平成三十年 芒種
タイでおもろい坊主になってもうた 前編
誕生 藤川チンナワンソ清弘
「小満」で最近他界された汪蕪生兄を追悼したら、もう7年以上前に亡くなった人だが、麦の実に生える細い針のような毛「芒(のぎ)」のごとく、いまだ私の心に遺る〝おもろい親爺〟のことが頭に浮かんだ。
地上げ屋、京都からバンコクへ
その昔、京都にひとりの不良少年がいた。
高校には入学したものの、最初の学期で、ほとんど登校することなく辞めてしまった。
放校同然という方が正しいかもしれぬ。
その頃を振り返り「京都の警察署の留置所で世話になって無いとこはあらへんな」と嘯(うそぶ)いた。
半グレで留置所巡りに飽いたころ、定職に就いて欲しいという母親の願いもあって、不動産の世界に飛び込んだ。
鉄火な気質が業界の水に合い、頭角を現した。
やがて時代は、不動産を主役とするバブル経済の真っ只中に突入する。
稼いだ。
のちに本人は「わしはバブル期、京都で地上げ屋をやっていた。長屋から人を追い出して土地を買い占め、マンション用地として建設会社に口八丁で高値で売る。目の前を通り過ぎていく金を、ヒョイと手を伸ばしてつかめば良かった。数億円を稼いだ」と、当時を回顧した。
その頃の口癖は「金が無いのんは、首の無いのとおんなしや」だった。
おのれ自身の欲と、商売相手の接待にかこつけて、女、酒、バクチに金をつぎ込んだ、つぎ込んだ金がまた金を呼んだ。
独特の嗅覚で〝バブルの終焉〟を嗅ぎ取り、1億持ってタイのバンコクに渡った。
ここでもまた地上げをやって、ショッピング・センターをオープンした。
流行った。
観光客と日本企業の駐在員を相手とした日本人専門クラブを、いち早く歓楽街〈タニヤ〉に開店した。タイ人ホステスに日本語を教え、客あしらいと金の貢がせ方を仕込んだ。
客が来た。
京都からバンコクへと場所を変えて、女、酒、バクチの酒池肉林の日々が続いた。
「金にとらわれると、きりがない。金が金じゃなくなってゲーム感覚になり、現実を見失って人間が変わる。」まさにそんな状態だった。
ある日、会社のタイ人社員が一時出家をした。
タイでは男子は一生に一度は出家しななればならない。
それが成人の証だと考えられる。
例えば、結婚の許しを相手女性の親に乞いに行った時に、相手の親に出家はもう済んだかと聞かれ、まだだと答えれば、出家してから出直して来いと言われる。
出家に決まった年齢はなく、その人のタイミングで行う。
期間は2週間くらいが多い。
やがて2週間の出家を終えて社員が帰ってくる。
会社は社員が一時出家をしている間は、有給休暇として給料を払わなくてはならない。
法律ではないが、タイでは人を雇う際の大事な暗黙の約束事である。
タイ人社員の一時出家が、ぽつりぽつりと続く中、出家を終えた社員が異口同音に「社長には絶対無理だから」と言う。
負けず嫌いの天邪鬼な性格の男は「ふざけるな、やってやろうじゃないか」と半ば洒落で一時出家を敢行した。
一時出家
一時出家の初日は、比丘(びく/僧)となるための受戒を受けることから始まる。
比丘として一時出家している期間は最低以下の五戒を厳守しなければならない。
不殺生戒_いかなる生き物も殺してはならない
不飲酒戒_酒を呑んではならない
不妄語戒_嘘をついてはならない
不偸盗戒_盗んではならない(与えられていない物を我が物としてはならない)
不邪淫戒_女性と接してはならない
殺してはならない。
簡単なようで、いま腕に止まり血を吸おうとしている蚊を叩けない。食事にたかる蝿も叩けない。ジャイナ教などは、歩いていて虫を踏まないよう、進む道の前を箒のようなもので掃きながら歩く。日本の寺で偉そうな坊主が手にしている巨大な筆のようなものは、その名残であるという。
嘘をついてはならない。
一時出家中は、そもそも嘘をつく相手がいない。
盗んではならない。
盗む物も相手もいないから簡単だと思った。しかし、寺の外では目の前においてある物や食事、飲み物の入ったグラスなどを直接手に取ることはできない。最初に手にするときに、比丘以外の人から手渡しで受け取らなければならない。たとえそれが自分が購入したものでも、信者や他人から与えられたという儀式を経ないで手に取ると、それは盗んだことになるのである。比丘とは乞食という意味でもある。さらに、手渡してくれる相手は男性に限られ、決して女性であってはならない。
酒を呑んではならない。
長年食事の際には、昼夜を問わず呑んできた酒である。2日目位から無性に飲みたくなったが、2週間に近づくにつれ苦にならなくなった。
女性と接してはならない。
もともと寺に女性はいないので、接しようがないのだが、健康体な男であれば1週間も女を断てば悶々としてくる。2週間目以降はとても辛い。仏教、特にタイの上座仏教ではこの不邪淫戒が一番厳しい。
2週間が過ぎた。
酒も女もない生活に少し慣れてきた。しかし、2週間が過ぎてもわからないのは、女も酒もなく貧しい生活を長年続けている比丘たちの幸せそうな姿だった。一時出家はその短い期間が過ぎれば、元の生活に戻るが、本出家の比丘たちはそうはいかない。
結局五ヶ月間寺にいた。
心のひだの汚れが、ひとつひとつ拭われ
体からどんどん何かが剥がれていった。
体の澱が消えていく感覚はあった。
それでも本質はまだわからなかった。
本出家
バンコクに帰り、元の生活に戻ったが、女を抱いても楽しくなく、酒を呑んでも旨くなかった。
そうなると金を稼いでも虚しかった。
何か違う。
俺は何のために金を稼ぐのか。
何のために生きているのか。
自問し続ける、そんな日々が続いた。
ある日、男はとうとう2度目の出家を決心した。一時出家と違い、2度目の出家は一生涯比丘を貫くということである。途中でやめることはできない。これからの生涯を、女・酒・金抜きですごすということだ。
二度目の出家をするときは、地位、財産、子供を含めた家族、その全てを捨てなければならない。
男は、会社と資産をタイ人の役員にすべて譲り、現地妻との関係を絶って、寺に戻った。
気分が軽くなり、心が清々しかった。
そして寺の長老から比丘としての名前を授かった。
チンナワンソ
新しい男の名は〝藤川チンナワンソ清弘〟
京都のとびきりの不良少年は、タイで坊主になってもうた。