけです。コロナ感染対策の最前線にいる医療従事者は、もちろん「ご苦労さま」でありますけれど、通販&宅配従事者だって、十分すぎるほど「ご苦労さま」なわけです。
そりゃあ、一部、ヤマトだか佐川だか、感染者だって出ましょう。当たり前ですよ、彼らは彼らで〝最前線〟で闘っているのですから。でも、おそらく俺の【妄想】では、感染者の数は、〝そうでない〟一般大衆から飛び出すデータと、比較にならぬほど、「ほんのわずか」なんじゃなかろうか?
むろん科学的エビデンスなんて、ありゃしません。……が、彼らの「生きるために仕方ない!!」というバイタリティーが、体内免疫力を高めまくり、コロナだろうがペストだろうが、ウイルスの体内侵略を、断固として阻止する!! 目に見えぬ強靭な防御壁のごとく、シールドの構築ぐらいのことは、どっこい生身の人間サマだって、不死身のターミネーター並みに、やってのけるんじゃ……ありませんかね?
都内の感染者の数は、このままの傾向で進めば、4月末日までに1万人を軽く超え、GW終了後、5月末まで届かないうちに、5~6万人にまで膨れ上がること必至!! とのオソロシイ予測を立てている専門家まで、います。
たとえ、それが真実になったとしても、どっこい「そういう生き方しか出来ない!!」連中は、ジジババであっても感染しない。いや、感染したとしても発症しない……ような、気がしてならないんですがね。
以上、例によって長々しい【前説】に記した、私の感覚、認識は、本当に「冗談じゃない!!」&「甘い!!」の一言で捨て置きされる――ほど、愚かな【妄想】に過ぎないのでしょうか?
傘がない
私はふいに、井上陽水の初期の名曲であり、大ヒット曲の『傘がない』(作詞&作曲:井上陽水/編曲:星勝)を、自室にて大音量で聴きたくなりました。
1972年7月1日、この楽曲が発売された当時は、いわゆる70年安保がらみの学園闘争の、熱狂的ムーブメントも、急速に萎びつつあった季節です。巷の【空気】を敏感に感じ取る、特に都会に住まう若者たちを中心に、俺たちは「何をしたって無駄!! 無意味!!」という虚無的な意識が拡がり、結果、衝動的に自殺する連中も増えたようですね。
私はまだ9歳でしたから、何一つ実感がありませんが、この楽曲の歌詞にある、♪~行かなくちゃ 君に会いに 行かなくちゃ~♪ のフレーズは、幼心に、かなり〝引っかかった〟……記憶があります。
母親と一緒に出かけた買い物の最中、商店街に流れた『傘がない』のメロディに気を取られ、「なんで、そんなに行かなくちゃならないの?」と、私は訊いたんだそうです。随分と時を経て、何かの拍子に母親がその話をしだし、私も〝なんとなく〟覚えていることに、改めて気付かされました。
♪~都会では 自殺する若者が 増えている
今朝来た 新聞の片隅に 書いていた
だけども問題は 今日の雨 傘がない
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ
つめたい雨が 今日は心に浸みる
君のこと以外は 考えられなくなる
それは いいことだろう?~♪
いいことだよ、いいことだよ!! 陽水のおっしゃる通り。俺には俺の、アンタにはアンタの、コロナ以外に【考えたいこと】、【やらなきゃならぬこと】があるんだよ。コロナウイルスが、どれだけ偉ぇ~か知らねぇが、俺の生き方も日常生活も、てんでご存知ねぇ、政治家やら感染症の専門家やらの、オッサンオバサンどもに、ナニが悲しくて、有無を言わせぬ語調で、不要不急の外出は「出来れば、お控え願います」と【要請】されにゃあ、ならんのよ?
と、ほんの半月ほど前の私なら、ここに【そう】本音で書けました。実際、冒頭でも触れましたけれど、確かに【そう】書いたのです、半月前まではね。
ところが【要請】は、ほどなく「極力やめて下さい」というトーンにすり替わり、緊急事態宣言以降は、「他人との接触を、8割がた減らしましょう」だの「不要不急の用事でなくても、延期または取り止めていただきたい!!」と、恫喝気味に命じられるのが、ごく自然な巷の【空気】になりました。
コト、この期に及びますと、さすがの私も、コロナ感染が怖くなりました。
いや、自分が感染して発症して苦しむのは、格好付けでも何でもなく「まだ許せる」のですけれど、カミサンや介護中のお袋はもちろん、万に1つ、他人様に感染【させてしまった】――としたら、取り返しがつかない!! その怯えが、今頃になって私の自意識を責めたてるのです。
ナサケナイですねぇ、人間は。いや、ハッキリ「俺が情けない!!」だけでしょう。
とっくの昔に耳がロバと化した、わが国の〝裸の王様〟の胸中など、まるで無視するがごとく、おそらくコロナウイルスは、そう期待通りに、地球上から消えてはくれないでしょう。【副作用が心配】な薬であれ、著効のエビデンスがあるなら、バンバン、ガンガン、早期導入すべし。
そして、せめて現況よりは〝ほんのわずか〟で結構なので、人間らしい喜怒哀楽や暮らし……が、戻ったところで、私は改めて、この『傘がない』を、大音量で聴いてみたいです。
逢いたい人に逢えない、話したい人と話せない、行き付けの飲み屋で酒が呑めない。すべて【ない】【ない】尽くしの毎日は、子供も大人も、精神を病ませましょう。
人間、命だけが救われりゃあ、御の字ってもんじゃない!!
「いや、御の字なんだよ。少なくとも、今の俺にとってはね」
天国に旅立った志村けんが、私の耳元で囁きます。
ふうむ、……そうか、御の字なのか。
アナタにそう言われちゃ、返す言葉がねぇよ。
合掌。
勝沼紳一 Shinichi Katsunuma
古典落語と昭和歌謡を愛し、月イチで『昭和歌謡を愛する会』を主催する文筆家。官能作家【花園乱】として著書多数。現在、某学習塾で文章指導の講師。