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稲垣潤一 その1

昭和歌謡_其の93

80年代「シティ・ポップス」歌手=稲垣潤一の光と陰 (前編)

 『ドラマティック・レイン』

by 稲垣潤一

シティポップスの世相

前回のコラムで紹介させていただいた、徳永英明の大ヒット作『壊れかけの Radio』……が発売されたのが、平成2年、梅雨明け間近の頃でした。

その〝時代〟にすでに超売れていた、徳永より年齢で6つ上、デビューも4年早い、先輩歌手がおりまして。楽曲の〝空気感〟もまた、徳永と「かなりカブる」ところがありました。

昭和57年1月21日に『雨のリグレット』(作詞:湯川れい子/作曲:松尾一 彦)でデビューした、稲垣潤一です。

2人がブレイク真っ只中にあった当時の世相は、令和4年の今、何もかもがドン詰まり! 閉塞感ありあり! 政治も経済も教育も各種文化も、未来に向けての明るい展望など からっきし無し! ネガティブな要素ばかりが日増しに累積 していく……状況下で振り返ると、まさに幻想だったとしか思えぬほど、300%信じ難いほど、メチャメチャ好景気でしたからね。バブル経済の真っ只中! と言って良いでしょう。老若男女のどいつもコイツもが、おしなべて行動も発言も前向きで、アグレッシブでいられた、……という、日本国の歴史において、未来永劫、おそらく二度と到来し得ない、実に悩ましい〝時代〟です。

そんな〝時代〟の只中に置かれた、都会に住まう若者たち……。巷の喧騒にみずから進んで身を置き、眼の前の即物的な欲望を満たせば満たすほど、なぜか胸の内にチクチクと、うすら寒く仄暗い情動がよぎる。──冒頭に記した、徳永と稲垣の両者に通じる〝空気感〟、楽曲のテーマの共通性は、そんなところにありま しょうか。

当人同士の想いはともかく、この2人、音楽評論的には、何かにつけ比較して語られることが多いのです。

ま、細かく観ていくと、2人には明確な違いもありますがね。

同じククリの違う二人

徳永英明は、れっきとしたシンガーソングライターです。少なくとも本人の中 に、その自覚は濃厚に〝ある〟はずです。彼の紡ぐメロディは、確かにヒットにつながっており、『風のエオリア』(昭和63年2月24日発売/作詞:大津あきら)も『最後の言い訳』(昭和63年10月25日発売/作詞:麻生圭子)も、徳永自身が作曲を担当しています。

でも、彼の本音じゃ、歌詞を書きたい! んですね。実際、けっこうな数、徳永が作詞も作曲も担当した楽曲があります。でも何故か? 不思議と徳永が歌詞を書いた楽曲は、売れないんですね。

例の『壊れかけのRadio』は、例外中の例外で、彼が歌詞も曲も書いて大ヒッ トを飛ばしましたが、それ以外は、可哀想なくらい売れない!

……ので、徳永のスタッフは、オリジナルの楽曲を制作する際、決して彼に歌詞を書かせません。おそらくは現在もなお、その〝縛り〟は残されているはずです。

彼が後年、女性歌手が唄った昭和歌謡ばかりを集めた、「カバーアルバム」シリーズの企画を打ち立て、見事、大ブレイクを果たしたのも、ひょっとして、シンガーソングライターとしての自分の才能を、客観的に見定めた時、歌詞と曲と歌唱の「三位一体」がお決まりだった、昭和歌謡の名曲群のクオリティに、徳永英明だからこそ、強く感じるものがあったのではないか? まぁ、これは私の勝手な見解ですけれど。

前回のコラムで記した通り、あまり類を見ない独特なしゃがれ声と、新宿2丁目に代表されるゲイの皆様方の劣情が、たちまちヒクヒク来る! ような、〝分 かるヤツにには分かる〟イタイケな顔立ちが、徳永の魅力ですね。

一方の稲垣潤一は、少しもイケメンじゃありません。いや、どちらかといやぁ、……やめときましょう(笑)。都会人からは程遠い、野暮ったい風貌をしているなぁと思いきや、嗚呼、やっぱり生まれも育ちも宮城県でした。

なのに、……というと失敬ですが、当時の音楽シーンにおいて彼は、東京は新宿 出身&千代田区育ちの山本達彦や、同じく渋谷に生まれ育った〝お坊ちゃん〟角松敏生らと並んで、「80年代シティ・ポップス」の歌い手として一世を風靡します。

秋元康の出世作

シングルカットされたオリジナル楽曲の、レコード&CDの売上枚数で比べれば、同種のククリの歌手の中で、稲垣が断トツのトップ! です。

デビュー時の彼のキャッチフレーズとして、レコード会社が「スーパーポップ ボーカル」と銘打ったほど、稲垣の歌唱は耳にすこぶる心地良く響きます。本人 が意識しているか否かは知りませんが、歌唱スタイルがどこか気だるく〝投げやり〟に感じるのですが、かえってそれが、いかにも都会っぽい歌詞内容にふさわ しかったり、しましてね。

ただし彼は、自分では歌詞も曲も書きません。あくまで歌唱だけです。稲垣にとって〝そこ〟が、後年、音楽ビジネス的にアキレス腱になるのですがね。

デビュー曲の『雨のリグレット』は、オリコンチャートで65位が最高ですか ら、さほど話題になりませんでしたが、3曲目の『ドラマチック・レイン』(昭 和57年10月21日発売/作詞:秋元康/作曲:筒美京平)、4曲目の『エスケープ』(昭和58年3月1日発売/作詞:井上鑑/作曲:筒美京平)、5曲目の『夏のクラクション』(昭和58年7月21日発売/作詞:売野雅勇/作曲:筒美京平) は、立て続けにヒットを飛ばしましたし、CMソングにもなりました。その頃の 稲垣の人気は、絶好調だったはずです。

ドラマチック・レイン

♪~今夜のおまえは ふいに 長い髪 ほどいて
光るアスファルト 二人 佇む
ああ 都会の夜は ドラマティック

車のライトが まるで 危険な恋 誘うよ
もしも このまま 堕ちて行くなら
ああ 男と女 ドラマティック

レイン もっと 強く 降り注いでくれ
濡れて 二人は
レイン もっと 強く 求めてくれ
冷えた 躰で

雨の音さえ 隠せぬ罪~♪

ちなみに『ドラマティック・レイン』の歌詞を書いた秋元康は、高校時代から 放送作家をしていましたが、作詞家になりたくて、作品を書いては様々なレコー ド会社に持ち込みました。ようやくアルフィーのシングル曲のB面で、念願の作詞家デビューを果たしたものの、少しも売れなかったんですね。

この楽曲の大ヒットによって、実質上、メジャーな作詞家として、音楽業界に認められたのです。つまりは『ドラマティック・レイン』が、秋元の出世作になりました!

このエピソードについては、スミマセン^^;、次回に回しましょう。

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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