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中森明菜

昭和歌謡_其の111

「昭和の常識は、令和の不適切!?」

『快傑ライオン丸』
by ヒデ夕樹&ヤング・フレッシュ

『DESIRE─情熱』
by 中森明菜

令和の快傑ライオン丸

 年明けの初日から早速、干支の辰=龍神さまの大逆鱗! 口から放たれる猛烈な火炎と、〝いかつい〟極太な胴体を天界でやたらめったら躍らせまくる、その波動連鎖による激震で、令和6年の日本は、少しも安寧でも穏やかでもない、

いやハッキリと、その真逆! 過酷かつ試練多き年回りになるのが「確定なんじゃね?」と、……屁垂れで臆病なワタクシめは、ひたすら上空を仰ぎ見つつ怯えておりました。

そんな私の前に突如、現れ出(いで)た地上波TVの連続ドラマが1本。

売れっ子脚本家のクドカン(宮藤官九郎)がオリジナル・ストーリーを書いた、阿部サダヲ主演の『不適切にもほどがある!』のことですが……。

第1回目の放映録画を、わが家のテレビ画面で観始めて、それも何の内容に関する予備知識も無く観始めて、たちまちクドカンワールドにわがマインドが侵食されたと言いましょうか、最初は「ククク」、そのうち「あははは」、終いには「だっはははは、そうだそうだ、阿部のおっしゃる通り」と、大きな声の独り言を放ち、パチパチ拍手までしながら、……知らず私の両の瞼(まぶた)からツツーっと涙がこぼれ落ち、頬を濡らしたのです。

(え? あら? 俺、感動してんじゃん!)
(それもメチャメチャ感動してるじゃん!)

この現象は、同じくクドカン脚本のNHKの朝ドラ「あまちゃん」を視聴していた時も起きました。ゲラゲラ腹を抱えて笑っているうちに、なんだか、しみじみ、ドラマの登場人物たちの台詞に感じ入って、泣きたくなくても泣かされちまうのです。

『不適切にも……』をご覧になってない皆さんに、ざっくり内容を記しますと、

阿部サダヲ演じる主人公は小川一郎といい、昭和10年生まれ。昭和61年当時(ってことは51歳って設定ですね)、葛飾区立第六中学校のベテラン体育教師であり、生活指導主任であり、超スパルタ指導は「当たり前めぇよ!」、部員の誰かがヘマすりゃ「ケツ(尻)バット上等!」などなど、「鬼の小川」の異名を取る野球部の顧問も務めていたり……。

まぁ、そういうね、いささかのデフォルメは御愛嬌としても、私が中学だった昭和50年前半は言わずもがな、昭和61年ですら、小川の〝この〟程度の言動は、実話として日常風景だったはずであり、別段ナニがどう騒ぎになることもなかったでしょうね。

特にドラマの舞台である葛飾区(口腔科ドクター・林晋哉も同区亀有出身です!)やら、私が生まれ育った大田区蒲田あたりやら、ついでにその〝お隣〟の地域、ラッツ&スターのリーダーで、今や「ムーディな声で女を濡らす」ラブソングの帝王、鈴木雅之の故郷、大森西あたりやら、……なら尚更のことです。

さてドラマの方は、そんな小川がひょんなきっかけで、なんと令和6年の現在にタイプトリップします。さすがに狼狽した彼が、路線バスの後方座席で【しごく普通】の行為として煙草を吸やぁ、たちまち前方の客たちから、「不適切にもほどがある!」とばかりの厳しく鋭く痛い視線が、矢のごとく飛んで来ます。

それからというもの、口を開きゃあ「不適切!」、何かをやり始めりゃ「不適切!」……、過剰に張り巡らされた令和時代のコンプライアンスとやらに、照らし合わせりゃ、小川の存在そのものが「不適切にもほどがある!」訳です。

画面の中の小川は、昭和61年に生きる自分の日常のまま、喜怒哀楽のまま、巷をふらつくわけですから、38年後の日本が、あまりといえばあまりに息苦しく窮屈に感じて、まさに七転八倒ののたうち回りを演じて見せてくれるのですが……。

最初こそプッと吹き出したり、ゲラゲラ大笑いしたり……していても、そのうち笑えなくなります。だって、小川の苦悩の風景は、他ならぬ令和6年に62歳を迎える、昭和37年生まれの私の日常そのものだから! です。

「だよな、そうだよな。うんうん、小川……、おめぇの言う通りよ。俺たち世代はよ、別に何も悪いことをしちゃいねぇ。子供ン時に、てめぇの親や教師や周囲の大人たちから教わったことを、正しいと信じて生き長らえて来た、だけのことじゃねぇか。それの、どこがハラスメントなんだ? どこがコンプライアンス違反なんだ?」

「なぁ小川、いっそのこと俺も、昭和61年にタイムトリップしちまいたいぜ」

ハズカシクも私の頬が涙で濡れたのは、その台詞を口走った直後でした。

と……、画面の中で、阿部サダヲとW主演の仲里依紗も、泣きじゃくってるではありませんか。彼女は令和6年の現実で、大手テレビ局の番組制作部に勤める、優秀な〝中間管理職〟の、渚という社員を演じています。

局の経営陣や彼女の上司どもが、これがまた揃いも揃って、現行の岸田政府の顔ぶれと同じくどうしょーもなく破廉恥な連中ばかりで、誰一人として「事の本質」に向き合おうとはしません。

破廉恥政府が姑息にも打ち立てた、実行するにはあまりに非現実的な「働き方改革」のルールを、ひたすら盲目的に「社員に守らせたい!」、加えてスポンサーからの「クレームが怖い!」、視聴者からの「クレームが怖い!」

これらを100%回避したいがため【だけ】の目的で、理不尽なまでに「アレしちゃ駄目!」「コレしちゃ駄目!」と禁止事項を、やたらめったら数珠つなぎに並べ立てるものだから、すでに渚も、すっかり、しっかり、神経を病んでしまいましてね。気も狂う寸前……なわけです。

そこへ、快傑ライオン丸(古いねぇ~)とばかりに小川が、昭和61年からドッキリひょっこり現れ出(いで)ましてね。

せっかく昭和と令和を行き来するのですから、さらに時代を遡って……昭和47~48年、フジテレビ系で放映された特撮ドラマ『快傑ライオン丸』の主題歌も唄っちゃいましょう。(歌唱:ヒデ夕樹&ヤング・フレッシュ/作詞:しのだとみお/作曲:小林亜星) 当時の私は小学4年生で、毎週土曜日、楽しみに観ていました。

♪~空よ 光よ 正義の祈り
変われ獅子丸 ライオン丸に
日本の平和を守るため 暗黒魔神をやっつけろ
今だ 今こそ 変身だ

走れ(オーッ!)ライオン
とべとべ ライオン丸
行くぞ 怪傑ライオ~~ン丸

補足しますが、この特撮ドラマは戦国の世が舞台の時代劇でして、敵が現れてピンチが訪れると、主人公の獅子丸は「忍法獅子変化」の術により、ライオン丸に変身します。その際のお決まりの台詞が、「ライオン丸、見参!」ってわけで……。

いきなり令和の世に〝飛んで〟来た小川は、渚のひとり娘のオムツ替えを代行し、お尻拭きのウエットティッシュを天高くヒョ~イとひらめかしながら、彼女の職場に「見参!」します。

「なんだい、働き方改革って? 気持ち悪りぃ! 働き方って、がむしゃらと馬車馬以外にあンのかね?」

「(仕事を)全部、自分一人でやった方がマシと考えるのも、その人の働き方だし、定時で帰りたきゃ帰りゃあいい。そんなの、好きにさせりゃあいいじゃん」

渚が、このところずっと、……もうね、ずっとず~っと大声で主張したかった台詞を、ものの見事に小川は吐き出してくれました。それも、同じ職場に勤めるイケスカネェ亭主の真ん前でね!

嬉し涙にむせぶ渚は、速攻で亭主とは離婚。上司にもミュージカル仕立て(このあたりがクドカンらしいとこですね)で職場改善を要求するとともに、……次第に小川を本気で好きなってしまうようで。

ま、番組紹介はこの辺にしましてね。

つまりはこのドラマ、平成の半ばから令和の今にいたるまで、100%昭和時代の所業の何もかもを「モラル違反!」と断定、断罪し、さまざまな〝その場しのぎの〟制度改正を繰り返し繰り返し……して来たけれど、

じゃあアンタ、今の世の中は、さぞや、思いっきり気持ちよ~く吸える空気で、町も職場も学校も家庭も、満ち満ちているんでしょうね?

「さぁさぁ、アンタ……どうなのよぉ~? 本音で答えてみなさいよぉ~?」

その答えを視聴者に迫っている! のです。

昭和は「時代そのものが悪!」「破廉恥!」「(さまざま)差別的!」だと思い込んでいる、平成生まれの連中は多いけれど、

「本当にそうなの?」
「そんなに今の世の中、昔に比べて生き易くなってンの?」

誰しも自分の胸に手を当ててみりゃ、リアルに判るはずです。令和6年現在、どこもかしこもコンプライアンス、コンプライアンス、猫も杓子もコンプライアンス、コンプライアンスの大号令!

ほんの僅かでも【それ】を逸脱すりゃあ、たちまち周囲から蔑まれ、あまつさえ、ネット世界に棲まう見ず知らずの「ハッキリと他人様」から、ガンガン糾弾されまくり、今ここで自分がごくごく普通に空気を吸う権利さえ、奪われてしまう!

そんな時代の、どこがどう「昭和時代に比べて生き易い」のでしょう?

「ううん、違う! こんな世の中を私は望んだわけじゃない!」

その〝答え〟を、阿部サダヲ演じる小川は、昭和61年の時代から運んで来てくれました。そしてまた小川は小川で、自分が正しいと信じて疑わなかった、昭和時代の常識やら制度の良さ、悪さを、令和6年を生きる人々との交流によって、再検証させられる、というのも、このドラマの見どころです。

それにしても昭和61年……、今から38年前、私は23歳だったはずですので、大学出たてで、まだ本格的にライター稼業に足を突っ込む前の、はなはだ「もがいていた」季節ですね。

感覚的には「38年なんて、あーっという間、つい昨日のことのようだ」ですが、ドラマの中で、小川が乗った路線バスの座席に、煙草の灰皿が取り付けてある! のを観て、一瞬、ギョッとなりました。ま、すぐに、(ああ、そうだ、そうだ、あの時代はそうだった)と思い直しましたが。

平成キッズばかりか、すでに私すら、アノ頃に当たり前だったことが「当たり前だと思えない!」思考というか心持ちというか、……〝そう〟なってしまっている自分に、改めて気付かされました。

それは良いことか? 悪いことか? 答えは、ドラマの中にありそうな気もしますが、おそらくは、そのどちらでもないのでしょう。

ただ、しみじみ感じます。嗚呼、昭和はマジに遠くになりにけり、と。

「ごった煮」の味わい

ここで、いきなりメインの話題……、昭和歌謡の話に入りますが、

私が昭和時代の流行歌=歌謡曲を愛する理由の大きな柱に、歌手、作詞家、作曲家の三位一体、編曲家を加えりゃ四位一体……、それぞれのジャンルのプロが、個々の力量を競い合うがごとくコラボする、その「ごった煮」の味わいの魅力、というのがあります。

全員が100%、クリエイションの実力を発揮できればベリグーですけれど、そうならないこと【も】多々ある……のが、実に興味深いところでしてね。チャットAIでは決して再現できない、まさしく人間の為せる妙技! でしょう。

大御所の作詞家、作曲家に頼んだからって「信じがたいほど売れない!」事実もありゃ、どこの馬の骨だかわからん! ような奴に書かせた歌詞が、メロディが、あまりに斬新で大ヒットした、……なんて事実もざらにある。【そこ】が昭和歌謡の、昭和歌謡たる所以です。

ここ数十年、景気が少しも良くならない時代の宿命でしょうが、いわゆる平成ポップスの類(たぐい)は、制作費をワンサカ使いはたして「信じがたいほど売れない!」ってな現実など、絶対に許されない! そういう空気感の中でクリエイションされますから、組織ぐるみで大ヒット戦略を立て、組織ぐるみで楽曲をプロデュースし、リスナーの耳に届けることになります。正直、作詞家や作曲家の「個人芸」は、さほど評価されない。というより、個々のクリエーターのスタンドプレイの一切が、許されなくなります。

結果……、どの曲を聴いても似たりよったりの、個性のない歌詞やメロディの楽曲ばかりが、オリコンのヒットチャートに並ぶわけでしょう。

平成の世まで、あと3年ほど残した、昭和61年に発売された歌謡曲を眺めてみますと、ふうむ……、すでに平成ポップス的な楽曲ばかりが並んでいるように感じ、正直、さほど私は食指が動きませんねぇ。如何せん面白みが感じられない!

昭和61年のオリコン・シングルチャート(年間売り上げベスト10)
1位:「CHA-CHA-CHA」石井明美
2位:「DESIRE」中森明菜
3位;「仮面舞踏会」少年隊
4位:「Ban BAN Ban」Kuwata Band
5位:「My Revolution」渡辺美里
6位:「恋におちて」小林明子
7位:「ジプシー・クイーン」中森明菜
8位:「スキップ・ビート」Kuwata Band
9位:「OH!!POPSTAR」チェッカーズ
10位:「青いスタスィオン」河合その子
×       ×
これが、さらに5年さかのぼると、こうなります。

昭和56年のオリコン・シングルチャート(年間売り上げベスト10)
1位:「ルビーの指環」寺尾聰
2位:「奥飛騨慕情」竜鉄也
3位:「スニーカーぶる~す」近藤真彦
4位:「ハイスクール・ララバイ」イモ欽トリオ
5位:「長い夜」松山千春
6位:「大阪しぐれ」都はるみ
7位:「街角トワイライト」シャネルズ
8位:「恋人よ」五輪真弓
9位:「チェリーブラッサム」松田聖子
10位:「守ってあげたい」松任谷由実

どうです? 【こっち】は、……なんか個性豊かでオモロイでしょ。個々の楽曲の好き嫌いは脇へ置いておいて、演歌にポップス、アイドル歌謡、ファーク歌謡、ロック歌謡、ニューミュージックほか、楽曲のテイストが「ごっちゃごちゃ」です。

繰り返しますが、この「ごった煮」の味わいの魅力が、昭和歌謡の存在証明みたいなものでありまして、昭和56年ごろには、まだ、かろうじてそのクリエイションの【伝統】が引き継がれています。

つい……、うろ覚えの歌詞を口ずさみたくなる歌が、いくつも並んでいます。

ところが、どうでしょう? 昭和61年になると、ふうむ、ちょいと口ずさめる歌が、……ない! 風呂場の湯船に浸かって、エエ心持ちで鼻歌にしたくなる歌が、……ない!

でも原稿のラストに、何か1曲ぐらい、昭和61年発売の歌謡曲も載せておかなきゃ、「快傑ライオン丸」だけじゃあ、マズイっしょ^^;。

明菜チャンの『DESIRE―情熱―』(昭和61年2月3日発売/作詞:阿木燿子/作曲:鈴木キサブロー/編曲:椎名和夫)」にしましょうか。

♪~Get up Get up  Get up Burning love

やり切れない程  退屈な時があるわ
あなたと居ても

喋るぐらいなら 踊っていたいの 今は
硝子のディスコティック

そう みんな堕天使ね
汗が羽のかわりに飛んでる

何にこだわればいいの
愛の見えない時代の
恋人達ね

まっさかさまに堕ちて desire
炎のように燃えて desire

恋も dance dance dance danceほど
夢中になれないなんてね 淋しい

Get up Get up  Get up Burning love~♪

こじつけっぽくて恐縮ですが、この楽曲、作詞の阿木燿子、作曲の鈴木キサブロー、編曲の椎名和夫という、売れっ子クリエーター同士の作品を、超の付く人気アイドル出身の明菜チャンが歌唱するわけですから、昭和歌謡全盛期における四位一体の制作スタイルが、真っ当に踏襲されています。

だからってこともありませんが、明菜チャン……、還暦まであと2つ、昭和の真っ只中を生きてきた、ざっくり同世代のお仲間として、今年こそは完全復活! とまでは無理にしても、ぜひ元気な歌声を聴かせて欲しいものです。

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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