サザンクロス、ロス・プリモス、青江三奈
昭和歌謡_其の115
昭和歌謡の花形!「◯◯ブルース」を語る
昭和百年
私が赤坂見附駅にほど近い会員制のカラオケスナックにて、月イチで「昭和歌謡を愛する会」を開いていた話は、こちらのコラムで何度も記してきました。
311の大震災が起きた2011年の12月に最初の会を行い、あと4回で記念すべき100回目! のお祝いをするはずが……、あろうことか日本中、いや世界中がコロナウイルスの出現に脅えまくり、2020年3月、政府による緊急事態宣言が発令されたため、残念ながら、私の会も第96回を最後に緊急休止せざるを得なくなりました。
あくまで休止であって、そのうち「いつかは再開!」を主催者の私ばかりか、常連参加のお客様たちも(全員ではありませんでしたけれど(笑))強く望みながら、それは叶わず、会場のスナックも、この世から消えました。
先日、会の常連さんの中でも、筆頭格の……Fさんから、久しぶりに「元気かい?」と電話を頂戴しまして。Fさん、挨拶もそこそも、こう言ったのです
「乱チャン(筆名の花園乱より)さ、来年が昭和100年だって気付いてたかい? 私もね、たまたま昨日、マンションの自治会の方に、それを言われてね。あー、そうだそうだ、西暦2025年は、昭和に換算すると、ジャスト100年じゃないか!」
実は……、わざわざ連絡して来てくれたFさんには申し訳ないけれど、私はちょいと前に気付いていました(笑)。それを率直に告げながら、
「来年のどこかで、来られる人だけ呼んで、昭和100年に復活する『昭和歌謡の会』……。実現したら面白いでしょうね!」
思わず反射的に、そんな提案を口走ってしまいました。決してその場ゴマカシの話でもなく、2025年が昭和100年だと知った時から、なんとなく「そんな会」の開催は如何? と思い描いておりまして、Fさんの電話に、背中を押された印象です。
「いや、私もね、同じことを考えちゃったんだよ。昭和100年に、会のみんなが集まって昭和歌謡を唄うなんざ、オツなもんじゃないか」
「平成も令和も、昭和でカウントしてしまう私にとって、昭和100年という言葉の響きは、いわく言い難いものを感じるんだよ。ただね、私も数ヶ月前に傘寿を迎えてさ。体のあちこちが弱ってしまってね。キミが晴れて昭和100年記念の『昭和歌謡の会』を開いてくれても、はたして参加できるかどうか?」……淋しい笑い声が私の耳に絡んで来ました。
しばしFさんと会の思い出をさまざま語るうちに、2人で意気投合した話題が、「やっぱ昭和歌謡の魅力は、昭和40年代に流行りまくった、ムード歌謡やブルース歌謡のヒット曲ですねぇ!」でした。
昭和100年をバッサリ真っ二つにして、昭和50年、私はちょうど中学に入学する年でしたが……、
昭和歌謡の歴史でみると、この年から10年さかのぼって、昭和40年からの10年間(1965年~1975年)は、さまざまなタイプの歌謡曲のメロディが巷にあふれるほど流れまくり、その歌手(やグループ)が好きでも嫌いでも、そんなこたぁ構わずに、よほどひねくれている御仁は別にして、大概の老若男女は、前奏が耳に入って来りゃ、反射的に「♪~ララララ……~♪」と口ずさんでしまう。
歌が当たり前のごとく日常生活にフィットする時代、まさに歌謡曲の全盛期だった! わけです。
中でも、各レコード会社所属のムード歌謡系の歌い手の活躍が抜きん出ていまして、タイトルに全国の主要都市名を記した、いわゆるご当地ソングと呼ばれる『◯◯ブルース』のレコードが、数多く発売されました。
星野哲郎⁉︎の前橋ブルース
「ウチの会の名物といやぁ、なにしろ『前橋ブルース』だったよね。乱チャンが高崎に住んでるからってさ、キミが嫌がるのが可笑しくて、みんなして無理やり『前橋ブルース』を取り上げさせたんだったよな(笑)」
森裕二とサザンクロスが唄って、〝そこそこ〟ヒットした『前橋ブルース』(昭和57年発売/作詞:星野哲郎/作曲:中川博之)……。その存在を、私は30数年前、長年生まれ育った東京の場末町、蒲田を離れて、カミさんの実家のある高崎に転居するまで、まったく知りませんでいた。
最初に教えてくれたのは、カラオケ好きのカミさんの親父さん。転居早々に連れて行かれた、親父さんの馴染みのスナックで、いきなり「俺が唄うから、紳一クンも手伝え!」と、無理やりマイクを握らされたのです。
♪~よく似た人だと いうだけで
あげたくなるのよ 心まで
好いたふりして あげるから
惚れたふりして 踊ってね
あ~あ… あ~あ… ここは前橋
なぜかこの唄 なぜかこの唄
前橋ブルース
オリオン通りで みる夢は
あなたとふたりの 1DK
夜のネオンが まぶしくて
涙ぐんでる 私なの
あ~あ… あ~あ… ここは前橋
なぜかこの唄 なぜかこの唄
前橋ブルース
今夜もあなたに 逢えなくて
両毛線は 終電車
遠い汽笛の 淋しさを
酒でぬくめて 唄うのよ
ああ… ああ… ここは前橋
なぜかこの唄 なぜかこの唄
前橋ブルース~♪
メロディは、これを唄うサザンクロスと同じく、クラウンレコードに所属していた「ロス・プリモス」の『ラブユー東京』(昭和41年発売)や美川憲一の『さそり座の女』(昭和47年発売)を作曲した、大ヒットメーカーの中川博之が書いていますから、いかにも聴きやすいし、私の大好きなコード進行だったりして、すぐにも覚えてしまいましたが、
でも、……ふうむ、歌詞はどうでしょう? ♪~あなたとふたりの 1DK~♪ だの、♪~両毛線は 終電車~だの、……決定的なのは、♪~なぜかこの歌~♪を連呼するところのダサさ! あまりといやぁ、あまりに手抜き! じゃないでしょうか。
こんなロクデモネェ歌詞を、いったい誰が書きやがったのか? と、カラオケ画面に流れる文字を眺めて、私は大いにたまげました。
えー? マジー? 美空ひばりの『みだれ髪』(昭和62年12月10日発売/作曲:船村徹)や北島三郎の『風雪ながれ旅』(昭和55年9月15日発売/作曲:船村徹)を書いた、演歌系作詞家の大御所、星野哲郎〝大先生〟じゃないですか!
いやぁ、いやいや、これは何かの間違いじゃね? と、帰宅後、ネットで調べてみましたれど、嗚呼、やっぱり『前橋ブルース』は星野哲郎の作品でした。
この話を「会」で打ち明けて、
「きっと星野のアルバイト仕事でさ、弟子にでも書かせたんじゃないですか?」
「御当地ソング系のムード歌謡で、歌詞の中で地名を連呼する曲は、しょせんB級品、C級品ですよ!」
と暴言を吐いたところ、天邪鬼な御仁ばかりが揃う、わが「会」では、かえって面白がられてしまい、毎回毎回、会の初めと終わりに、私に『前橋ブルース』を唄わせる! というイジメ同然の仕打ちを受けまして(笑)。おかげで今や、すっかりこの歌は、私のカラオケの十八番になった、と。
ちなみに歌唱した「サザンクロス」というグループ。結成は昭和50年ですから、昭和33年結成の「和田弘とマヒナスターズ」や、昭和36年結成の「黒沢明とロス・プリモス」、そして去年の9月、85歳で亡くなった、棚橋静雄率いる「ロス・インディオス」の結成が、私が生まれたのと同じ昭和37年……と比べると、かなりの後輩分になりますね。
「ロス・プリモス」が、昭和44年にビクターに移籍してしまい、次なる人気グループを誕生させたい! という社の方針に沿って、幾つものグループがデビューしては消え、結果的に、まぁ〝そこそこ〟定着したのが「サザンクロス」という訳です。
「ロス・プリモス」ほどの〝とびっきり〟の人気は、残念ながら獲得出来なかったものの……、
それでもデビュー翌年の昭和51年に、令和の現在でもカラオケファンに愛唱されている『意気地なし』、翌52年に『足手まとい』、さらに昭和56年に、さっぽろ雪まつりのテーマ曲にも選ばれた『好きですサッポロ』(作詞:星野哲郎/作曲:中川博之)をヒットさせたため、サザンクロスは、私のようなムード歌謡ヲタクには「捨てがたい魅力!」があるのです。
その意味では『前橋ブルース』も、星野哲郎が、せめてもう少し、『風雪ながれ旅』の垢ぐらいは丹精込めて歌詞を書いてくれれば、現在でも全国区のカラオケ愛唱歌になっていたでしょうに。
星野哲郎のA級品
ここで同じ星野哲郎が書いたムード歌謡で、「ロス・プリモス」の看板ソングの1つ、『城ヶ崎ブルース』(昭和43年8月発売/作曲:関野幾生)を紹介します。
「ロス・プリモス」は売れ筋のムード歌謡グループで、先に記した『ラブユー東京』以外では、『新潟ブルース』(昭和42年7月発売)や『雨の銀座』(昭和42年11月発売)ほかがヒットチャートの上位にカウントされました。
この曲をご存じない方でも、ざっと歌詞を眺めるだけで、嗚呼、こりゃ、なるほどね、とお感じになるんじゃないですかね。
♪~ゆかねばならぬ 男がひとり
ゆかせたくない 女がひとり
ふたりの恋の 城ヶ崎
咲けよ 匂えよ 湯の花すみれ
あしたのことは 言わないで
いのちのかぎり 愛せたならば
たったひと夜の 夢でもよいと
わたしを泣かす 城ヶ崎
霧よかくせよ あのシャボテンの
とげよりいたい わかれ風
愛してくれた 小指の爪を
そっとかたみに つつんでいれた
ハンカチ白い 城ヶ崎
あなたが帰る 遠笠山(とうがさやま)が
涙にかすむ 夜のはて~♪
地名の「城ヶ崎」はワンショットにしておいて、1DKだの両毛線だの、いかにも野暮ってぇ~文言を一切排除して、男女の「実らぬ恋」を、ひたひたと艶っぽく歌い上げていましょう。まさにA級品のムード歌謡の名曲です。
クソーっ、星野! 上州群馬をナメ腐りやがって!
実際、カミさんの親父さんが「大好きだ」とのたまった『前橋ブルース』は、たまげるほど地元、前橋のカラオケスナックでの〝受け〟がよろしくないです。
理由は? 数人に訊いてみたところ、異口同音に「なんかダサいから」でした。嗚呼、やっぱりね。
なのに大都会TOKYO、赤坂見附のスナックで開かれた、わが会では毎回2度、『前橋ブルース』のカラオケが流れるのです。
電話の最後にFさんが言いました。
「会が開かれるたびに、『前橋ブルース』のカラオケ印税がさ、それも2回分、jASRAC(日本音楽著作権教会)に課金されていたはずだよな。御当地の前橋じゃ人気がないのに、まさか赤坂見附のスナックでね。あははははは」
おっしゃる通りです。
ドン・川内康範
主要都市が入ったムード歌謡の名曲といやぁ、昭和時代に育った老若男女にはおなじみ、青江三奈が唄った『伊勢佐木町ブルース』(昭和43年1月5日発売/作詞:川内康範/作曲:鈴木庸一)を、私は推しますね。
歌詞を書いた川内康範は、日本の芸能史には欠かせない超大物、いや晩年は国士として「愛する母国、日本のために」政財界のかなり口うるさい!ご意見番にまで上り詰めたジジイ、いや御仁。
でも出発点は映画会社「東宝」所属の脚本家で、その後フリーになり、活劇TVドラマ「月光仮面」ほか、数多くの子供向け特撮ドラマの企画、原作、脚本、主題歌の歌詞を担当し、週刊誌に小説を連載し、流行歌の歌詞も書きまくり……。
とにかく私の子供時代は、何かメディアで話題になると、その裏では必ず川内が絡んでいる! とヒソヒソ声で語られるほどの存在でした。
青江三奈の芸名の名付け親であり、彼女をデビューさせるプロジェクトを仕組んだのも川内です。そんな御仁の書いた歌詞ですからね、『前橋ブルース』はもちろん、『城ヶ崎ブルース』すら霞んじゃいますわねぇ。
♪~あなた知ってる 港ヨコハマ
街の並木に 潮風吹けば
花散る夜を 惜しむよに
伊勢佐木あたりに 灯(あかり)がともる
恋と情けの
ドゥドゥビ ジュビドゥビ
ジュビドゥヴァ……
灯(ひ)がともる
あたしはじめて 港ヨコハマ
雨がそぼ降り 汽笛が鳴れば
波止場の別れ 惜しむよに
伊勢佐木あたりに 灯がともる
夢をふりまく
ドゥドゥビ ジュビドゥビ
ジュビドゥヴァ……
灯(ひ)がともる
あなた馴染みの 港ヨコハマ
人にかくれて あの娘(こ)が泣いた
涙が花に なる時に
伊勢佐木あたりに 灯がともる
恋のムードの
ドゥドゥビ ジュビドゥビ
ジュビドゥヴァ……
灯(ひ)がともる~♪
前奏の途中でインサートされる、例の「アッハ~ン」ですが、歌詞には書かれてなかったものの、レコーディングの際、いきなり川内から、「おい三奈、どこでもイイから、色っぽくため息を入れろ!」と命じられたそうです。
彼女は、そりゃメチャメチャ恥ずかしかったそうですが、天下の川内先生の直命じゃあね、「嫌です」だの「出来ません」だの言えやしませんって。今なら完全にハラスメントでしょう。
でも川内の目論見はみごとに当たり、レコード発売後、たちまち大ヒットし、3ヶ月後には、オリコンヒットチャート「ベスト10」の仲間入りを果たしました。
私は青江三奈自身が好きですから、他にも「推したい!」彼女の曲は、たくさんあります。……ので、これは近々、別件でご紹介しましょう。
今回は、本家の動画はもちろん、ちょいと掘り出し物の1曲、中森明菜がカバーしたバージョン(平成21年6月24日発売)の動画も、貼り付けておきます。
長年、体調を崩している明菜チャンですから、すでに全盛期の声はまったく出せませんが、〝あの〟か細い声で、前奏部分の「アッハ~ン」をお聴き下さい。
メディアの報道では、今年中には、何かの形でファンの前に登場するのでは? らしいですね。去年の大晦日のNHK紅白にも、「出るかも?」情報が流れ、ガセに終わりましたから、私はアテにはしてませんが(笑)。
超人気のアイドル歌手としてブレイクした彼女が、表舞台に姿を現さなくなって、かれこれ20年以上になりますかね。でも明菜は、コンスタントにシングルもアルバムも、CDを出し続けているんですね。
特に話題になって〝売れた〟のが、昭和歌謡の名曲をカバーした、企画アルバムの『歌姫』シリーズです。平成6年3月24日に第1弾が発売されまして、
『伊勢佐木町ブルース』は、第8弾!! 『ムード歌謡~歌姫昭和名曲集』と銘打ったアルバムに収録されたものです。
私は明菜チャンが好きですから、声量が落ちた彼女の歌声も「悪くねぇな」とは思います。
……が、それは脇へ置いておいて、
曲のアレンジを含めて、明菜チャンには悪いけれど、圧倒的に本家・青江三奈のバージョンに「勝負あった!」じゃないですかね。歌声にも、メロディを演奏するバンドの音創りにも、本家にはダイナミズムのようなものが溢れまくっている、と感じます。
やはり本家は強いなぁ。次回以降も、ブルース系のムード歌謡の本家を、思いつくままに紹介させていただきます。
勝沼紳一 Shinichi Katsunuma
古典落語と昭和歌謡を愛し、月イチで『昭和歌謡を愛する会』を主催する文筆家。官能作家【花園乱】として著書多数。現在、某学習塾で文章指導の講師。