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なかにし礼 その五

昭和歌謡_其の七十四

「作詞家・なかにし礼の世界」その五

なかにし礼/『冬の駅』
小柳ルミ子

阿久悠/『何が私に起こったか』
伊藤咲子


山上路夫/『空港』
テレサ・テン

昭和歌謡の巨匠「別れ歌」比べ

作曲家の筒美京平先生が亡くなって、はや半年が過ぎ去りました。先生の業績を偲ぶ【追悼】がらみの企画は、現在も進行形でさまざま行われているようです が、その中に1つ、『筒美京平 超豪華トリュビュート・アルバム【筒美京平 SONGBOOK】』という興味深いアルバムが加わりました。 アルバムに収録された楽曲は全10作品で、担当のプロデューサーは各楽曲ごと に異なり、全員が令和3年現在、超売れっ子のクリエーター。同じく歌い手も、 超売れっ子の【若手を中心とする】アーチストばかり!! 私ら世代には名前す ら、まるでチンプンカンプン(笑)……だったりするのですが。

まぁ、私ら昭和の【ど真ん中以降】をベッタリ生き抜けた世代は、オリジナルの歌手の魅力も特徴も十分すぎるほど知ってますから、私の興味はあくまで編曲の斬新さ、声質の面白さ、あたりですかね。その意味では、ほぼ食指が動かな かった、と言えます。

ただ……、このアルバムで歌唱する「人気アイドル」だったり、「人気ロックバ ンドのボーカル&俳優」だったり、TVの歌番組にはほとんど出演しない 「YOU-TUBEの人気者」だったり、のファンの大勢の若者のうち、ほんのわずかでも、自分の祖父母世代が鼻歌まじりで唄いまくって来た、昭和という時代に〝メチャメチャ流行った〟歌謡曲を、「ちょーイケる!!」と感じてくれるのなら、この手の企画を成立させる意味も、大いに【あり】ではないでしょうか。

あえて名前を伏せますが、歌唱したアーチストの1人が、自分の担当する楽曲 をスタジオ収録し終えたのち、某番組でこんなようなことを語ったようです。

「筒美京平先生の作曲した作品は、どれもこれも、僕が幼い頃、家族の誰かが口ずさんでいた歌謡曲ばかりです。昔の時代の歌は、歌詞など見なくても、曲を聴いているだけで、自然と覚えられたでしょ。僕もいつの間にか、知らないうちに 歌詞まで覚えていた曲が、今回のアルバムに結構ありました(笑)。時代を超えて、1つの歌が愛され続けることって、凄いですよね。僕も、そんな作品を唄って行きたい」

若手の超売れっ子アーチストたちは、みんな体感的に〝解って〟いるんですよ ね。平成&令和ポップスのほとんどが、自分たちのファンを守るべく、ファンが 喜びそうな楽曲を制作することこそ「売れっ子アーチストの使命!!」と信じて生活しているはず……だろうけれど、

でも本来、歌謡曲は、限定されたファンだけが楽しむ【歌】じゃない。日本中の、いや世界中の老若男女が、ふと初めてメロディを耳にした途端、無意識にその歌を口ずさみたくなるような……〝そういう〟匂いが薫る【歌】でなければなら ない!! ということを。

その意味では、昭和歌謡の全盛期に楽曲制作にたずさわってきた、幾人もの 〝超売れっ子クリエーター〟たちは、作詞家も作曲家も、そのことを骨の髄まで 理解し尽くしてきた、お歴々ばかりになりましょう。

前回まで4度にわたって取り上げてきた、なかにし礼はもちろんのこと、終生 ライバルと目された阿久悠。加えてもう1人、2人とほぼ同世代ながら、いまだ 現役バリバリの山上路夫大先生などは、その筆頭格というわけです。

「別れ歌」三題

今回は、なかにし礼のコラムの【最終回】として、売れっ子作詞家3人が、共に楽曲のテーマとして、きわめて得意!! として来た「別れ歌」のうち、私が熱愛する作品を1つずつ、選ばせていただき、読者の皆さんと一緒に、歌詞の内容を比較鑑賞してみたいと思います。

まずは、なかにし礼作品から。小柳ルミ子が、昭和49年10月10日に発売したシ ングル曲──『冬の駅』(作曲:加瀬邦彦/編曲:森岡賢一郎)の歌詞をご紹介しま す。
♪~白い朝もや流れる 冬の淋しい停車場
あなたの無事を祈って これが運命(さだめ)とつぶやくの
恋はすべてを奪って 汽車の窓から手をふる
愛はすべてを与えて 涙こらえて 立っている

ひと駅だけでも あなたと一緒に
朝の汽車に乗っていきたかった

わたし恨んでいないわ 悲しい思いしたけど
恋に苦しむ女は きっときれいになるという

(中略)

わたし泣いたりしないわ 今も未練はあるけど
涙の河をわたって 人は大人になるという
そうよ 人は大人になるという~♪

この楽曲は、「そろそろアイドル(という立場)を卒業したい」と望むルミ子 に対して、「だったら……」大人の男女の別れを描いた楽曲で「勝負を賭けさせたい!!」という、所属事務所と担当プロデューサーの意向が活かされた作品です。

♪~これが【運命】とつぶやく~♪、♪~すべてを【奪って】~♪、♪~すべてを 【与えて】~♪、……に見られる、ある種の〝強い情動が伴う〟語句、──受け取りよう次第では、じつにミモフタモナイ表現を、何の躊躇いもなさげに、ポンポン と放り投げるがごとく歌詞に転化させる手法は、以前のコラムで扱った『時には 娼婦のように』の歌詞や、奥村チヨが歌唱した大ヒット曲『恋の奴隷』などにも 通じる、なかにしの専売特許の離れ業ですね。

加えて、♪~涙の河をわたって~♪……のような、一転してファンタジックな表現を織り交ぜることで、「歌が上手い!! とかヌカしたって、しょせん小柳ルミ子 はアイドルだろ?」という世間のリスナーの耳を、「ン?」「おッ?」と撹乱する手法も、同じく以前のコラムに記した、キャンディーズが唄う『哀愁のハーモ ニー』の歌詞に並ぶ、作詞家・なかにし礼の独壇場だったり、するのです。

一方、阿久悠の趣向に巻き込まれると、同じアイドル出身歌手に書いた「別れ歌」でも、【こう】変わります。好例として、伊藤咲子が歌唱した『何が私に起 こったか』(昭和52年10月5日発売/作曲&編曲:三木たかし)という楽曲の歌詞を載せてみます。

このシングルは、正直さほど売れませんでした。……ので、おそらく読者の皆さんの、ほとんどがご存じないでしょう^^;.

以前のコラムの中で、私は、なかにし礼が発する歌詞には、必ず「情緒的な(情に訴えかける)風合いが醸し出される」のに比して、阿久悠の歌詞の作風 は、あくまで「ドキュメンタリータッチで、生々しいばかりにリアルな現実が吐露される」というようなことを記した記憶がありますが。

もはやタイトルからして、尋常じゃないでしょ、阿久悠は(笑)。雑誌「婦人 公論」のオキマリ企画、有名人女性の(離婚などの)体験手記じゃあないんです から。かりにも流行歌、それも当時の〝一応は〟売れっ子アイドルのシングル楽 曲──のタイトルが『何が私に起こったか』だなんて、私が伊藤咲子の所属事務所の社長なら、即座に激怒!! 抗議しますけれどね。

でも面構えからして〝化け物〟な阿久悠にとっては、そんな内圧&外圧など鼻クソ同然、一切受け付けずに、咲子ちゃんに歌詞を提供しました。本人も、本音 じゃ「こんな歌詞、歌いたくな~い」と感じたでしょうに、……人気オーディショ ン番組「スター誕生」でデビューした咲子チャンにとって、番組の実質的プロ デューサーも兼ねていた〝化け物〟に、口答えなどの出来ようはずがありません。

作詞家・荒木とよひさと組み、『つぐない』(昭和59年1月21日発売)ほか、 テレサ・テンの超ヒット曲を連発させた三木たかし先生が紡ぐ、前奏のメロディがまた、大げさなまでにドラマチックなものですから、俄然、この歌の主人公に 「いったい何が起きたのか???」……気になりますよね。

♪~いたずらに 煙草をくわえ 夜ふけの窓
さびしいよ さびしいよと 心がわめく
夏の夜が 微笑み忘れ にわか雨が
あのひとを ぬらしている 背中も胸も

お芝居の終りのように カーテンをひいて
駈けて行く あのひとの 姿をかくす
何が私に起こったか 誰も知らない
それでいい それでいい 二人だけのこと

口紅を落とした顔は 子供っぽい
まいったり まいったりは しないと笑う
想い出は 重過ぎるから 写真も捨てて
あのひとが くれたものは 明日は捨てる

お芝居の終りのように 手を叩きながら
恋をした日のことを 見送りましょう
何が私に起こったか 誰も知らない
それでいい それでいい 二人だけのこと~♪

何のこたぁ、ない。生まれて初めて熱愛した彼氏に、あっさり振られた。い や、ヤルだけヤッたら「捨てられた!!」っつーだけのことです。でも人生経験の浅いお嬢チャンにとっちゃ、この世の終わりぐらい絶望的に打ちのめされますわねぇ。

なかにしが書いた『冬の駅』の主人公も、この楽曲の主人公も、おそらくほぼ 同い年……二十歳前後ぐらいの設定でしょうね。体は大人、心はまだまだネンネ。 そんな【2人】が、期せずして歌詞の後半で、崩れ落ちそうになる自分をひた隠 し、「私は恨んでない」だの「まいったりはしない」だの、あえて強がって見せ るんですね。

作詞家としての出自も作風も、水と油ぐらい異なるはずなのに、アイドルが歌唱する「別れ歌」へのイメージ自体は、なかにしも阿久も同じ。これは、ただの 偶然でしょうか? 私は面白さを感じました。

さてここで、そんな2人と、世代的にも作詞家として活躍しだした時期も、ほ ぼ一緒ですが、鬼籍に入った2人をよそに、まだまだご健在。齢84でいらっしゃる、現役バリバリの山上路夫大先生にご登場願いましょう。

大先生の偉大なところは、作詞家デビューして以降、一貫して【音符の付いた 歌詞】だけを量産して来たことですかね。

阿久悠みたいに「演歌は書きたくない!!」てな無粋なことをほざかず、なかにしのように、作詞家から小説家へ転身して、直木賞作家に成り上がることもな く、……いや、本心は知りませんよ。でもオフィシャル的にそんな素振りを一切見せずに、ポップス、演歌、応援歌、校歌ほか、「歌詞ならなんでもござれ」で60年近く、あまたの超ヒット曲を織り交ぜつつ、書きまくって来た功績は、〝全身 作詞家〟と称しても過言じゃないです。

そんな大先生が歌詞を書いた「別れ歌」をご紹介します。女性のカラオケファンなら、誰しも1度ぐらいは、人前で歌唱したご経験がありましょう。ムード歌謡の名曲、テレサ・テンの『空港』(昭和49年7月1日発売/作曲:猪俣公章/ 編曲:森岡賢一郎)です。先に記しましたが、テレサの多くの大ヒット曲は、作詞家の荒木とよひさと、 作曲家の三木たかしのコンビが量産させましたが、日本でのデビュー時の楽曲、 そして2曲めの『空港』は、大先生が歌詞を書いて、テレサの大ブレイクを演出したのです。

♪~何も知らずに あなたは言ったわ
たまには一人の 旅もいいよと
雨の空港 デッキにたたずみ
手を振るあなた 見えなくなるわ
どうぞ帰って あの人のもとへ
私は一人 去ってゆく

(中略)

愛は誰にも 負けないけれど
別れることが 二人のためよ
どうぞ帰って あの人のもとへ
私は一人 去ってゆく~♪

いやぁ、この歌詞は秀逸です。なかにしのように意図的に、歌詞の一部にあざとく作詞家自身の情動を入れ込むことも無し、阿久のようにゲリラ的にえげつな く、リスナーを実話風〝事件〟に巻き込むことも無し。あくまで歌謡曲らしい語句を並べ、リスナーがすぐに鼻歌で口ずさみたくなるような歌詞、……の一丁出来 上がり!! これぞ、山上マジック、大先生の真骨頂です。

ハズカシナガラ、この楽曲は、私のカラオケの十八番でもありまして、今、歌詞を書き起こしながら、大声で歌いまくってしまいました。それも5回も続けて。

歌は世につれ、世は歌につれ、なぞと申します。流行歌は、その名称に違わ ず、流行が潰えてしまえば、すぐに忘れ去られるべき運命にありましょう。

でも、どっこい、あまたの楽曲の中に、時代を超え、世代を超えてなお、新し い時代のリスナーに愛され、カラオケファンに歌い継がれる名曲が、ぽつんぽつんと存在する事実というのも、歴史が証明してくれます。

令和時代のアイドルが、自分の「お祖父ちゃん、お祖母ちゃんが愛した歌謡 曲」を、新鮮な感受性で受け止め、新鮮なアレンジと共に生まれ変わり、熱唱す る……。昭和歌謡を愛し続けてきた私は、令和を生きる若者の感受性に、大いに期待します。

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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