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八代亜紀&藤圭子

昭和歌謡_其の102

昭和演歌の若きビッグスター御両人
八代亜紀&藤圭子 

『舟唄』&『愛の終着駅』
by 八代亜紀

『新宿の女』&『圭子の夢は夜ひらく」』
by 藤圭子

 

朗らか姐さん 八代亜紀

演歌歌手の八代亜紀が、今、一部のyou-tubeマニアの間で、ちょいと話題になっている! という情報を、先輩の物書きで、私がコロナ禍が酷くなるまで続けていた、「昭和歌謡を愛する会」の常連でもあるオッサンから聴きましてね。

正直、私は演歌歌手には、一部(北島サブちゃん、大月みやこ、吉幾三など)を除いて、さして強い関心が持てず、八代亜紀に対しても同じく、……なのですが、わざわざ先輩が教えてくれたこともあり、くだんのyou-tubeを覗いてみましたら、

これが歌曲曲関連の動画ではなく、ネット系のオピニオンリーダーとして、特に若い世代に人気のある、かつての「2ちゃんねる」の主宰者・ひろゆき(西村博之)と、同じく経済学者の成田悠輔の2人がホスト役を担う、「日経テレ東大学」という番組……だったので、たまげてしまいました。一応、下にリンクを貼り付けておきますが、セキュリティなどで開けなかったらゴメンナサイ。

私の印象ですけれど、2人は強烈な辛口コメント、皮肉コメントをSNSなどで公表することが〝芸風〟というか、義務化されているところがあり、この動画も、昭和歌謡のビッグスターである八代亜紀の、その実績をリスペクトするために番組のゲストに呼んだわけではなさそうで、あくまで、アノ昭和の狂乱の消費絶好調時代……、波に乗りさえすりゃ「いくらでも稼ぎまくれた!」時代……の生き証人として、今時のコンプライアンスに照らせば、100%NGになるはずの、あんな話、こんな話を、彼女の語る「実話」だけを頼りに訊きだして、大いに笑ったり、たまげたりしよう! ……が本音だったはずです。

それは番組の冒頭の〝茶化し〟トークでも明らかなんですけれど、それが番組の後半、どうなるか? 2人とも八代亜紀の激動の半生に感激し、「やっべぇ、俺、泣いちゃうよ!」と言わしめる……のですよ。この理由は明らかに、彼女が人間的にも性格的にも、しごく「真っ当」かつ「素晴らしく善良な人!」だからでしょうね。

その性格ゆえに八代亜紀は、さまざま芸能ビジネスにはびこる悪しき輩に、何度も利用され、何度も騙されちゃうんだよ! と、私はつい、目の前の動画画面に向かって苦笑しながらツッコンでしまったくらいです。

でも彼女は常に平然としているように映ります。そんなエピソードは「嘘っぱちじゃね?」と最初は、しょせん斜に構えてしか眺めていなかった私ですが……、ふうむ、彼女のトークを聴けば聴くほど、どうやらマジで、八代亜紀という女性は腹の底に「何もない」……単純に評せばメチャメチャ良い人! としか思えなくなりました。

彼女のその人となりは、完全に父親の教育のおかげらしいです。彼女が幼い頃の記憶に、こんな家族のエピソードがあるそうで。

父親は八代が小学2年生の時に、脱サラして運送業を始めたところ、商売の才覚がなかった故か、なかなか軌道に乗せられず、結構な貧乏生活になってしまった。

そんな状況でも父親は、困っている人を見ると放っておけない性格らしく、ある日、1人のみすぼらしいナリの男を連れてきて、「今日からウチに住まわせるから、よろしくな」と母親に頼んだんですって。男の正体は不明で父親も「知らない」というだけ。母親は亭主の言いつけどおり、見ず知らずのよくわからん、浮浪者同然の男のために、事情の一切を訊かずに朝昼晩の食事、風呂、洗濯の面倒、真新しい下着、洋服などを買い揃えてあげたんだとか。家族の生活の切り盛りですら大変だと言うのに……。

ひと月ほど経った頃、男は急に姿を消した。八代自身や母親はもちろん、父親にも一言の御礼もなく! 母親はさすがに腹を立てて「失礼過ぎやしませんか?」と亭主に愚痴ると、「いいんだよ。ウチよりもっと住みやすい場所があったんだろう」と語り、あまつさえ陽気に笑った、んですって。

そんな父親の教えは、「自分の周りの人々は、誰しもみんな対等だ。自分勝手な好き嫌いの感覚で人を見比べたり、依怙贔屓をするな!」……だそうで、彼女は昔も今も、その言いつけをひたすら守っている! とのことです。

いやぁ私はハズカシながら、齢、還暦ハゲにもなってまだ、年がら年中、アイツは好き! アイツは嫌い! そんなてめぇ勝手な不埒なことばかりほざいておりまして、八代の動画を眺めながら、大いに反省されられた次第です。

御両人

彼女が出すシングル、出すシングル、ミリオンヒットを重ねていた、昭和40年代半ばから50年半ばあたりまでの、いわゆる昭和歌謡の全盛期! ……ほぼ同時期に、同じく演歌界の若きビッグスターに成り上がった女性の1人が、前回のコラムにも取り上げた、♪~よってらっしゃい よってらっしゃい お兄さん~♪ を唄った藤圭子なんですね。

歳は藤圭子が1つ下、シングルレコード発売によるデビューは、逆に藤が2年早い1969年9月25日、タイトルは『新宿の女』(作詞&作曲:石坂まさを)。一方、八代亜紀は1971年9月25日に『愛は死んでも』(作詞:池田充男/作曲:野崎真一)でデビューしています。

2人が当時、本音で仲良かったどうか? 定かじゃありませんが、何かにつけてザックリ捉えりゃ、なんとも対称的な人生であるように感じます。

八代は、九州の熊本県八代(やつしろ)郡(現在の八代市)出身。地元の中学を卒業後、プロ歌手になる夢を父親に猛反対され、勘当同然、親戚を頼って上京します。プロ歌手としてデビューする前は、まずは新宿の歌謡喫茶、のちにスカウトされて銀座の著名ナイトクラブへ……。専属歌手として唄う姿に「圧倒的な華がある!」とホステス仲間が騒ぎ出し、背中を押される格好でTVの人気オーデイション番組「全日本歌謡選抜」に出演。

決して簡単にデビューにこぎつけたわけじゃなさそうだし、デビュー直後も「月給数万円の生活だったわよ」、「クラブ歌手時代の稼ぎの方が、数倍、いや十数倍も多かったわねぇ(笑)」と本人が語るほど、八代亜紀なりの試練も苦労もありましょうが、まぁまぁ彼女の常にポジティブで天然な性格ゆえですかね、苦労話もみずから笑いに変えられちゃうんですね。

『舟唄』(昭和54年5月25日発売/作詞:阿久悠/作曲:浜圭介)

♪~お酒はぬるめの燗がいい 肴はあぶった イカでいい
女は無口なひとがいい 灯りはぼんやり 灯りゃいい
しみじみ飲めば しみじみと 想い出だけが 行き過ぎる
涙がボロリと こぼれたら 歌いだすのさ 舟唄を

沖の鴎に 深酒させてヨ
いとしあの娘とヨ
朝寝する ダンチョネ~♪

『愛の終着駅』(昭和52年9月25日発売/作詞:池田充男/作曲:野崎真一)

♪~寒い夜汽車で 膝をたてながら
書いたあなたの この手紙
文字のみだれは 線路の軋み
愛の迷いじゃ ないですか
よめばその先 気になるの~♪

笑わない女 藤圭子

一方の……藤圭子。こちらは九州とは真反対、北海道は旭川出身(生誕は岩手県一ノ関)。両親揃って浪曲師の家庭に生まれ育ちました。彼女の歌手としての圧倒的な才覚は、すべて両親から受け継いだものでしょうね。でも超が付くほど貧乏でした。それが故、彼女はステージ上では「絶対に笑わない! いや笑えない!

と、言い切ってしまうのは、当時も今も、藤圭子といやぁ、〝そういう〟悲惨な過去しか出てこないからですが、本当のところは私も知りません。ただ私が子供時分の記憶と照らし合わせても、藤圭子=「絶対に笑わない」の印象だけはリアルです。

『新宿の女』という楽曲をひっさげてプロデビューを果たすと、たちまちレコードが売れまくり、一躍、スター歌手の仲間入りするのですが、……なぜか不思議と、常に「超貧乏な生い立ち」と「絶対に笑わない」キャラが付いて回ります。

『新宿の女』

♪~私が男に なれたなら 私は女を 捨てないわ
ネオンぐらしの 蝶々には
やさしい言葉が しみたのよ
バカだな バカだな だまされちゃって
夜が冷たい 新宿の女~♪

幼心に、なんかコイツ、気色悪いなぁと感じたものです。だって、司会者に何を言われようが訊かれようが、終始ブスーッと暗く、喋りもボソボソと低く小さな声……だったんですからね。

私が感じた気色悪さを、当時、東京12チャンネル(現在のテレ東)の社員ディレクターだった、「朝まで生テレビ!」の司会でもお馴染みのジャーナリスト・田原総一朗も当然ながら感じていたようです。そしてテレビマンの嗅覚とえげつなさで、「なんとか虚像の藤圭子ではなく、生身の藤圭子の本音に迫りたい!」との企みをいだき、実際、藤圭子で1本、ドキュメンタリー番組を制作しちまうんですね。

1970年に放映された、「わたしは現在(いま)を歌う ~藤圭子 6月の風景~」という番組です。下にリンクを貼り付けましたが、開いて動画が観られますかね^^;? このコラム上で開けなければ、お手数ですが、ご自分でネット検索をかけてみて下さいな。

この番組によって、実は藤圭子のスタッフがこしらえた「絶対に笑わない歌手」という虚像は、ものの見事に壊れました。番組にレポーターとして登場する、実にアケスケで破廉恥な喋り方をする女の、さまざまな誘導尋問に〝乗り〟、彼女が少しも暗くない、いや、むしろ天真爛漫で無邪気というか、天然な印象の実像が、そのまま映像に残ってしまったのですから。

ただもう1つの「超貧乏」で悲惨な生い立ち……の方は、どうにもこうにも口を割りません(笑)。レポーターが彼女の看板ソングでもある『圭子の夢は夜ひらく』(昭和45年4月25日発売/作詞:石坂まさを/作曲:曽根幸明)……の歌詞を引き合いに出し、3番の歌詞の ♪~昨日マー坊 今日トミー 明日はジョージかケン坊か 夢ははかなく過ぎて行く 夢は夜ひらく~♪ という内容は、まぁ年頃の女性の日常としてわからんでもないけれど、

「でもナニよ~、1番の歌詞の……♪~15 16 17と アタシの人生暗かった~♪、ってさ? なんでそんなに暗いのに夢が夜開くの? どういう意味?」と、さかんにツッコンで、……まぁ、つまりは、「本当の圭子チャンの15、16、17歳当時の生活は、決して暗いわけでも、超貧乏だったわけでもないんでしょ?」……てなことが訊きたかったんだろうと、私は勝手に推測します。ディレクターの田原も、そこは期待したんだろうと。

でも彼女は「えー、わかんななーい、そんなの」、「アタシは何にもわかんないまま、唄って来たから」……みたいな〝逃げ〟方をするのです。相当に関係スタッフに脅されていたのか? それともすでに虚像の人生の刷り込みに洗脳され、自分でも本気でそう信じてしまっていたのか?

『圭子の夢は夜ひらく』

♪~十五、十六、十七と
私の人生暗かった
過去はどんなに暗くとも
夢は夜ひらく

昨日マー坊 今日トミー
明日はジョージかケン坊か
恋ははかなく過ぎて行き
夢は夜ひらく~♪

藤圭子の生い立ちの「超貧乏」に関しては、未だに様々な憶測が飛び交っています。

それを仕組んだ張本人が、藤の上京後、自宅に同居させて「プロ歌手に育て上げた!」と豪語する、作詞家の石坂まさをであることは、私自身、例の昭和歌謡の会に、何度か遊びに来てくれた、石坂の弟子筋にあたる女流作詞家の口からハッキリ聴きましたから、間違いないでしょう。「藤圭子は後年、猛烈に石坂を恨んでたので、ほぼ絶縁状態ね。それが証拠に、恩師の石坂の葬式に藤圭子は参列しなかったし……。本来なら弔事を読んでもおかしくない間柄のはずなのに」……と。

まぁ、人を呪わば穴2つの喩えじゃありませんが、平成25年の3月に石坂が亡くなると、そのちょうど5ヶ月後、藤圭子もみずから飛び降り自殺をして、彼岸へ旅立ちましたよね。オソロシイ^^;!

彼女に終生まとわりついた「不幸」の2文字……。歌手としての才が抜きん出て優れた田舎娘、それも生来、天真爛漫だったはずの小娘を、決して堅気とはいえぬ芸能関係の〝スレッカラシ〟野郎どもが、都会に連れ去り、寄ってたかってイジクリ回し、阿漕な演出をさせまくった結果の、悲惨な副作用! 後遺症! としか言いようのない精神耗弱……。彼女の無垢な心根は、他人が計り知れほど傷ついてしまったのでしょうね。

もっとも彼女の自殺は〝藤圭子プロジェクト〟とは無関係で、某有名なノンフィクション作家の影響である、というのも業界では有名な話です。直接の原因というよりは、彼女が後年、精神を病んでしまう〝きっかけ〟をコイツがこしらえちまった、……という意味です。いわゆる不倫関係ね。でもコレは、私自身が直接聴いた話じゃありませんので、名前は伏せます。ネット検索すれば、たちまち判ってしまいますが^^;。

とにかく昭和の演歌界の若き2大ビッグスターの1人、藤圭子の人生は、どこまで行っても謎、謎、謎に満ちていました。その理屈でいえば、15、16、17歳ばかりか、享年62で今生をオサラバするまで、ずーっとイメージは「暗かった」ことになりましょうか。

一人娘の宇多田ヒカルが、お母さんと同じく歌手として成長し、平成ポップスの超の付くビッグスターに君臨し、令和の現在もなお、世代を超えた音楽ファンに親しまれている……その事実だけが、神様が藤圭子に与えた唯一の贈り物かもしれません。

ま、若い宇多田ファンは、すでに彼女の母親が藤圭子であることを知らない。もっといやぁ藤圭子って誰? ってな感覚でしょうけれど。

歌手人生の幸

一方の八代亜紀は、お父上の血を継いで、誰ひとり他人を「依怙贔屓しない!」人生……、人を恨むことも恨まれることもない人生……を歩んでいるのかな? と冒頭のネット動画を観終えて、そう感じましたけれど。これだって私が直接、彼女に会って聴いた話じゃありませんから、どこまでが真実かなんてわかりません。

ただ……、私はつい先日、明確に1つだけ解ったことがありまして。それは八代亜紀に比べると、藤圭子は「圧倒的に歌唱力に長けている!」……事実です。

これもyou-tube動画になりますから、リンクがNGかも? しれませんが、たまたまお袋に聴かせる昭和歌謡のカラオケを検索していて、出てきた、かなり古いTVの歌謡番組です。

明記されてしませんが、放映局はNHKのはずです。その昔に「ふたりのビッグショー」という番組枠がありまして、「八代亜紀&藤圭子」の回……の動画です。番組冒頭からラストまですべて鑑賞できますから、歌謡曲マニアにとってはかなり貴重です。

この中で2人は、デビュー直後の自分のことを面白おかしく語り合いながら、互いの看板ソングともいうべき大ヒット曲を、みずから唄うのはもちろん、相方の曲の歌唱も観客に披露しています。

その幾つもの2人の歌唱を、何のバイアスもかけずに、ただ客観的に聴いてみますと、明らかに藤圭子の〝喉〟の出来が八代を上回ります。加えて明らかに藤は八代より器用というか芸達者で、八代亜紀のお馴染みの歌を、さも本人が唄っているかのように声真似を交えつつ、見事に唄い上げています。

嗚呼、藤圭子って、こんなに音程をしっかり保って、達者な歌声を響かせることが出来る歌手だったんだなぁ。……つくづく私は、もったいない! と感じます。

生きてりゃ今年で72歳ですからね。まだまだ観客を圧倒する歌唱を、BSの歌謡番組などで見せつけてくれた……んじゃないですかね。

片や八代亜紀は、元来、さほど上手い歌手じゃないし、デビュー当時はともかく、すでにこの番組の当時、音程も安定してないように、私の耳には聴こえます。

でも、なんてったって性格は朗らかだし、見るからに他人に優しく寄り添う印象で、誰もがその人柄には惚れるでしょうねぇ。なにしろ底意地が悪いほど辛口なコメントが得意な論客2人をも「泣かせちゃう!」んですから。

歌手の人生とすると、どちらが幸せなんでしょうか? これも、私自身が歌手になってみなけりゃ、判断がつきませんがね。

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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