ディック・ミネ
昭和歌謡_其の三十
レジェンド(伝説)の条件〈番外編〉
『モダンエイジ』
前回までの前編・後編のコラムで、「レジェンド」ネタを終えようと思っていたのですが、急にもう1人、取り上げておきたくなりました。
ディックミネ
昭和歌謡史において、というよりも、昭和時代の前半の、日本の芸能ビジネス全般において、彼は、いわゆる〝首領(ドン)〟の1人でありました。まぁ、戦前、戦中、戦後というウン十年の間、ず~っとビッグスターであり続けたわけですから、自分がその立場を望む望まないに関わらず、周囲に祀り上げられて当然じゃないでしょうかね。
そんなディック親父の〝戦友〟とも言うべき、同じくビッグスターといえば、ブルースの女王こと淡谷のり子センセイでしょうね。生まれ年では、ディック親父が1年後輩。立教大学を卒業後の1934年(昭和9年)、「テット・モンパレス・タンゴ・アンサンブル」というタンゴ楽団のボーカル&ドラマーとして活躍していたところを、ほかならぬ淡谷センセイにスカウトされ、レコード歌手の道が開かれます。
そういう間柄のお二人なので、若い頃、恋人同士だった時期もあったんじゃないのか? ひょっとして、隠し子なんかもいたりして? などという野暮な想像を働かせる輩がいてもおかしくありませんよね。
しかも、その子供が、よりによって『女心の唄』(1964年12月発売/作詞:山北由希夫/作曲:吉田矢健治)という、レコードの売上げ枚数・200万枚を超えるミリオンヒットを飛ばした「バーブ佐竹なんじゃねぇのか?」
そんな噂が、かなり昔から世間に流出しておりましてね……。
お二人は晩年、『モダン・エイジ』(1982年発売/作詞:石坂まさを/作曲:市川昭介)という、なかなか洒落たメロディのデュエット曲を吹き込んでいます。
特に〝サビ〟の部分の歌詞が、私は気に入っておりまして
♪~季節はめぐり 街の姿かわれど
かわりきれぬ かわりきれぬ 男と女
閉ざした瞳(め)の中に 明日がまだ見える
歩いて行こうふたりは モダン・エイジ~♪
たんに「明日が見える」ではなく、「明日が【まだ】見える」……。この楽曲の発売当時、私は大学に通う童貞ボーイでしたけれど、還暦まで「あとカウント3つ」の禿げナス頭になりますと、【まだ】の意味が、ほんの少しだけリアルに判ります。
そんな私の ♪~明日はどっちだ?~♪(by アニメ『あしたのジョー』の主題歌)……てな辛気臭いお話は、他人様にはどうでも良くてですね。
そうです、ディック親父と淡谷センセイの間に出来たであろう、隠し子の話に戻ります。
芸能生活が長い二人が、初めてオリジナルのデュエット曲、それもラブソングを吹き込んだという、きわめて晴れがましいレコードの発売記念の、囲み取材も終わりに差し掛かった頃合いでしたかね。某ベテラン芸能レポーターが、なかばジョーク交じりに、こう切り出したんです。
「せっかくご両人がお揃いなので、大変恐縮ですが、前々から気になっていた、例の噂について、お訊きしたんですがねぇ。……お二人の隠し子がバーブ佐竹さんだという、あの話?」
すると淡谷センセイ、わざとなのか、本気なのか、かなり怒った口調で応えました。それも、アノ独特な青森訛りのズーズー弁で。
「バーブ? 冗談じゃないわよ。なんで、よりによって私が、あ~んな汚ったならしい顔の子供を産まなきゃなんないの? もしディックさんと私なら、美男子に生まれて来るに決まってるでしょ。噂なんて、いい加減なもんよ。まったくヤになっちゃう」
当たり前でしょうが、言下に否定しましたね。
〝汚ったならしい〟顔と指摘されたバーブの方も、たいしたものです。さっそくディナーショーなどで、淡谷センセイの台詞をパクりましてね。大勢のファンの前で、お馴染みのヒット曲を朗々と歌い上げた直後の挨拶で、
「えー、皆さま、ようこそお越し下さいました。顔は不味いが、唄声は美男子!! ご存知、バーブ佐竹でございます。……でもさ、俺の顔って、そんなに汚ったならしいかい? 淡谷センセイだってねぇ、人のことを言えたツラかよ。なんてことは、口が裂けても言いません」
これには、ファンも思わずゲラゲラ笑って、拍手喝采。バーブ佐竹を『レジェンド歌手』と称するには、いささか無理もありましょうが、どっこい、ベテラン歌手の心意気が感じられるエピソードでした。
ディック親父といえば、その芸名の由来。ご年配の方はとっくにお判りでしょうが、彼がまだ流行歌手になる前、米軍キャンプでジャズを唄っていた頃に、親しくなったアメリカの軍人たちと、トイレで男性自身の大きさを自慢し合ったんですって。たいがいの軍人よりもデカかったそうな。
ディックとは、男のアレの俗称
「芸能界で一番アレがでかいのは、誰なのか? ディック・ミネか? ハナ肇か?」という下らないランキング・リサーチが、私が若い時分に、ちょくちょく週刊誌に載りました。
ハナ肇を推す〝目撃者〟は、「ある時、地方の仕事がハナ先輩と一緒で、泊まる旅館も一緒。夜、温泉に浸かりに行くと、先にハナ先輩が入っていて、すでに鏡の前で体を洗っていた。俺が湯船にドボンと勢いよく入ったところ、お湯がこぼれて床のタイルの上を流れ、ハナ先輩に『熱いじゃないか、バカ野郎!!』と叱られた」……と。
つまり、ハナ先輩のアレがあまりに大きくてですね。だらりと伸びた先っぽが、床にくっつくほどだったのでしょう。湯船から流れたお湯が、もろにアレを直撃して「熱いッ!!」
そこ行くと、ディックを推す情報は、「彼は、あの世代では珍しいほど長身で、もともと猫背気味だったのが、晩年、アレが人並み外れて重たいばっかりに、余計に猫背がひどくなった。しかも足元も危うくなってきたため、アレが右に傾きゃ、右の方へフラフラ~。左に傾きゃ、左の方へフラフラ~」
さて皆さん、軍配はどちらに上がりましょうか?
ううむ、このまま稿を終えては、ディック・ミネがレジェンドである条件は、「アレのデカさだけ」みたいな印象になってしまいますが、
でも、まぁ、みずから好んで〝ディック〟という芸名を付けたくらいですから、本人も「デカい!!」ことを誇りにして来たのでしょう。
まさにディック親父は、超大物の芸能人でありながら、『番外編』にふさわしく、その名の通り、ディックも超大物のスターだった、ということで。えー、おあとがよろしいようで……。
勝沼紳一 Shinichi Katsunuma
古典落語と昭和歌謡を愛し、月イチで『昭和歌謡を愛する会』を主催する文筆家。官能作家【花園乱】として著書多数。現在、某学習塾で文章指導の講師。