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南佳孝のサウンド (後編)

昭和歌謡_其の98

唯一無二のメロディ&歌声

 『PARADISO』
by 南佳孝

 

正統派 任侠映画

前回に引き続き、もう1回、私が愛する南佳孝のサウンドの魅力について、書かせてもらいましょう。

唐突ですが、私は若い頃から任侠(ヤクザ)系の映画が大好きでして。

と、このように書くと、私よりかなり上の世代の皆さんは、たいがい「だったら高倉健が池部良とコンビを組んだ『昭和残侠伝』シリーズは観ただろうな?」とか、「やっぱ健さんなら『網走番外地』だろうがよ!」とか、「深作欣二監督の『仁義なき戦い』を抜きにヤクザ映画は語れねぇぜ」などなど……、

いわゆる東映系で大ヒットした任侠シリーズのタイトルを幾つも挙げて、その作品群に絡む共演役者や脚本家の名前を、かりに私が「知らない」なんて口にしようものなら、猛烈な罵詈雑言の嵐!

つまりは〝それら〟をちゃんと、ひと通り鑑賞し終えて来てない輩に、「東映系の任侠映画をシノゴノ語る資格なんざありゃしない! おととい来やがれ!」と言う理屈に、無理やり持って行きたいわけでしょうが。

むろん不肖ワタクシ、さすがに先輩方ほど数多く、かつきめ細かくは観まくってもいませんけれど、『仁義なき戦い』を観終えると、なぜか体の芯のあたりに、ヤクザ者、ならず者たちの性根の〝ような〟モノが、ほんのごくごく一部だけべったり絡みついてきましてね。

決して義務感などじゃあなく、そこに出演している役者の、他の作品を次から次へとチェーンのごとく観たくなっちまう! んですねぇ、これが。

そして日常の会話のどこかに、作品で主役級の役者が放った、私が「カッチョエエ!」と感じる台詞をもじって、実際に口に出してみたくなる……のです。

「あんたは初めから、わしらが担いでる神輿じゃないの。組がここまでなるのに、誰が血ィ流しとるんや。神輿が勝手に歩けるいうんなら、歩いてみないや、のう!」

「わしらの言うとおりにしとってくりゃ、わしらも黙ってこのまま担ぐが、のう、おやじさん。喧嘩は、な~んぼ銭があっても勝てんのぜ!」

これは、くだんの『仁義なき戦い』(昭和48年公開/製作&配給:東映/原作:飯干晃一/監督:深作欣二/脚本:笠原和夫/出演:菅原文太、松方弘樹、渡瀬恒彦ほか)の中で、松方弘樹演じる坂井鉄也ってヤクザが、所属している組の親分(※金子信雄が演じているのですが、コイツがまぁー、あまりといやぁ、あまりにケツの穴がちいちぇ~、ケチで姑息で屁垂れで小賢しくてナサケナイ!)もんだから、さすがに呆れ果てて、ブチ切れ気味に言い放つ、小気味イイ啖呵です。

松方は、何故か声が時折、ひょいと跳ね上がる癖があるんですね。ヤクザですから、基本の台詞回し自体は低くドスを利かせた口調なんですが、その台詞の一部のトーンが、時折ひょいと高くなる。これに私はすっかりハマっちゃいまして。

彼の『東映脱獄三部作』と称されるシリーズのうちの2本、『暴動島根刑務所』と『脱獄広島殺人囚』を続けて観て、さらに『県警対組織暴力』、『北陸代理戦争』ってな作品にも飛び付きました。

で、……さらに続けてですね、

この時代の任侠映画を堪能してきた皆さんが、異口同音に「あんなモン下らん。おままごと過ぎて、任侠映画でも何でもない!」と、有無を言わさず却下! するはずの、昭和の終わりから平成に入ったあたりの時代に公開された、東映系の「ヤクザが主人公」の映画に関して、私は〝こっち〟はこっちで、高倉健や松方弘樹や菅原文太の魅力とは、また毛色の違う魅力を感じてしまうのです。

ヤクザ映画のニューウェーブ

最近はコミカルな演技ばかりが目立つようですが、陣内孝則が主演する、東映の任侠シリーズ。当時は結構ヒットした作品群なんですが……、

①昭和62年公開、梶間俊一監督、金子正次脚本の『ちょうちん』。劇中、ラストに差し掛かったシーンだと思いますが、陣内が自嘲気味に吐き捨てるセリフがありまして、

「いつまでも、ふらふらしてらんねぇだろうが。ちょうちんみてぇによぉ!」

この台詞に私はシビれちゃいましてね。呑み屋の片隅、かつ酔った勢いで、陣内の台詞回しを真似して「ふらふらしてらんねぇだろうが……」周囲の知人の前でちょくちょくやらかしたものです。

あの頃、私はたしか25歳のはず。現在は還暦になって数週間目の身。陣内の口真似でもナンデモなく、実際にすっかりハゲ上がった頭のてっぺんを、ぺしゃりぺしゃりと叩きながら、イイ歳こいて、いまだに「ふらふら」と「ちょうちんみてぇ」な屁垂れぶり。嗚呼、ナサケナイ!

②平成2年公開、テレビ朝日の人気刑事ドラマ『相棒』の監督、和泉聖治が撮った、柳葉敏郎とW主演の『さらば愛しのヤクザ』。

③平成4年に公開、藤田まこと主演の人気時代劇『必殺!』シリーズの監督、工藤栄一が撮った『赤と黒の純情』。ヒロイン役を麻生祐未が務めています。

赤と黒の熱情 Passion

そしてもう1本、昭和63年公開、梶間俊一監督の『疵(きず)』。

この映画は、実在するヤクザで、安藤組の大幹部・花形敬の生き様を描いた作品です。花形は安藤組の組長、安藤昇に一番可愛がられたことでも有名で、素行不良により国士舘高校をクビになりゃ明治大学予科に転ずる、いわゆるインテリヤクザの走りでしょうか。

一度カーッと感情に火が付きゃあ猛烈にブチ切れまくり、周囲の誰にも止められなくなるんだそうで……。なおかつ喧嘩の腕っぷしは誰にも負けず、でも決して刃物を持たず、素手でどんな屈強の相手にも突っ込んで行き、片っ端からボッコボコ半殺しにしちまうので、「ステゴロ(素手喧嘩)の敬」とヤクザ仲間にも恐れられていた、のだとか。

この花形敬を陣内が演じたわけですが、映画のエンディングのタイトルロールに合わせて流れるテーマ曲を、南佳孝が唄っております。

ふぅー、ようやく「歌謡曲」の話題に戻ってまいりました!

この楽曲、またしても松本隆が歌詞を書き、南佳孝自身が作曲を手掛けています。

タイトルが『PARADISO』。

イタリア語でパラディーソと発音し、天国を意味する言葉だそうです。

このメロディの曲調が、なんともメロウでけだるく切なくて、実に実に、作品のストーリーにフィットしてましてね。

若気の至りとは言いながら、ヤクザという生き方を選んでしまった自分。愚かであることは、どこかでちゃんと解ってはいても、でも「そう生きるしかねぇだろうが!」と開き直ったまま、巷の片隅を暗く妖しく暴走する。だからこそ当然のごとく、昔も今もヤクザは、善良な市民とやらに害虫扱いされるわけですが……。

不器用にも「そう生きるしかない」という、似たような体臭を放つ連中〝だけ〟に向けての応援歌! いや、違うな。……そう、鎮魂歌!

私の耳には、この『PARADISO』が、教会で唄われるゴスペルの調べのごとく響いて来ましてね。オハズカシイ話、何故かしみじみ、無性に泣けちまうのです。

これには南佳孝の声質も関係しているはずです。彼の歌声は極めて独特でして、ちょっと言葉で表現するのも難しいのですが、キーが高めで、かつ滑舌が良いから? なのか、歌詞に書かれる言葉の1つ1つがハッキリと、みずから紡ぎ出したメロディに乗って、すーっとリスナーの意識の奥へ飛び込んで来ましょう。

こういう、良い意味で〝けったいな〟歌唱をするボーカリストは、演歌ポップスを問わず、昭和時代から現在まで活躍している歌手の中で、おそらくはたった1人、南佳孝だけ! じゃないでしょうか。

昨年、松本隆の作詞家生活50周年の記念アルバムが発売され、同様のライブも数回、開催されたようですが、松本に歌詞を書いてもらった多数の歌手がステージに登場しましたけれど、一番の中心人物は、何を隠そう南佳孝でした。

松本が関わった楽曲の、オリコンチャートの売上でいえば、太田裕美や松田聖子ほか、他に大勢いるはずでしょうが、……でも松本にとって、50年におよぶクリエーター生活の中で、本当の意味で「戦友」と呼べる歌手は、おそらく南佳孝ただ1人! ってことだと、私は強く感じた次第です。

南は、他者が決して真似できない、100%オリジナリティあふれるメロディと独特な歌声で、作詞家の松本を常に刺激し続けて来た証じゃないですかね。

でも歌謡曲歌手としては、売れないんですよね。この『PARADISO』も、映画の『疵』が公開当時に作品を鑑賞した人以外、おそらくは誰も聴いたことない楽曲……でしょ?

この機会にぜひ、南佳孝の名前と共に覚えていただき、よろしければカラオケなどで、皆さんにも唄っていただきたいです。

♪~俺が抱き お前が抱く 一瞬の永遠
裏ぶれた 街の窓にも 蒼い月がのぼる

戻りなよ 俺を振って 陽のあたる場所へと
出逢う前 小鳥のように 自由だった日々へ

胸の疵が痛い 痛い 胸の疵が
塩辛い涙 しみるから

でも これ以上お前を
不幸せに出来ないよ

PARADISO(パラディーソ)天国への
階段の真下で
俺達は抱き合い 眠り
夢の無い 夢観る~♪

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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