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更紗渡来

そもそも更紗って何_ 其の壱

古渡り更紗はいかにして和更紗となりにしか

 

古渡り更紗

桃山時代から江戸時代にかけて、ポルトガル船やオランダ船によって、エキゾチックな文様のインド更紗が日本に舶載された。

インド更紗は、それ以前の日本では見かけもしないような異国情緒溢れる不思議な花々や、躍動感みなぎる動物などが、強烈な茜色を主体として、明朗、華麗、多彩な色調で染められていた。布は軽くてしなやかな風合いを持った木綿。

当時の人たちはこの更紗に心をうばわれ、大きな刺激を受けた。

この輸入更紗は大名や茶道の粋人、富裕な町衆たちにとって垂涎の品々であり、競って求めるようになった。インドへ日本向けの文様を発注したほどだ。

大名は陣羽織や武具の一部に使用して人目を引き、また、茶人は仕覆や袱紗、古い伝来のある茶道具を包む風呂敷や煎茶の敷物に愛用した。

これらの輸入更紗を「古渡り更紗」といい、現存する古渡り更紗の中で代表的なものに「彦根更紗」がある。彦根更紗は彦根藩の井伊家に伝来した十七世紀から十八世紀にかけてインドで作られた更紗裂で、貴重な資料となっている。

しかし輸入された更紗は、庶民には羨望の的であり、高価で手の届かぬものであった。

古渡インド更紗

和更紗

こうしたなかで、古渡り更紗の文様を模倣しつつも、その中に和風の美しさを加えて、我が国独自の素朴で温かみのある更紗が作り出されるようになってきた。

この更紗を「和更紗」と呼び、天保八年(1837)に出版された『守貞漫稿』に「和更紗」の文字が記されているが、それ以前から日本の更紗は製産され始めた。

和更紗の主な産地は京都、堺、長崎、鍋島。寛永十五年(1638)『毛吹草』第四巻の山城幾内の項には諸国の特産品が記されており、──紺染、梅染、茶染、藍染、沙羅(しゃむろ)染、蘇芳染──の記がある。

元禄三年(1690)に発行された風俗事典的絵本『人倫訓蒙図彙』にも「紺屋、沙室師、沙羅沙、沙室、霜降、茶染師」の記載がある。沙羅染が和更紗と同種といわれ、我が国においても1600年代には一種の更紗染めに近いものが染められていたと思われる。

白地唐花唐草文様更紗 京(堀川)更紗/江戸時代後期

『佐羅沙便覧』

そして、更紗染めの専業者(沙羅師、沙室師などと呼ばれていた)が現れて本格的に生産されたのは1700年頃からと考えられるが、文化・文政(1800年代)頃には大流行した。

宝永五年(1708)『増補華夷通商考』、しゃむろ屋の項に、日本とシャム(現在のタイ)との交易があり、シャム王国で珍重されるインド更紗の技法も学んでいることが記されている。

正徳二年(1712)『和漢三才図会』では、華布の項に印華布、佐良左、染めの記があり、「按ずるに、華布は即ちを茜を用いて花文を染む。初め天竺・羅より出づ」また「本朝多く染め出す者、洗えば即ち華文消へ易きのみ」とあり、我が国の更紗は洗うと文様が落ちてしまう、と染めの技法の未熟さも認めている。

安永七年(1778)には日本独自の「手描き更紗」の技法書である『佐羅紗便覧』が出版され、これを元本にして安永十年(1781)には『増補華布便覧』を、そして天明五年(1785)には『更紗図譜』がそれぞれ出版されて、全国に更紗の技法が普及していった。

『増補華布便覧』

安政十年(1781)に出版された手書き更紗の技術書と「ウンヤ手」文様(ウンヤ手の意味は不明)の図版と、それを参考にして作られた袂落〈たもとお〉とし、袂落としは煙草や手ぬぐいを入れたりする。

型摺り更紗

これらの本の内容は一般向けの更紗の指南書で、素材の入手方法や簡単に仕上げる方法、また、古色の付け方まで記され、その後は増補改訂をし、彩色もされて、明治時代の末まで次々に出版された。

ところが、これらの手描き更紗は良質で高価な木綿を使用する上に、手間もかかるので、量産には不向きであった。

ちょうど、この時代には国産の木綿が日本各地で生産されるようになっていたので、その木綿を使い、小紋染めなどにすでに使用されていた型紙を使って、安価で大量に生産できる日本独自の「型摺り更紗」という方法が考案され、一般の町衆たちにも普及するようになった。

こうして型摺り更紗は江戸中期から末期にかけて絶頂期を迎えることになり、和更紗の文様もインドやヨーロッパ更紗のエキゾチックな文様の模倣にとどまらず、動物や人物文様は和風の様式と合体させたり、植物文様や連続文様は型染め特有の伝統的な幾何学文様構成を加えるなどして、文様の種類は万華鏡のような趣となっていき、明治中期までこの流れは続いた。

しかしその後は、新しい化学染料と安価な紡績綿布のプリント捺染になり、和更紗は趣を変えてしまい、日本独自の文様を失ってしまった。

 

熊谷博人 Hiroto Kumagai