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なかにし礼 その参

昭和歌謡_其の七十二

「作詞家・なかにし礼の世界」その参

『哀愁のシンフォニー』
キャンディーズ

 

超人気アイドルに唄わせた、艶めく女の恋情(ごころ)

今回は、毎度お決まりのごとくの、長ったらし~い【前口上】は抜きにし、いきなり本題に入ります。

前回、朝丘雪路が歌唱し、大ヒットしたムード歌謡の名曲『雨がやんだら』を紹介いたしました。

もう1曲、なかにしが得意中の得意とする、男女の色恋をテーマにした、艶っぽい楽曲を取り上げましょうか。それも、超人気アイドルグループだった、キャンディーズに提供した1曲、『哀愁のシンフォニー』(1976年11月21日発売/作曲:三木たかし/編曲:馬飼野康二)!!

グループ解散後、ウン十年を経た現在でも、カラオケファンの間で、誰かが、かならず1回はリクエスト歌唱する、定番の【バラードソング】になっております。

キャンディーズに歌詞を提供している作詞家は、山上路夫、千家和也、阿木燿子ほか、なかにし同様、超の付く売れっ子揃いですけれど、

なぜか、そのラインナップに、この楽曲のみ【なかにし礼】が参入し、その後、まったく関わっていない!! という事実は、何を意味するのでしょう?

ふうむ、当時の関係者に聴かなければ、私にも解ろうはずがありませんし、ネットに溢れる、真実&ガセがごちゃ混ぜ、あまたあるキャンディーズ情報の、どこにも載っていないようですね。

でも、水面下の【大人の事情】はともかく、この楽曲が1つ、〝キャピキャピ〟の人気絶頂アイドルだった、ラン&スー&ミキ3人の【持ち歌】に加わったことで、イヤラシイ物言いをするならば──、キャンディーズは、後に登場するピンクレディとはハッキリ異なる、大人の鑑賞にも耐え得る、昭和歌謡の【名曲の歌い手】として、後世に受け継がれることになりました。

ってなことを、私なんぞが大げさに書き綴りたくなるほど、『哀愁のシンフォニー』は、数あるキャンディーズの大ヒット曲の中でも、異色中の異色!! 三木たかしが紡ぎ出す、妙にアンニュイな旋律にも助けられ、ムーディーで艶っぽい匂いに満ちています。

♪~あなたの目が 私を見て
涙うかべてた その顔がつらい
白い霧が 二人の影を
やさしく つつんでいたわ

私の胸の奥の 湖にあなたは
涙の石を投げた 愛の深さにおびえるの Ah

こっちを向いて 涙をふいて
あなたのこと 愛せるかしら
なんとなく恐い~♪

恋こがれる彼が、【私の胸の湖に 涙の石を投げた】……その予期せぬ波紋の拡がりに、嬉しさを通り越し、あまりの【愛の深さ】を感じてしまい、「この人の相手は、本当に私で大丈夫なのかしら?」と【おびえて】しまう。

彼のことがメチャメチャ好きなのに、好きだからこそ、かえって ♪~なんとなく怖い~♪……という女心。アイドルなんぞに提供するのは、もったいないくらいの、なかにしが得意中の得意とする、恋情(こいごころ)の吐露です。

前回のコラムに、私は『雨がやんだら』の歌詞を、「本場フランスのシャンソンの世界観にも似て」と記しましたが、『哀愁のシンフォニー』にも、同じ匂いを私は感じます。

身過ぎ世過ぎのシャンソン

シャンソンの世界観!? そうです、なかにしにとって、〝こんな程度〟の作詞など、おそらく朝飯前の所業だったはずです。

なぜなら彼は、立教大学時代にフランス文学を専攻し、本人いわく「学費を稼ぐため」、当時、世界的に大ブームを起こしていた、シャンソンのヒットソングを日本語の歌詞に翻訳するバイトを、さんざんっぱらしまくって来た……という経緯があるからです。

成熟した男女の恋の行方を、小洒落た言い回しで唄う、シャンソンの世界観から、なかにしが吸収したエキスは、きっと、本人が想像する以上の財産だったでしょう。流行歌の作詞家としての【体幹】が、シャンソンの訳詞によって鍛えられたに違いありません。

そんな彼の転機は、まるで畑違いに思われる、裕チャンこと石原裕次郎が導いてくれた、というエピソードは、私が野暮な解説をしなくても、読者の皆さんの方が、私以上に詳しい……んじゃないですかね。

ちなみに、なかにしの奥さんは、いしだあゆみの妹です。妻との新婚旅行で訪れた、静岡県は下田にある有名ホテルのバーにて、まったくの偶然、ちょうど映画『太平洋ひとりぼっち』(1963年10月27日公開/監督:市川崑/原作:堀江健一)を撮影中の、裕チャンと出会ってしまう──のです。

裕チャンはその時、無名のなかにしのことなど、当然、知るわけもなく、ただ、彼が訳したシャンソンを数曲、「けっこう好んで」聴いたり、鼻歌で唄ったりしていた、とかなんとか、何かの記事で読んだ記憶があります。

「シャンソンの訳詞なんて、いつまでやってんだい? もう飽きただろ。君も日本人なら、日本語の歌謡曲の歌詞を書けよ。俺が気に入りゃあ、唄ってやるからさ」

はて、裕ちゃんは本気で【そう】言ったのか? それとも酔った勢いのサービストークか? なかにしにも判然としなかったようですが、すでに飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍中の大スターからの、ありがたき【一言】に感化され、彼は本気で流行歌の作詞家になるべく、ひとり奮闘を始めたのです。

(次回へ続く)

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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