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ぴんからトリオと殿様キングス

昭和歌謡_其の99

半世紀前=昭和47年の正月のヒット曲

『女のみち』
by 宮史郎とぴんからトリオ

『なみだの操』
by 殿さまキングス

『時代遅れのRock’n’Roll Band』
by 桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎

 

身も蓋もないド演歌

2023年の初めてのコラムです。今年も皆さん、よろしくご贔屓に願います。

ただ……ですね^^;。

結構な数の皆さんが同じ心境かもしれませんが、ロシアとウクライナの紛争は「一週間で終わる」どころか、今もって和平の兆しが見えない。中国と台湾の〝一触即発〟な空気は気色悪いばかり。北朝鮮も負けじと飽きずに、何度も何度もわが国の領海へミサイルを打ち込んで来やがる!

それに怯えた岸田政権は、あまりといやぁ、あまりに好き放題、勝手気まま、国民に何1つ打診も了解も得ぬまま、……おそらくは〝コワモテ〟麻生副総理に脅されたでありましょう、財務省の官僚どもを焚き付け、国防費を2倍に増やすべく、その捻出を、言うに事欠いて「国民の責任で」と口を滑らしつつ、増税増税増税のラッシュ!

マイナカードの強制所持命令、紙の健康保険証&免許証の撤廃、インボイス制の強制導入、自家用車の自賠責保険料の値上げ&走行距離税の新規導入、介護保険制度の見直しという名の改悪=(各種介護サービスの利用料の引上げ&サービス自体の削減、「介護認定3未満」の扱いを「要支援認定」並みに下げる)……などなど、なんとしても早期に決めちまいたい! ようで。

ま、中途半端な中身でも、新興宗教関連の法案だけは現時点で決まって良かったとは思いますがね。それ以外は、どれもこれも、どっちを向いても、こんな内閣を支持する気になりゃしない。

毎日新聞の調査ですが、12月18日時点で、岸田内閣の支持率は25%だそうですね。通常、まともな感覚を持った内閣なら、30%を切りゃあ、命はそこまで。与党のお歴々連中が総理のクビをすげ替えるはず……ですがね。ネットじゃ、支持率の異常な低下に対する反応よりも、「まだ25%も支持してやがる輩がいるのかよ?」という驚きや呆れ声で炎上。

おまけに、まだまだ引っ張ってやがる、コロナ禍……。一体全体さ、いつになったら2類が5類になるのかね?

とてもじゃないが、素直な気持ち、清々しい心持ちで「新春おめでとうございます」とは言えません。まことにゴメンナサイ。

ちょうど内閣支持率25%の報が巷を飛び交った当日、浅草は浅草寺にて、歳の瀬の吉例行事である「羽子板市」が開催されておりました。

この原稿をカタカタとキーボードを叩きつつ、その正面のTV画面に、浅草寺の境内の様子が生中継で映し出されるのを、さして深い興味もなくチラチラ眺めているうちに、

ふと、……今から半世紀前、東京の南の端っこ、蒲田という場末町では、ごくごく当たり前だった風景が、私の加速度的に衰えつつある記憶の奥からスーッと蘇って来ました。

ハズカシナガラ私は、ひと月チョット前に還暦を迎えましたが、

時代でいえば昭和47年ですかね。私が10歳の頃の正月は、お約束のごとく、自宅である「四畳半二間」のアパートの前で、4歳下の妹と二人、羽根突きや凧揚げに興じたものです。

当時の蒲田の街並みは、わが家と同じような二階建てのアパートがあちこちに立ち並び、駅前の商店街、飲み屋街は昼夜ともに「うるさい」ほど賑やかでした。加えて高度経済成長の真っ只中で、かつ京浜工業地帯の一角でもありましたから、下請けの町工場から出る煤(ばい)煙や排ガス、排水で巷の空気は「光化学スモッグ」に汚染され、どこにも牧歌的な田園風景など拡がってなかったはずです。

……けれど、それでも、さほど幅が広くない道路の真ん中で、自動車の通行を邪魔して「馬鹿野郎っ、轢いちまうぞ」と怒鳴られながらも、カーン! カーン! 羽根の先の黒く硬い玉が板を打ち付ける、景気の良い音を、兄妹2人で辺りに響かせたのです。

そうだそうだ、2023年の正月は、俺の胸の内に黒くべったりタールのごとくまとわりつく、さまざまな鬱陶しい〝邪気〟を、カーン! カーン! の音とともに見事に追い払って(祓って)やろうじゃんか!

という酔狂な気分がニョッコリ目覚めましてね。Amazonで手頃な羽子板セットと、本物の、天然の無患子(ムクロジ)の実を使った羽根を購入したのです。

日本が今よりもよっぽど、いろいろな意味で〝幸せ〟に暮らせた半世紀前の時代は、例の、高校の同級生である「口腔科」ドクターの林に言わせると、「物事の理屈やからくりが、今より断然に単純だった」──わけですよ。

単純! 良い悪いは別にして、ね。

コンプライアンスなんぞという、意味も価値もわからんでもないが、肌触りの気色悪さが如何ともし難い「横文字」は、存在すらしなかった。

そんな……、昭和47年のお正月には、どんな歌謡曲が流行っていたのかしら? とネットで検索してみりゃ、嗚呼、そうだそうだ。この時期に、やたら巷に歌声が飛び交いまくって、うるせぇーほどだった! よなぁ~、ブツブツ。

宮史郎とぴんからトリオのデビュー曲『女のみち』(作詞:宮史郎/作曲:並木ひろし)。

(デビュー当時)

(生前最後の映像)

 

この楽曲、昭和時代に売れに売れまくった……んですよ。いや、売れたなんてもんじゃない! 昭和46年の5月10日にシングルが新発売されて、そのあと、ずーっとずーっと、延々に売れ続け、……特にオリコンの「10月30日付」週間チャートから翌年の「2月12日付」週間チャートまで、トップに輝き続けたのです。シングルの売上で、2年連続第1位! かつデビューシングルの売上でも歴代第1位! この記録は令和の現在まで、どんな歌手にも破られたことがないんだそうです。

でもね、言いたかないけれど、どうしてこんなチンケな歌詞の歌謡曲が、……いやド演歌が、バッカみてぇに売れまくったのか? 私には当時も今も理由が解りません。

以下、歌詞を載せますが、今時の、それこそ令和時代のコンプライアンスに照らし合わせりゃ、こんな歌が制作されること自体「あり得ねぇ~!」……んじゃないかな^^;。

♪~私がささげた その人に あなただけよと すがって泣いた
うぶな私が いけないの 二度としないわ 恋なんか
これが 女のみちならば

ぬれたひとみに またうかぶ 捨てたあなたの 面影が
どうしてこんなに いじめるの 二度と来ないで つらいから
これが 女のみちならば

暗い坂道 一筋に 行けば 心の灯がともる
きっとつかむわ 幸せを 二度とあかりを けさないで
これが 女のみちならば~♪

昭和のど真ん中の時代の流行歌 、それもド演歌系作品の〝定番〟っぽい歌詞ではあるにせよ、これほど「弱っちぃ女!が描かれているのは、珍しいですよ~。

男に自分の身も心も「捧げ」て、もう私にはあなたしかいないの! と「すがって泣いた」……のに、結局は虫けらのように「捨てられ」てしまい、……なのに私は今でもあなたが忘れられず、「あなたの面影が思い浮かんで」仕方ない!

こんな弱っちぃ女、皆さんの周りで見たことあります(笑)? いや令和の現在のみならず、半世紀前、私たちのガキの時分だって、いやしませんよ~。特に蒲田のような、老若男女のほぼ全員がガサツで品がねぇ場末町に住まう女は、みんな強いですから。逆にいやぁ、強くなきゃ生きていけませんからね。

この歌詞が嫌なのは、男に〝こんな〟ヒドイ目に遭わされるのは、ごく真っ当な「女のみち」だ! と決めつけているところです。この決めつけは、完全に女性蔑視、男尊女卑の思考の典型であって、セクハラ以外の何物でもない! でしょ。

『女のみち』が、まだヒットチャートの上位に居残り続けていた……昭和48年11月5日に、もう1曲、似たようなセクハラソングが発売されました。殿さまキングスのデビュー曲『なみだの操』(作詞:千家和也/作曲:彩木雅夫)です。

(デビュー当時)

(3年前の歌声)

 

前者のレコード会社が日本コロムビア、後者はビクター。

『女のみち』は当初、実験的に自主制作でシングルを創ってみて、それを音楽関係者に配って歩いたところ、コロムビアが「これは行ける!」と決断し、正規にコロムビアが制作を引き受け、爆発的ヒットを生んだわけですが、……その際、ビクターの制作陣は「こんなド演歌、売れるわけがない!」と、けんもほろろ、門前払いをしたんだとか。

ところがギッチョンチョン、馬鹿売れもイイところ。ビクターの社長は、『女のみち』を追い返したスタッフに超激怒したでしょうねぇ。大概の場合、こりゃ左遷ですな。島送り! いや、当時はなにしろコンプライアンスなんざ皆無ですから、社長権限でクビにしちまったかもしれません。

そして社長はレコード制作部の面々に命じるわけです。「柳の下にドジョウの喩えだ。逃した『女のみち』に匹敵する、同じテイストの作品、それも必ず大ヒットする作品を、早急に創れ!」と、……私が現場にいたわけじゃございませんが、まぁ、こんなような展開になったんじゃないですかね。

早急のはずが、翌年の11月までビクターの社長は待たされ、ようやく出来上がった作品が、……良かったですね。念願のヒットを果たしました! 正直、『女のみち』ほどは売れなかったようですが、オリコンチャートで9週連続で1位を獲得し、累計売上は200万枚をちょい欠ける程度、というのですから、頑張りましたよね。

しかも、この歌詞のセクハラ感、コンプライアンス違反の程度は、『女のみち』の比じゃありません。

♪~あなたのために 守り通した女の操
今さら他人(ひと)に 捧げられないわ
あなたの決して お邪魔はしないから
おそばに置いて ほしいのよ
お別れするより 死にたいわ
女だから~♪

歌詞の掲載は1番だけで十分でしょ。殿様キングス、通称「殿キン」のリーダーでありボーカルの宮路オサムつーのは、元が芸人ですけれど、歌手としての基本の声質がベリグーなんですね。音程の安定も見事だし、なにより実に渋い声で低音が艶っぽく響くのです。

その声で、♪~お別れするより 死にたいわ 女だから~♪ と熱唱する……のが、蒲田の駅前商店街の有線放送のスピーカーやら、隣近所の工場のラジオやら、わが家のテレビ画面やらから、流されまくるわけですね。

加えて、その前年から延々に繰り返し繰り返し、『女のみち』のメロディ……♪~あなただけよと すがって泣いた~♪ も、流されまくるわけです。

そんな時代だったんですねぇ、半世紀前は。

2つ歳下のカミサンは当時、街を歩いていて『女のみち』と『なみだの操』のメロディが流れてくると、反射的に気分が悪くなり、思わず耳を塞いでしゃがみ込んでしまったそうです。「将来、私も、こんな情けない、男にすがってしか生きていけないような女になるのなら、いっそ、今からでも良いから男になりたい!」と、本気で願ったとか。

令和の現在が、超が付くほど、まーったく糞面白くねぇ! 世の中だからこそ、ハッキリと郷愁の念を求めて羽子板を買い求めましてね。ついでに半世紀前、昭和時代のど真ん中にタイムトリップし、「10歳の私」の気分を、ほんのちょいと味わってみたかった……わけですが、嗚呼! 残念ながら気持ちが〝ほっこり〟するどころか、居心地の悪さに居たたまれなくなった次第。

少なくとも令和5年の正月を迎えるにあたり、巷に ♪~死にたいわ 女だから~♪ やら ♪~あなただけよと すがって泣いた~♪ が流れていないだけ、〝まだ〟救いのある世の中なのかもしれねぇな。……てなことを還暦ハゲの私は、しみじみ感じたのです。

兄貴分のエール

救いがある、といえば、大晦日のNHKの「紅白歌合戦」。ここ10数年、私はまったく、この国民の恒例行事を積極的に観る気になれず、もっぱらテレ東の「年忘れにっぽんの歌」を楽しみにして来たのですが、

今年はネットの情報によると、「サザンの桑田佳祐の声掛けで、全員が同い年(67歳)のミュージシャンである、佐野元春,世良公則,Char,野口五郎などが集まり、桑田が作詞作曲した新曲『時代遅れのRock’n’Roll Band』を披露する」……だそうで、こりゃ「絶対に観逃せないぞ!」と強く感じたのです。

基本、歌謡曲しか知らない(聴かない)私ですが、昭和時代にヒットした「ロック歌謡」は結構気に入ってましてね。とっくに彼岸へ旅立った桑名正博、サザン、安全地帯、世良公則、大友康平がリーダーだったハウンドドッグ、レベッカ、山下久美子ほか……。

とりわけCharは、私にとっては別格なほど大好きなミュージシャン! 彼の代名詞とも言うべき超絶ギター演奏はもちろん、意外に高いキーの歌声、おまけに顔立ちや〝あの〟育ちが良さげな雰囲気に、幼い頃からウン十年ずーっとメチャメチャ惹かれています。

新生のバンドを組むミュージシャンたちは皆さん、私が十代の頃、かなり年上の大スターって印象でしたけれど、今になりゃ〝ほんの〟7つ年上の兄貴分ですね。当時は嫌いだったミュージシャンも、……そりゃ入ってますよ~。佐野元春なんて、正直、昔も今も、まったく興味がない(笑)! 超大ヒットした『ガラスのジェネレーション』(昭和55年10月21日発売/作詞&作曲:佐野元春)だって、どこがそんなに「すげぇー!」のか? いまだに、よぉわかりませんし。

……でもさ、イイじゃん、イイじゃん、67歳。昭和、平成、令和と、めまぐるしく変わる時代背景やら様々なツールの進化やら、に必死に追いつけ追いつけ! して来た戦友同士じゃないですか。

Charを含めた、このあたりの話は、次回のコラムに回したいと思いますが、久しぶりに生放送で観たオッサンどもが、いかにも楽しげに嬉しげに微笑ましく、……まぁ、全盛期よりは声量を落としているものの、円熟味を増したテイストでカバーし、熱唱する『時代遅れのRock’n’Roll Band』を聴いた途端、知らず涙がこぼれて来たのです。

 

 

桑田が書いた歌詞に、強く共感したのはもちろんですが、私が中学、高校の頃からウン十年、ファンの1人として聴き続けてきた皆さんが、テレビ画面の中に勢揃いし、「まだまだ俺たち現役バリバリだぜ! 若いガキども、ナメんなよ!」というアグレッシブな心意気を、強く感じたからでしょう。

不肖ワタクシも、高校の同級生の林との奇跡的な再会を機に、還暦からの出直し大勝負! 新規に九十九凜という共同ペンネームをひっさげ、それこそ半世紀前の蒲田を舞台の小説を書いているものですから、兄貴分から「お前らも頑張れよ~!」という熱い熱いエールを頂戴した……気がしたのです。

この続きは次回に。

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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