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そんなのどうでも関係ないわ

昭和歌謡_其の五

歌詞と日常会話

七五調

世界で最も短い詩は、俳句です。上の句が5音、中の句が7音、下の句が5音、合計17音の言葉のみで構成されているわけですね。これが和歌(短歌)となると、31音。一気に言葉の数が「5・7・5・7・7」に増えます。

なぜ俳句や短歌というものが、5音と7音の組み合わせになったのか? 詳しいことはわかりませんけれど、どうやら日本人の生理的感覚にみごとにフィットしているようで、万葉集が詠まれた時代でも、平成30年の現在でも、何か相手に伝えたい言葉を日本人が発すると、おおよそ5音と7音の組み合わせであることに、気付かされます。

「石走(いはばし)る 垂水(たるみ)の上の さ蕨(わらび)の

萌え出ずる春に なりにけるかも」

これは万葉集の中でも、教科書に載るほど著名な、天智天皇の皇子・志貴皇子(しきのみこ)が詠んだ歌ですね。「滝の流れ落ちるあたりに、さわらびが緑の芽を出す。(ああ、今年もようやく)明るい春の季節になったんだなぁ」ぐらいの意味でしょうか。

似たようなことを、現代の老若男女に通じるような口調で表すと、

「滝のところに/蕨(わらび)が芽吹き、今年も春が/やってきたよね。嬉しいな」

7音+7音+7音+7音+5音の組み合わせで、上の文章は構成されています。

つまり日本人ならば、大昔も現代も、さして意識しなくても、おおよそ【7・5調(5・7調)】のリズムに則して、言葉を発しているものなんですね。

昭和時代の流行歌も、ある時期までは、たいがい【そう】でした。たとえば、村田英雄が唄った大ヒット曲『無法松の一生』の歌詞を眺めてみましょうか。

♪〜小倉生まれで(7音)限界育ち(7音) 口も荒いが(7音)気も荒い(5音) 無法一代(7音)涙を捨てて(7音) 度胸千両で(※【どきょう】で3音+【せんりょうで】で4音=7音)生きる身の(5音) 男一代(7音)無法松(5音)〜♪
(昭和33年(1958年)7月発売/作詞:吉野夫二郎/作曲:古賀政男)
じつにみごとに【7音】【5音】の、日本語の羅列でしょう。

演歌ばかりか、西郷輝彦の、デビュー曲にして大ヒット曲の『星のフラメンコ』などのポップス系歌謡曲でも、同じことです。

♪〜好きなんだけど(7音)離れてるのさ(7音) 遠くで星を(7音)見るように(5音)〜♪(作詞&作曲:浜口庫之助)

サビの部分の、♪〜君は僕の心の星〜♪ は、字面だけ眺めると【字足らず】ですけれど、唱う際に、言葉を伸ばす部分も【1音】とカウントすれば、「きみはぼ〜くの」で7音、「こ〜ころのほし」で7音。……無理やり【7・5調】の出来上がりです(笑)。

さて、ここまでは長い前説(^_^;)。

阿久悠と千家和也

昭和歌謡の大ヒットメーカー・阿久悠が亡くなって、今年で11年目になりますが、つい最近開かれた、阿久先生の輝かしき功績を振り返る「記念コンサート」に際し、某音楽プロデューサーが、こんなことを語っておりました。

「ペドロ&カプリシャスの女性ボーカルが、前野曜子から高橋真梨子にチェンジした、1発めの楽曲『ジョニーへの伝言』(昭和48年(1973年)3月10日発売/作詞:阿久悠/作曲:都倉俊一)を初めて聴いた時、俺はぶったまげたね。

♪〜友だちなら そこのところ うまく伝えて〜♪ のフレーズね。それまでの流行歌に、【そこのところ】なんていう日常会話を、さりげなく歌詞に仕立てた楽曲は、まず見当たらない。

加えて【西でも東でも】……。普通の作詞家なら【西へ】あるいは【東へ】と、歌詞に出てくる主人公の旅する先を、限定させるはずですよ。そうでないと、韻文としての歌詞内容が成立しないはずだから。

ところが阿久さんの才能は違う。一見、いい加減に、適当に歌詞を書き飛ばした風を装って、でもじつはまったく違う。行き先を定めないことで、主人公の女性が、長年連れ添っただろう彼への未練を断ち切り、晴れて何者からも束縛されない、自由に行動する女性の、力強い明日を描いている。時代は高度経済成長の真っ只中ですよ。ろくでもない男なんかに頼らないでも生きていける、自立したオンナの姿を、阿久さんはみごとに流行歌の歌詞に定着させた。恐るべし、阿久悠!! 正直、鳥肌が立ったね」

この発言に触れて、私の記憶はふいに、昭和47年当時、小学校3年生だった頃にさかのぼりました。

幼い頃から、さまざまな【7・5調】の流行歌に馴染んできた私の耳が、生まれて初めて、「はて、こりゃ何かおかしな歌だぞ!?」と感じた楽曲が、麻丘めぐみのデビュー曲『芽ばえ』です。

♪〜もしもあの日 あなたに逢わなければ この私はどんな 女の子になっていたでしょう 足に豆をこさえて 街から街 行くあてもないのに 泪で歩いていたでしょう〜♪(昭和47年(1972年)6月5日発売/作詞:千家和也/作曲:筒美京平)

当時10歳だった私は、正直、「なんかコレ、作文みたい」と思いました。流行歌の歌詞にもかかわらず、【7・5調】はまるっきり無視されて、阿久悠の『ジョニーへの伝言』同様、たんなる日常会話が並んでいるわけですから、たまげてしまったわけです。

さらに時代は飛び、中森明菜のデビュー2曲めの『少女A』(昭和57年(1982年)7月28日発売/作詞:売野雅勇/作曲:芹澤廣明)を聴いた時も、かなりの衝撃を受けました。

♪〜じれったいじれったい 結婚するとかしないとかなら
じれったいじれったい そんなのどうでも関係ないわ〜♪

阿久悠が『ジョニーへの伝言』にしたためた【そこのところ】、千家和也が『芽ばえ』にしたためた、作文っぽい日本語、……のレベルをはるかに超えて、この歌詞は、もはや【詞(詩)】じゃない!! という強い想いが、当時、すでに大学生になっていた私の自意識を、猛烈に刺激したものです。

万葉集の昔から現代まで、日本語のリズム感として、本能的に心地良いはずの【7・5調】を、作詞家が意図的に用いずに、作品を創作するようになると、乱暴な言い方をすれば、どんな素人でも、好きな日常会話をしたためて、それに上手く曲を乗せえすれば、楽曲が1つ出来上がってしまいます。

その傾向が続けば、プロの作詞家という職業自体が成立しなくなるだろうな。という予感が、生意気ながら、二十歳の私の中におぼろげに宿りました。

その予感を裏付けるように、時代は急ピッチに、従来の歌謡曲を追いやるがごとく、ニュージック系のサウンドの全盛期を迎えます。

1980年代後半以降、歌手は個人でもバンドでも、自作自演(シンガーソングライター)が当たり前になり、プロと名の付く作詞家と作曲家がコンビを組んで、楽曲が生み出され、歌手に唄わせるという、従来の歌謡曲の制作システムは淘汰されていくのです。

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

 

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