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松山恵子

昭和歌謡_其の三十六

少しも「めでたく」ない、スマホ・デビュー騒動

『お別れ公衆電話』から60年‼︎

スマホ騒動

満員の電車に乗り込むと、老若男女、猫も杓子もスマホと格闘中。ほぼ全員が全員、うつむき加減に背中を丸め、5~6インチ程度の画面を凝視し、さも緊急の業務連絡、ないしはビッグニュースでも飛び込んで来たのかと思いきや、これまた、ほぼ全員が全員、夢中になっているのはゲームです。

明らかに一流企業に勤めているだろう風貌をし、きちんと背広を着込んだ、イイ歳こいたオッサンどもが、惚けたごとくにゲームに興じる姿は、客観的に観てきわめて気色悪い光景であり、

この国から、まともな大人は消滅したのか? と嘆かしく感じるとともに、こりゃ今時の子供たちが、自分の親も含めて、「大人はみんな、頭が悪い!!」「大人なんて信じられない!!」と本気でそう思い込むのも、無理からぬことだと、妙に合点がいきます。

長年、私はガラケーを持ち続けてきました。親しい仲間の目には「ガラケーにこだわり続けている」というふうに映ったはずでしょう。ところが、さにあらず。筆力が強い私は、パソコンのキーボードでもガラケーのボタンでも、しっかり強くキーをプッシュして文字を入力する癖が、昔から身に付いてしまっておりまして、スマホやタブレットの〝仮想キーボード〝、いわゆるタッチパネルの表面を「軽くすーっと撫でる」という芸当が、まったくもって苦手……なだけです。

タッチパネルを避けるには、今時の感覚ではガラケーを持ち続けるしかない。ただ、それだけの理由で、べつに嬉しくも何ともなく、ただただ仕方なく、旧来のボタンをプッシュする形式の携帯電話、通称ガラケーを持ち続けたまでのことです。

だから、というわけじゃありませんが、auが、他の携帯会社に先駆けて、2015年2月20日、機体の外観や操作方法はガラケーを〝そのまんま〟踏襲しつつ、駆動エンジンの部分といいましょうか、ソフトなど〝中身〟だけを「スマホっぽく」入れ替えた、いわゆる【ガラホ】を発売した時は、大袈裟ではなく、「やったぁー!!」と自宅の仕事場で大声を出して喜びました。

これぞ「俺が長年、欲していた携帯電話だ!!」と信じ込み、翌日の午後、さっそく上野駅にほど近いauショップで契約を済ませたものでした。私のごとき酔狂な御仁が、そのショップだけで「すでに5人ほど、いらっしゃいました」と、私の担当の、名前は失念しましたが、じつに親切で気働きができ、かつオツムの出来のすこぶる優秀な、若手の女性事務員が笑顔で話してくれましてね。私の、ガラケーからガラホへの機種変更の手続きも、少しの支障もなく進めてくれました。

当時、auの営業トップの誰かが、ガラホの開発に関して、「スマホのタッチパネルを好まないユーザー、メールよりも電話の通話環境を重視するユーザーは、調査の結果、全国かなりの数いらっしゃることが解り、本機種を開発、製造、販売するにいたりました」と報道陣の前で〝確かに〟話したのです。

加えて、「今後のガラホの開発は、スマホと並び、弊社の優先事業の1つであり、今回発売の機種をスタートモデルにして、続々と後継機種を発売していく所存です」と、こう〝約束〟してくれたわけです。

あれから、わずか4年と半年。その間、お世辞にも「続々と後継機種」が発売された気配は〝まったく〟ありません。ほんのちょこっと、申し訳ない程度に、現在でも数機種、ガラホが発売されていることは、されています。

おそらく、その数機種が「たった1機種」になろうとも、全国のどこかに利用者が「たった1人」でも存在するかぎり、ガラホがこの世から消滅することはない……はずです。携帯電話は、今や電気、水道、ガスとならぶ、日本国民すべての生活を支える、大切なライフラインですからね。

しかし、「たった1機種のみ」ガラホを残す程度の事実を指して、当初の〝約束〟を「ちゃんと守っているだろ?」と胸を張られても、他のガラホ利用者はさておき、私は断然、認める気にはなりませんねぇ。

「たった1機種のみ」のガラホの開発に、全力投球してくれているのなら、まだ許せますよ。私の感覚で、「ほぉ~、こんなガラホなら、面倒な機種変更の手続きをしても、ぜひ持ってみたいなぁ」と思わせてくれる、開発者のウィットと言いましょうか、思わず「なるほど、こりゃ面白い!!」と膝を打つような、小洒落たエッセンスでも、ほんの少しで良いからまぶしてくれていれば……。

ところが現実は残酷なもので、全国各地の携帯ショップに並ぶ、スマホの新機種のラインナップの、その脇に、なんとも申し訳なさ程度に、淋しげにぽつんと置かれた「たった1機種のみ」のガラホは、とてもじゃないが手に取る気にもなりません。

いや、なれない!! まるでセンスの欠片もなく、「どうせ今時、ガラホなんてジジババしか持つわけねぇんだからさ」と言わんばかりの超ダサいデザイン、加えて画面表示の文字の、あまりに不格好なフォント(字体の種類)……。「ジジババには、この程度のブツでも持たせておきゃあ、御の字だろうが」との、はなはだ不埒な意識、イヤラシイ上から目線の意識がハッキリと、その「たった1機種のみ」のブツの、時代遅れな形状から浮かび上がってくるようです。

「ふん、気に入らねぇな。スマホがそんなに偉ぇ~のかよ」

つい独り言をつぶやくというよりは、吐き捨ててしまった、数秒後、私の後ろに音もなく、すーっと近づいてきた店員が1人、おりましてね。

「ガラホって便利なんですけどねぇ。僕は、あくまで個人的な見解ですけど、もっとガラホの開発が進むと信じてました。でも、スミマセン。僕が謝るのもおかしいですが、すっかりauの方針は、ガラホから遠のいてしまいましたね。お年寄りならともかく、お客さん世代が持つには、正直、抵抗があるでしょうね。お気持ちはわかります」

声の方を見やると、歳の頃、三十代の後半あたりですかね。穏やかながら、なかなか賢そうな目付きをしていまして、……まぁ、ぶっちゃけ、彼のサービストークに乗せられたと言ってしまえばミモフタモナイのですが、気付けば、スマホへの機種変更の手続きをさせられておりました。

じつは、4年と半年、使い続けてきたガラホが、ついに本格的に壊れてしまい、どんな機種を選ぶにせよ、新規の携帯に換えざるを得なくなったんですね。

この日も、決して冷やかし気分でショップのさまざまな機種を眺めていたわけではないのです。これらの中で、どれか1つ、決めねばなるまいとの覚悟を持って、1つ1つ、スマホや「たった1機種のみ」のガラホ(……のわりには、旧世代の機種も2つほど並べてありましたが)を手に取ってみたり、していたのですが、

まずはガラホに大いに絶望し、続いて〝流行り〟のスマホは、どれもこれも私の好みからすればフォルムが大きすぎて、「こんなデカイ携帯を、耳に当てて電話をしている姿を想像するだけで、こっ恥ずかしくてスマホを持つ気が失せるなぁ」と、彼の前で、苦虫を潰したふうな表情を崩さないでいると

「小さいのがお好みなら、お勧めなのが1台、ありますよ。1年半前の機種ですが、今のガラホと同じ程度の使い方でよろしければ、スペックも十分だと思います。お望みの【おサイフケータイ】も【防水】も付いてますしね」

柔和な笑顔を絶やさずに、緩やかに、でも確実に、口説いてくるんですねぇ。

「毎月の料金も、無駄なアプリを外したり、自動で内部が勝手に動いてしまう設定をオフにすれば、今のガラホと、ほぼ変わらないレベルに出来ますよ。ひょっとして、かえって少しだけ安くなる気もします。手続きのすべては、私が責任を持って、やらせていただきますよ」

ううむ、困った。そこまで、この好青年に言わせてしまっては、さすがに私も、反論の理屈が屁ほども浮かびません。ううむ、ううむ……、あ!!

「そうだ、そうだよ○○さん、俺はそもそもタッチパネルが使えねぇんだよ。嫌なんだよ、あの、画面の表面をすーっと優しく撫でる感覚? あれが、まったく駄目!! どうすりゃいい?」

仕方なく、そう言うと、彼のアドバイスが、これまた憎いほど、お見事でした。

「最初はガラケーのまんまの打ち方でいいんですよ。何も新しい打ち方を覚える必要はないです。そのままで、次第に素速く打てるようになるかもしれないし、面倒に感じたら、スマホ独自の打ち方を、その時に覚えりゃいいんですよ」

参りました。……ってなわけで、遅ればせながら、もとい、はなはだ不本意ながら、少しも嬉しくもクソもない、還暦3年前のスマホ・デビューとなった次第です。

そして今日で3日め。タッチパネルの扱いに関しては、実際やってみりゃあ、確かに複数の知り合いにメールを打つごとに、文字変換も速くなって来た【ような】……気もしますが、

アラームを鳴らせば、停め方がわからず、10分間、鳴りっぱなしでカミサンに叱られるし、電話が鳴って、ひとしきり喋ったあと、いったい画面のどこを触ったら通話を停止できるのか? いまだによく解らない。メール着信の音をオフにしたはずが、今現在も鳴っている状態です。

やはりスマホは、ショップの好青年のサービストークのようには、超が付くほど不器用な私には簡単に扱えないようですね。機種変更の手続きを始めたのが午前10時過ぎ、すべての処理を終えて、店を出たのが午後3時5分前。昼飯も喰わずにスマホの画面と向き合いっぱなしで、なんと5時間!! ほとほと疲れ果てました。

そして今もなお現在進行系で、その疲れのまま、スマホの設定を、自分が扱いやすいように、あっちこっちを〝修正〟している最中です。恐るべしスマホ!!

たかが電話なのになぁ~。昭和時代のど真ん中の頃、自宅に黒電話が1台だけ。いや、その1台だって持てないウチは、私が中学に上がる昭和50年あたりまでは、ひと学年に数人、まだ存在しましたよ。

他ならぬ私のウチも、小学4年ぐらいまでは、自宅の黒電話を持てずに、隣の一軒家で呼び出してもらっておりました。電話をかける時は、当然ながら近所の公衆電話ボックスに駆け込んだものです。

黒電話も、呼び出し電話も、公衆電話も、今やすっかり死語。いや公衆電話だけは、東日本大震災以降、〝その〟存在のありがたさを、若い世代の連中も思い知ったはずですから、死語とは言えないかもしれませんが。

公衆電話という言葉を耳にすると、たちまち学生時代の苦く、そして、ほんのちょっぴり甘酸っぱい記憶が、〝つい昨日〟のごとくよみがえって来ます。

当時は、好きになった彼女と付き合いだしても、自宅にいる彼女への連絡が「直接ダイレクトに」というわけにはいきません。電話番号だって、親名義の番号が1つ、分厚い電話帳に記載されているだけです。嫌でも何でも、まずはその番号に電話をかけ、運が良けりゃあ、彼女が受話器を取ってくれます。その逆で、いかにも怖そうな声の父親に出られると、最悪でしたねぇ。猛烈に怒鳴りまくられて、一方的に電話を切られるのがオチ。

父親のいない時間を見計らい、彼女と1分でも長く語らうこと、そのためにはどうすりゃいいのか? 必死に想像を巡らせ、父親対策に思案を練る。そんな学習が、人間の成長に欠かせない体験だったように、今となっては感じます。

お別れ公衆電話

 昭和歌謡史には、それぞれの年代、あまたの大ヒット曲がリストアップされましょうが、公衆電話がタイトルに付く楽曲となると、われらが〝お恵(けい)チャン〟こと松山恵子の看板ソング、『お別れ公衆電話』(1959年11月発売/作詞:藤間哲郎/作曲:袴田宗孝)だけじゃないですかね。

歌唱した〝お恵チャン〟の人気はすさまじく、ひと昔、ふた昔前の松田聖子や中森明菜のごとく、超ビッグ・アイドル的に大勢のファンを獲得しておりました。彼女もまた、ファンの声援に応えるべく、亡くなるまで、〝あの〟派手な衣装のままステージで熱唱し続けました。性格も朗らかな姉御肌で、周囲に敵を作らず、かの立川談志までもが〝お恵チャン〟に魅了されていたのは、有名な話です。

この楽曲は、当時、大ヒットしたばかりでなく、前奏を含めたメロディの曲調と、歌詞に描かれる男女の恋情(こいごころ)が、みごとにフィットしていまして、歌謡曲の出来具合においても、名曲中の名曲と言えるでしょう。

今回あらためて調べてみて、公衆電話自体は、なんと明治時代から「あった」んですねぇ、まったく知りませんでしたので、正直、たまげました。

『お別れ公衆電話』が発売された昭和34年当時、国鉄(現在のJR)の駅のホームの隅にも、公衆電話が新設されたらしいのですが、残念ながら、その情報が、一般の乗客にさほど浸透しなかったらしいですね。そこで「もっと駅の公衆電話を利用して欲しい!!」という、国鉄側のPRの目的もあって、この楽曲が制作されたと、何かの本で読んだ記憶があります。

そのあたりの経緯は、国電の有楽町の駅前に、そごうデパートがオープンするにあたり、PRソングの目的で制作された、フランク永井の大ヒット曲『有楽町で逢いましょう』(1957年11月発売/作詞:佐伯孝夫/作曲:吉田正)と一緒でしょう。

電話機に10円玉を投入して、誰かに電話をかける──という行為を、国民に知らしめるため、1人の女性の悲恋を描くドラマを、作詞家は提示したわけですね。熱く愛し合ってきたはずの年下の恋人がいて、本当はこのままずっと一緒にいたいけれど、若い彼にはまだ「先がある」。年増の私のせいで、彼の将来を犠牲にさせては申し訳ない、という想いから、泣く泣く自分から別れを切り出します。

その際、面と向かってでは、なかなか踏ん切りがつかないところを、「駅の公衆電話」を使えば、彼に涙を見せずに、きっぱり「お別れ」ができる。長く話をすればするほど未練も残るけれど、投入した10円玉の分だけ話をして、電話が切れて受話器を元に戻したら、その足で自分は、目の前に停車する夜行列車に飛び乗る。

♪~先があるのよ あなたの身には
 こんな女は忘れるものよ
 ベルが鳴る鳴る プラットホーム
ここが切れ目時(どき)
 出てはいけない 私の涙 さようなら さようなら
 お別れ電話の 最後のことば~♪

どうです、みごとに〝ハマる〟歌詞内容でしょう。脳裏に、くっきりハッキリと、その場の情景がイメージとして浮かびます。

 そんな時代から、今年でちょうど60年。

近頃、若い連中にとっては、恋人に別れを告げるのも、勤務先の会社に辞表を出すのも、もっぱらメール(LINE?)……だそうです。電話の出る幕など、とっくになくなってしまった感があります。

下手に、若い知り合いに昼間、電話をかけてしまうと、先方はその電話には出ず、代わりにLINEのショートメッセージで、「勤務時間帯の電話は、非常識ですからやめて下さい!!」と返信が届く、……これが実話です。

そういえば、くだんの携帯ショップの店員が、困ったふうに私に打ち明けました。

「スマホの本体が、年々大きくなるのは、すでにスマホが電話として使われなくなった、証拠みたいなもんで……」

そんな時代に、私がこれから先、毎日携帯することになったスマホは、皮肉なことに、ガラホよりも電話の通話の音が聴こえやすいのです。なのに、電話をかける相手は、カミサン+親しい数人のみ。あとは、ほとんどがLINEのメッセージ、加えて一部のショートメールです。

そのためには、苦手なタッチパネルで文字を打ち込むことから、学習しなけりゃなりません。ま、若年性アルツハイマーの予防には、悪くないかもしれませんがね。

 

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

 

 

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