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美川憲一/日吉ミミ

昭和歌謡_其の五十七

「夜の街」には、危険とムード歌謡がよく似合う(前編)

美川憲一『さそり座の女』


日吉ミミ『男と女のお話』

夜の街の洗礼

「ねぇ、先生、……夜の街って、そんなに危険なの?」

私がいま、文章を指南している、中2(男子)の生徒に訊かれました。

むろんコロナ感染のリスクが念頭の、【危険】発言であることは解りますけれど、そもそも「夜の街」というのは、多かれ少なかれ、さまざまな危険と隣合わせでありましてね。歌舞伎町だろうが六本木だろうが、こと都心の繁華街の、日没後の「空気」が、エリア中いたるところ、100%「安全」だった試しなど、ありゃしない!!

そんな【常識】は、都心ではないけれど、場末の歓楽街のど真ん中で育った私は、すでに物心つくかつかぬかの、ガキの時分から、体感的に認知し尽くしています

でも、──ですよ。特に殿方の場合、思春期にさしかかれば、単身か、あるいは仲の良いダチを連れてか、あえて「危険」を承知の上で、「夜の街」に足を踏み入れる、……のが習性ってもんじゃないですかね。その事実に、昔も今も関係ありますまい。むろん親や教師には、内緒。

晴れて「夜の街」の一員になったつもりの、生意気盛り=思考力&想像力脆弱きわまりないガキどもには、必ずといって良いほど、「危険」という名の、さまざまな手痛い洗礼が待っております(笑)。

洗礼を受けて、「もう結構!! 二度と近づきたくない!!」と痛感した輩は、即刻、「夜の街」から消えますな。その逆で、洗礼がかえって心地良く、「もっと違う『危険』も体感したい!!」と望む酔狂な輩だけが、昨日の晩も今夜も「夜の街」にたむろし、明日の晩も居座るんですね。

まぁ、ここまでの記述が、私が信じるところの、「夜の街」の在り方ですけれど、まさか街にはびこる、あまたな「危険」の1つに、コロナウイルス感染が加わるとは、想像すら出来ませんでした。

困ったことに、この「危険」だけは、誰一人として「体感したい」などと脳天気に捉えることができない!! はずであって、相当に「夜の街」の空気に馴染みきった、歓楽街の達人だろうが、「こりゃヤベェな」と、おのずと足を向けることを避ける、拒む、……のが尋常な感覚になりましょう。

結果、「夜の街」のネオンは消え、店の灯りも消え、高級なナイトクラブが居並ぶ銀座界隈は、いかにも淋しいことになりました。事情通の話では、「ほぼ3分の1の店が、銀座から消えちまった」そうです。

昭和歌謡 体質

私が昭和歌謡を好むような【体質】になったのは、諸般の事情もあり、小学校入学直後から数年間、国鉄(現JR)は京浜東北線の蒲田駅の、ホームの真ん前にあった、お袋方の実家(以下、祖母チャン宅)に預けられていたからです。

なにゆえ【それ】が、昭和歌謡につながるのか? と言いますと、祖母チャン宅の隣近所、四方八方のすべてが、それこそ「夜の街」そのもの、深夜スナックに小料理屋、キャバレー、ピンサロ、「大人の玩具」屋ほか、だったことと密接な関係がありまして、それらの店々から昼夜問わず、BGMがわりに、その時々にヒットしている歌謡曲が、風に乗って私の耳に聴こえて来る……わけです。

特にキャバレーの記憶は濃厚です。祖母チャン宅の、ちょうど真裏に「ウタマロ」と「ロンドン」が並んでいまして、それらの斜め正面に「ハワイ」と、もう一軒……名前は失念しましたが、同様の店が、ほぼ年中無休で営業中でしたね。

都会っ子ぶって恐縮ですが、放課後、校庭外の【日課】は、それらキャバレー各店が派手な色のネオンを灯し、18禁の「夜の街」と化すまでの小一時間、祖母チャン宅の脇の、わずかばかりの「空間」を利用して、数人の同級生たちと三角ベース(※本塁と1塁、3塁だけの三角形状のスペースで行う、野球の真似事。投手が軟式テニスボールを転がし、掌をバットがわりに打つ)に興じることです。

たまにホームラン性の当たりが飛び出すと、ボールはおのずと、まだ開店準備中のキャバレーの、開けっ放しのドアの奥に、すーっと飲み込まれます。仕方なく、打った本人が恐る恐るボールを取りに行くと、すでに来店し、馴染みのボーイと歓談中の【お姉さん】に出食わすことが、ままありましてね。

ボールを拾った【お姉さん】がからかい半分に、豊満な乳房の谷間にボールを隠してしまい、「あ〜ら、僕チャン、ボールはここよ。さ、手を伸ばして取りなさい」とかなんとか、命じられたり、するんですねぇ。つまりは、これも「夜の街」の、ドキドキの羞じらいや、秘めやかな嬉しさを孕(はら)んだ「危険」というわけでしょう。

当時のキャバレーではどこも、月に何度か、有名歌手が来店し、店の常連バンド(通称ハコバン)の演奏でステージに立つのが【常識】でした。有名と言っても、【かなり】か【ほんのちょっと】かを問わず、TVの歌謡番組などでの活躍が遠のいた印象の歌手ばかり……であることは、子供心にもリアルに認識できていました。

昭和47年に『さそり座の女』(作詞:斎藤律子/作曲:中川博之)の大ヒットを飛ばしたものの、以降、数年間【次のヒット】が出せず、マスコミで名前を聞かなくなりつつあった美川憲一とか、昭和45年に『男と女のお話』(作詞:久仁京介/作曲:水島正和)の大ヒット1発!! で終わった感の日吉ミミとか、ですかね。

店の入口に、手書きの立て看板だけはデカデカと、

「あの『男と女のお話』の大ヒット歌手、日吉ミミ様、ご来店。今夜、3回オンステージ!!」

「ご存知『さそり座の女』の大ヒット!! あの美川憲一様、豪華オンステージ!!」

口が悪い同級生が、「歌手もさ、【あの】って書かれちゃ、もう落ち目だぜ。俺たちの真理チャンは、絶対に【あの】って書かれないだろ?」などと、もっともらしいことをほざいてましたが、

その真理チャンも、数年後、一気に人気が凋落し、久しぶりに週刊誌ネタとして「【あの】天地真理が──」の見出しが表紙に躍った時には、「身を持ち崩してトルコ嬢(現・ソープ嬢)に転落!?」という、ミモフタモナイ噂話に成り下がっていましたけれど。

プロの流行歌手が、全国のキャバレーのステージに立つことイコール【営業】と称することを、のちに知りましたけれど、売れても売れなくても、演歌歌手は、ちょくちょく蒲田のキャバレーに【営業】に来ていましたね。でも、私の心は、幼いなりに、「演歌はダサい!!」「ムード歌謡は洒落ている!!」と明確な選別をしておりまして、

特にロス・インディオスや東京ロマンチカなどの、いわゆるムード歌謡グループが来店する日は、生意気にも胸をときめかせましてね。店に入れないのを承知で、今宵1発目のステージ演奏が始まったらしき時刻に、店の前をうろうろしたりして、ドアの隙間から漏れるムーディなメロディを聴いて、鼻歌を口ずさんだり……、しておりました。

コロナによる営業の自粛自粛で、新橋の駅前が、土曜日の午後7時でありながら、掛け値なしにゴーストタウンと化した光景を目の当たりにした、4月の後半、私は冗談抜きに、絶望的な想いに駆られて、立ち眩(くら)みがしたほどです。

東京の歓楽街っていうのは、都心だろうが場末だろうが、各店々のネオンが眩しいほど煌々と瞬(またた)いていなきゃ、嘘です。そして、そのネオンにジャストフィットするBGMといえば、ムード歌謡を置いて他にない!! と、私は心底、そう信じて疑いません。

  (後編へ続く)

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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