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三波春夫&長渕剛

昭和歌謡_其の八十

「嘘」は、どこまで行っても「嘘」(後編)

RUN
長渕剛

東京五輪音頭
三波春夫

オリンピックの顔と顔

前回から引き続いて、【嘘】はダメよ!! という話です。

安倍がついた、オリンピックに関する大嘘は、気候だけじゃありません。『復 興五輪』って標語のような文言が、まったくのイカサマ。復興ならば福島で開かれなきゃなりません。何故、東京なのか? それは、つまりオリンピック開催の 目的は、ほぼ100%、『東日本大震災」の【復興】などでは無い!! からでしょう。そんな気持ちは、まず、毛ほどもないはずです。

まぁ、オリンピックがらみの話は、野暮な臭気しか放ちませんから、やめときましょう。話題は、同じ【嘘】でも、前回同様、歌謡曲に移して……。

昭和歌謡の「ムード歌謡」と称されるジャンルは、恋愛における男女の〝駆け引き〟がテーマになることが主ですから、歌詞の文言にも【嘘】という文字が、 やたらに目立って躍ります。

昭和42年11月に発売された、黒沢明とロス・プリモスの大ヒット曲『雨の銀 座』(作詞:富樫政子/作曲:中川博之)の歌詞

♪~うそと知りつつ 待ちました
女泣かせの 通り雨~♪

のように、流行歌に描かれる男は、女に「ヤルことだけ、ヤッた」後に、破廉 恥にも、大嘘コイて逃げちまう、ロクデナシ野郎ばかりが脇役になり、主役は 「ヤラレまくって」捨てられた女になりましょう。

その女の心情を「可哀想!!」と捉えるから、そこに、少しも上質ではないながらも、何かしらのドラマが生まれ、歌謡曲も生まれるわけですが、「ヤラレま くって」と言ったって、イイ歳こいた大人同士、無理やりナニしたわけじゃあるまいし、女だって「ちゃんと楽しんだ」記憶はあるはずだろ? などと、ミモフタモナイことを指摘するに及ぶと、今時、コンプライアンス厳しき世の中では、 完全にアウト!! になりますね。

これから紹介する楽曲は、平成5年の大ヒット曲ですから、昭和歌謡のくくりからは、ちょいとハミ出てしまいますが、色恋の駆け引きの【嘘】ではなく、 もっと人間の本質に迫る、ある意味【嘘】歌謡の名曲が生まれたのです。

この年に放映された、同名ドラマの主題歌でもありまして、以来、私は、特に 政治家、医者、教師ほか〝センセイ〟稼業の【嘘】や、著名人の【嘘】がメディ アを通じて報道されるたび、鼻歌まじりに口ずさんでしまうのが、癖になりました。

♪~なるべくなら なるべくなら 嘘はない方がいい
嘘は言わない そう 心に決めて
嘘をつき続けて 俺 生きている~♪

この『RUN』(平成5年9月22日発売)を歌唱し、かつ作詞も作曲も手掛けたのは、長渕剛です。ヤツは、超ビッグな歌手です。オリコンチャートで常にトップを飾り、この楽曲も10週連続で1位だった……記憶があります。

――が、私は長渕が好きではありません。本心からすれば、このコラムで取り上げたくない!! のですが、楽曲に罪はありません。悔しいけれど、歌詞にもメロ ディにも、私はかなり惹かれます。

何故、ヤツを嫌悪するか? あくまで私の印象といいますか、個人的評価で恐縮ですが、何から何まで【嘘】で塗り固めた、大エセ野郎だ!! と感じるからです。

〝こちら〟がCD発売当初、つまり平成5年当時の、一番、「自分の振る舞い に酔い痴れているだろう」時期の歌声

そして〝こちら〟が、平成26年に行われた、武道館ライブ映像の歌声。まるっ きり声質が変わってますよね^^;。

何故、これほどまで明確に、歌声を【変える】のでしょ? ま、熱狂的なファンなら、きっと理由を御存知なのでしょうが、私が感じる【嘘】は、こういう不可解な【変貌】の仕方にも、リアルに見え隠れします。

でも、〝そう〟決めつけた上で、歌詞全体を眺めれば、本人の懺悔ソングじゃね? と捉えられないこともなく、それはそれで意味深いモノがありましょ う。……と、私は勝手に決め付けつつ、長年、この楽曲に寄り添って来ました。

♪~賽銭箱に 百円玉投げたら
つり銭出てくる 人生がいいと
両手をあわせ 願えば願うほど
バチにけっつまづいて 膝をすりむいた

なるべくなら なるべくなら 嘘はない方がいい
嘘は言わない そう 心に決めて
嘘をつき続けて 俺 生きている

信じてみようよ 信じてみましょうよ
悔しいだろうけどね
信じきった夜 あいつの悲しみが
わかってくるのは 何故だろう

金カネカネと カネ追いかけたら
一夜にして 幸せがすり抜けた
追いかけてばかり いるうちに
頭も はげてきた

恨む心も 願う心も お前の前にいると
真実 おお真実 真実だけが 頭を垂れる

こんな臆病者だからこそ 本当の事が欲しい
ああ 夢 夢 夢で 今日も日が暮れる

Run Run Run
Run Run Run~♪

ここでコラムを終わらせても、なんか気分が穏やかになれないので、最後に、 【先の】東京オリンピック開催時の、公式テーマ曲、三波春夫先生が朗々と唄い上げた『東京五輪音頭』(1963年6月23日発売/作詞:宮田隆/作曲:古賀政男)の歌詞を、you-tubeのメロディと共に、じっくり堪能して下さい。

こちらは、まだ日本が、いや世界がコロナウイルスに汚染される前、東京で2 度めのオリンピックが開催される!! と決まって、政府も東京都も、浮かれ気分 一色だった数年前に、【公式】に制作された、「2020年TOKYO東京五輪音頭」の映像です。

♪~ハァー
あの日ローマで ながめた月が
ソレ トトントネ
きょうは都の 空照らす
ア チョイトネ
四年たったら また会いましょと
かたい約束 夢じゃない
ヨイショコーリャ 夢じゃない
オリンピックの 顔と顔
ソレトトントトトント 顔と顔

ハァー
色もうれしや かぞえりゃ五つ
ソレ トトントネ
仰ぐ旗みりゃ はずむ胸
ア チョイトネ
すがた形は ちがっていても
いずれおとらぬ 若い花
ヨイショコーリャ 若い花
オリンピックの 庭に咲く
ソレトトントトトント 庭に咲く~♪

ちなみに、この楽曲、べつに先生の持ち歌ではないのです。

著名レコード会社すべてが、所属する歌手の〝売れっ子〟に歌唱させて、競合 販売を行い、日本中をオリンピックに向けて、【前向き】なムードに煽ったので しょう。最初にレコードを出したのは、キングの三橋美智也。ビクターは橋幸夫、コロムビアは、クラウンに移籍する前の北島三郎と畠山みどり。

先生は、テイチクの歌手として発売し、結果的に一番、レコード売上げを伸ば した……のです。

【今回の】東京オリンピックも、小山田圭吾のごとき、ロクデモナイ野郎に テーマ曲を依頼するくらいなら、『東京五輪音頭』を、有り難く再利用させてもらえば、最高に良かった!! でしょうね。

私がカミサンと結婚したのは、1991年(平成3年)の6月でしたが、当時の若者文化は「サブカル」とも呼ばれ、ジャンル問わず、総じて「重たいのはアウト!!」「軽けりゃグー!!」みたいな風潮でした。私もカミサンも、そんな巷に空 気に〝まるっきり〟感じるものがなかったことを、30年ぶりに思い出しました。

音楽カルチャーは、その空気感の軽さを、もろに受けたようで、世代的に私より5歳以上「下」の小山田や、彼の幼馴なじみの小沢健二(通称オザケン)が ボーカルを務めるバンド「フリッパーズ・ギター」を代表する、【渋谷系】てな ジャンルが、当時の若者たちの間で脚光を浴びていたのです。

のちにソロ歌手として、オザケンは『カローラⅡに乗って』という楽曲をヒットさせ、本人の出自(両親そろって著名な学者、叔父貴が指揮者の小澤征爾) と、甘いマスクとが相まって、【渋谷系】の貴公子なんて、やたらマスメディア はもてはやしましたが、私は、巷の空気感同様、もう〝まるっきり〟、ほんの毛 先ほども興味が湧きませんでした。

曲調も歌詞も、ただただユルユルで薄っぺらく、中身が何もない「フワフワと した印象」が強く、少しも心に〝引っかかって〟来ないのです。

ましてや小山田なんざ、名前すら記憶にないほど、私にとって、その価値は、 とっくの昔に消し去っていました。

今回、報道で、コイツが50数歳だと知り、たまげたのです。へぇー、……つーこ とは、オザケンも同じく、か。あの「ユルユル」「フワフワ」音楽の産みの親 も、初老オヤジになっちまった、と。

どういう根拠で、オリンピック委員会は、小山田にテーマ曲を「書かせたかっ た!!」のでしょう? その経緯が、オリンピックが閉幕した今(8月20日)も、 何一つ、国民は知らされておりません。ここにも、おそらく幾重にも塗り固めら れた【嘘】が、孕んでいるはずです。

世界中に、日本のトップ級の作曲家が紡ぎ出す音楽は、こんなに「ユルユル」 「フワフワ」=中身がない!! と、わざわざ知らしめる恥だけは封じられたこと を、せめてもの救いだと、〝皮肉たっぷり〟感じさせていただきます。

嗚呼、ナサケナクも、めでたしめでたし。

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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