1. HOME
  2. ブログ
  3. 令和4年
  4. 荒木一郎

荒木一郎

昭和歌謡_其の91

脱力感あふれる歌唱の魅力

 「空に星があるように」
「今夜は踊ろう」
「いとしのマックス」
by 荒木一郎

そうだ!荒木一郎だ!

 このところ何回かに分けて紹介させていただいた、NHKの朝ドラ「カムカム エヴリバディ」は、さまざまな感動と物議と疑問と怒りを、全国の視聴者にもたらしつつ、4月8日の金曜日に、無事、エンディングを迎えます。

しかし、しかし、今回のドラマ、わずか4ヶ月+チョットの、短い月日で、な んと日本の歴史の100年分を〝前へ前へ〟、甚だ勢い良く、というより、まったくもって乱暴そのもの! 強引にスッ飛ばして来ましたからねぇ。いったいコレは、【誰】の【何】を描こうとしたドラマなのか? 最終回手前まで、ほぼ不明でしたね。

まぁ、無理クリ、ざっくり過ぎる物言いをさせていただくならば、

人間の人生というものは、さして輝かしい日常などなくても、先祖代々、時代が移り変わろう中、どこかで誰かが〝ちゃんと〟繋がっていて、だからこそ、何人も「この世にまっとうに生きる!」――こと自体が肝要で、生きていさえすれば、どこかで誰かが〝ちゃんと〟観ていてくれる。決して「私はひとりぽっち」 じゃない。だから嘆くなよ~。

そんなところでしょうかね。

ドラマの端々に、姑息なばかりに、その時代、時代に流行った歌謡曲が、 BGM代わりに流される。……って話を、前回、書かせていただきました。そのチョイスが、歌謡曲好きの私にとって、若干、時代考証的に「おかしい!」ので、それがなんとも気色悪いんですね。

おそらく番組制作のスタッフは、私ら世代より、うんと若いのでしょうね。 ネットのウィキペディアなどを駆使して、あくまで知識として、昭和○○年には、 ××が唄う『△△』ってタイトルの曲が発売され、それが後年ビッグ・ヒットにつな がった! というデータを仕入れたとしても、〝その当時〟に実際に小学生だっ たり、高校生だったり、社会人になりたてだった……者の皮膚感覚として、 「えー、そんな曲、ほんのチョコット話題になっただけで、半年もすると、誰も タイトルさえ忘れちまったよ」ってな事実は、掃いて捨てるほどあるわけです。 逆に、ネットデータ的には、ほとんど話題にならなかった楽曲でも、発売当時、 「俺たち仲間の間じゃ、知らねぇ奴はモグリだぜ! つーくらい大流行しまくってた」てな事実もまた、数多く存在します。

歌は世につれ、世は歌につれ、と称されますけれど、いくらビッグヒットした 楽曲であれ、【たった1曲】で、その時代の空気というものを代弁させるなん て、無茶も良いところです。

その無茶を、ドラマ「カムカム……」のスタッフは、破廉恥にも地上波のテレビを通じて、全国隅々まで届けてしまった! のでしょう。それも、昭和30年代後半から平成の後半まで、延々〝やらかされた〟わけですから、毎回15分のストー リーを観終えた後の、消化不良感は堪らんものがありました。

そのことへの反撥もあって、前回のコラムで私は、昭和50年を過ぎたあたり の、バブル経済の影響を受けて、日本人のガキも大人もジジババも、総じて脳みそが蕩けまくり、バカ、阿呆、幼稚、クズ……に成り下がってしまった時代を、見事に看破し、皮肉った楽曲として、細川たかし歌唱、なかにし礼が歌詞を書いた 『心のこり』を取り上げました。

今回は、朝ドラ「カムカム」で描かんとした、およそ百年間の日本の歴史……、 昭和、平成、令和という、3つの元号を泳ぎ渡った世代の象徴として、たった1人、代弁者たる歌手(芸能人)を選ぶとすると、誰がいるかしらぁ? と想いを 巡らせだして、およそ数日。

カミサン運転の車の助手席に座り、上州ローカルFM局の音楽番組を、さして興味なく聴いていると、ジャストフィット! ドンピシャリ! な歌が流れて来たんですねぇ。

♪~空に星が あるように  浜辺に砂が あるように
ボクの心に たった一つの 小さな夢が ありました

淋しく 淋しく 星を見つめ
ひとりで ひとりで 涙にぬれる
何もかも すべては  終ってしまったけれど
何もかも まわりは  消えてしまったけれど

春に小雨が 降るように  秋に枯葉が 散るように
それは誰にも あるような  ただの季節の かわりめの頃~♪

私ら世代より上の、特に団塊世代の皆様は、よくご存知! どころか、かなり愛し続けて来た、昭和歌謡の代表ナンバーでしょう。荒木一郎が作詞&作曲&歌唱の『空に星があるように』(1966年8月15日発売)です。現在でも毎夜、どこかのカラオケスナックで、きっと誰かが一度ぐらい、リクエストして歌っているはずです。

荒木一郎! そうだ、そうだ、このオッサンが、いたではないか~! と、にわかに気付いてしまったんですね。この人ぐらい、正体不明な芸能人は、他に例 を見ないでしょう。

変幻自在

 母親が荒木道子という、昭和の新劇界を代表する、文学座出身の名舞台女優 で、神田生まれのチャキチャキの江戸っ子。姉御肌の気風の良さと、気の短さ、 喧嘩っ早さは、生前、週刊誌ネタになるほど有名な話で、離婚した亭主は売れない文芸評論家。荒木が喰わせてやったようなもんで、その夫婦の間に出来た子供が一郎です。「甘ったれなお坊ちゃん」という、1人息子の野郎に必ず当てはまる形容詞は、まさに荒木にジャストフィットでしょう。

9歳の時に子役として、文学座アトリエで上演された舞台に出て、生意気に、 実に〝こまっしゃくれた〟演技を披露して、客の笑いと涙を誘った……と。その後、役者として文学座に所属し、NHKの人気テレビドラマ『バス通り裏』に、 十朱幸代らと共演したり、東映系の映画に数多く出演したり……してたかと思いきや、ラジオのDJでも人気を博し、番組で流した、自作自演の楽曲『空に星があ るように』が全国的に大ブレイクしたため、歌手活動で全国ツアーを挙行したと 思いきや、ピタリと数年間、活動を停止し、……というより、どこかへ姿をくらまし、ふたたび姿を見せたらば、池玲子などの、ヌード系グラビアモデル&女優の マネージメント業に乗り出し、大成功を収めると、しばし後、また姿をくらませ、……戻って来たら、桃井かおりのマネージャーになっていた。この時、荒木は30歳!

その後、荒木の肩書は、なぜか幾つも増えまして、腕の良いマジシャン(奇術師)であり、マジック評論家であり、小説を書かせれば、『雨の日にはプッシィ・ブルースを』(1983年河出書房刊)や、自伝的小説の『ありんこアフター・ダーク』(1984年河出書房刊)などの表現に見られる、生粋の都会人であ り、遊び人、女ったらし、じゃないと「書けない!」描写が、野坂昭如を始め、 プロの読み巧者たちに一定の評価を受けました。

特筆すべきは、1997年に刊行された『後ろ向きのジョーカー』(新潮社刊)ですね。おそらくビートたけしをモチーフにしたのだろうと思いますが、キレッキレで危険な、まさに放送禁止的ネタで勝負しまくる、天才肌の芸人の栄光と挫折。笑いと涙。……私もけっこう昔に、古本で読みましたけれど、文章のスタイル と言いますか、独特の筆致が実に洒落てましてね。嗚呼、コイツは、何をやらせても非凡だなぁ、と、一読してジェラシーを感じたものです。

突如、しばしの間、マスメディアを賑やかし、世間を騒がせた後、何故か定期的にすーっと数年、姿を見せなくなる。でも、完全に人々が荒木を忘れ去る〝ギ リギリ〟のところで、また突如、何かしらの肩書きで話題を作るオッサン! そ れが荒木一郎なのです。

ある時は、婦女暴行の疑いでパクられる事件も起こします。荒木は素直に罪を認め、数百万だかの賠償金を支払う判決が出るのですが……。その後、どうやら被害者のはずの女と婚約者が結託し、荒木を罠にハメようとした事実が発覚しましてね。まぁ、軽い美人局みたいなモノだったのでしょう。腹を立てた荒木は、女 と婚約者を逆告訴する事態に発展。……てなこともありましたね。

のらりくらり、変幻自在、まさに荒木が好むマジックのごとく、世間という空気から消えたり現れたり、を繰り返しながら、常に【現れた】時の仕事っぷりが プロ中のプロ! 役者をやらせても、歌を唄っても、誰かに歌詞や曲を提供しても、実業家としてAV制作会社を始めても、芸能マネージメントをやらせても、 マジックを実演しても、そのマジックを評論させても、小説を書いても、いやぁ、腹立つほどに巧い。

こんな妙チクリンな芸能人は、昭和、平成、令和を通して、たった1人、荒木 一郎だけでしょう。だからこそ、私は、百年もの日本の歴史を物語るのに、最もふさわしいのは、彼であろう、と断言するわけです。

唯一無二の脱力感

 荒木一郎の〝芸風〟を一言で表すならば、脱力感ですかね。アグレッシブな方向とは真逆で、およそ【ヤル気がねぇ~】ように観えちゃうんですよね。少しも熱がこもってないんです。いつだって、「俺、こんなこと、ホントはやりたくねぇんだけどさ。でも、○○さんが出ろっていうからね。まぁ、しょうがねぇか なぁ、って感じで、今日もステージに立って、唄わせられているわけなんだけどね」……みたいなMCが、それも終始ボソボソと、体温低い感じで、嫌がってるわりに、時折、サングラス越しにニヤッと、自嘲気味に笑ってみたりしちゃう……姿が、実にサマになるところが、荒木一郎たる所以でしょうか。

高校時代にやたらハマったテレビの連続ドラマに、倉本聰が脚本を書き、主演の大原麗子がラジオ局のDJ役を演じる、『たとえば愛』(TBS系)がありました。荒木は、どこの放送局に昔も今も実在する、局長やプロデューサーには小判鮫のごとく、ヘーコラペコペコしてやがるのに、売れない歌手やら芸人には、 やたらふんぞり返って威張る……石川という名のディレクター役を好演していまし た。今でも役名を覚えているくらいですから、私にとって、荒木の演技には、すこぶる印象深い〝上手さ〟がありました。

この石川! もうね、やることなすことが実に実に屁垂れなの。どこまでが荒木の【地】で、どこからが倉本が書いた台詞なのか? 観ていてまったく解らないほどの、見事なハマり役でした。

でも荒木といえば、やはり真骨頂は歌手活動なのでしょう。上に挙げた『空に星があるように』は、歌詞もメロディも上質なこともあって、歌謡曲の枠を飛び出し、中学の音楽の教科書にも載るような、国民歌謡風な趣がありますけれど、

荒木の後輩世代の、ロックミュージシャンたちが惹かれた楽曲は、『今夜は踊ろう』と『MAX A GO GO(いとしのマックス)』でしょうね。

『今夜は踊ろう』(1966年10月15日発売/作詞&作曲:荒木一郎)は、レコード売上が100万枚を超えるミリオンヒットした! にも関わらず、その歌声は、 YOU-TUBEに映像がありますから、ぜひ眺めてほしいですね。笑っちゃう ほどヤル気がないように、……ううむ、観る側は【そう】強く感じますが、きっと 本人は【これ】でも一生懸命なの……かな^^;?
https://www.youtube.com /watch?v=KfhjZwwERXg

脱力感の極みは、同じくミリオンヒットを飛ばした、『MAX A GO GO(いとし のマックス)』(1967年5月15日発売/作詞&作曲:荒木一郎)です。この歌詞 の、「ドゥドドゥドド ドゥドドゥドド ドゥドドゥドド ドゥ』の部分を、ギ ターが奏でる激しいビートとともに唄い終え、普通のミュージシャンならば、そ のテンションを保ったまま、次の歌詞の「GO!」を、思いっきり叫ぶはずだろ うに、何故か何故か荒木は、気の抜けたコーラの如く、小首を傾げつつ拍子抜けした口調で「ゴォ」と……唸るのです。
https://www.youtube.com/watch?v=fu3e81dGRvg

この脱力感は、何度も聴いているうちに、どういう心理作用か? 病みつきになるのです。本少し前、宇崎竜童がホスト役を務めるラジオ番組に、荒木がゲスト出演した時のこと。宇崎も私同様、この「ゴォ」にえらくハマった様子で、荒 木にこう愚痴ります。

「荒木先輩さ、俺はね、これを時々カバーさせてもらってるんだけど、【ゴォ】 の部分だけは、絶対に荒木一郎自身が唄わないと、あの不思議な脱力感は再現出 来ねえんだよなぁ、悔しいねぇ。でも、俺たちには無理。そこが、やっぱ荒木一 郎たる所以だろうね」

♪~真赤なドレスを君に 作ってあげたい君に
愛しているんだよ  すてきな 君だけを
Hey, Hey, Macks won’t you be my love
そして 君と踊ろう

マックス 淋しいんだよ
マックス 抱いてほしいのさ
ドゥドドゥドド ドゥドドゥドド
ドゥドドゥドド ゴォ~♪

きっと本人は。緩く唄っている気も、気だるく唄っている気も、ないのでしょ う。これはもう、生まれ持った性格というか、性癖というか、まったくもって努 力して【こうなる】というような代物じゃありません。荒木道子の息子という血 が、そうさせるのか? 東京という大都会の、それもど真ん中に生まれ育った環 境が、そうさせるのか? ふうむ、実に実に正体不明です。

だからこそ、誰かが真似しそうで、誰も出来ず……、結果的に長い年月の中を、 現在、齢78になる荒木一郎だけが、体現して、我々に見せ続けてくれたのです。

いやはや、なんとも、……荒木一郎、オソルベシ!

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

関連記事

メールマガジンの登録

最近の記事

おすすめ記事

昭和歌謡/過去記事