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蚕という名の家畜 _壱

お蚕さんのお話 其の弐

お蚕さんの云い伝え

前項で〝お蚕さん〟は、文字通り近代日本にとって天から授かった虫であると記した。

しかし、蚕の源の漢字は、であり、これは蚕自身を表す象形文字であるので、元々の字には残念ながら天からという意味はなく、我々が心に秘めるしかなさそうである。

蚕の象形文字

ちなみに繭という字も、桑の葉と虫(蚕)と糸(マユ)の象形文字であり、桑の葉の上に繭玉ができている状態を表している。

養蚕の起こり

養蚕が始まったのは、約四千年以上前の中国に遡るといわれ、その始まりは、「中国のある国の幼い姫が、繭玉で遊んでいたところ、あやまって熱湯の中に落としてしまい、それをすくい上げようとしたところ、糸が出てきた」という言い伝えがある。

〝黄帝〟と〝るい祖〟とシルクロード

次に産業となる養蚕については、中国の祖と呼ばれる幻の帝王〝黄帝〟の后〝るい祖〟が登場する。

「るい祖は、それまで桑の葉の上の野生の繭、いわゆる〝野蚕〟を採集する方法ではなく、室内で蚕を飼う養蚕の技術を初めて考案した人とされ、その生涯は養蚕の普及に費やされて、普及の旅の最中で客死した」と伝えられる。

今でも中国では〝るい祖〟は「蚕の神」として祀られている。

これは、紀元前に蚕から作られた絹がヨーロッパにまで渡り、その貿易路が〈シルクロード〉とよばれ、中国を潤したことを、中国の祖〝黄帝〟とその后〝るい祖〟の徳として伝え、神格化したものであろうし、古代中国にあっても、やはり蚕は国を左右する〈天の虫〉であったことが窺える。

この影響からか、中国の儀礼など礼に関する書『礼記/らいき』には、王后親蚕の儀礼があり、「后は蚕で神衣・祭衣を作る儀礼に奉仕すること」とある。
これに倣ったものか、現代日本の皇室で美智子皇后陛下が、御所内の御親蚕所で純国産種の蚕〈小石丸〉を養蚕されており、その絹糸から織られた着物を着た人形などが、海外行幸の際の相手国の要人や、来日した国賓などへの進物となっている。

養蚕を門外不出とした古代中国

中国は長い間、絹の製法を極秘にしていて、交易国にとっては謎であった。

そのころのローマの書物には、絹は植物からできるといったような記述があるくらいである。

シルクロードの遺跡からは、中国の王女が隣国クスタナ(現在のホータン)に嫁ぐ際、帽子の中に蚕種を忍ばせて養蚕技術を伝えた、という逸話の絵が描かれた板が出土していて、技術の流出が厳しく統制されていたことを示している。

養蚕の日本伝来

日本の養蚕(絹)の記述が登場するのは、『魏志倭人伝』においてであり、弥生時代には、中国や百済からの帰化人によって、養蚕の技術が伝えられたとされている。

日本の蚕伝説は、『古事記』の大気都比売神(オオゲツヒメ)や『日本書紀』の保食神(ウケモチ)・稚産霊(ワクムスビ)の神話にみられるが、『万葉集』では、次の柿本人麻呂の歌のように、通常の生活の中に養蚕が根付いていることが伺える。

(母が飼う蚕が 繭の中に隠れるように閉じこもる貴女を 見る方法はないのだろうか)

編緝子_秋山徹