平成三十年 大寒
大いに寒い話
長く生きることは寿(ことほ)ぐことか
メメントモリをなくした日本人
*メメントモリ (Memento Mori/ラテン語)_己がいつか必ず死ぬことを忘れるな_死を記憶せよ
今日の日本において、
70歳古稀は、古く稀なことではなく、ごくごく当たり前の年齢となり
77歳喜寿は、喜ばしくもなく老老介護真っ只中
80歳傘寿で、老介護の傘の下
88歳米寿で、米とは何かを失念し
90歳卒寿で、一般社会生活から卒業
99歳の白寿に至って、1日中頭の中が真っ白け
50年後の2067年には現在7万人(2016年)いる百歳以上の老人が40万人までに増加するという、
まだまだ先が長く、辛い人生が待ち受けるという〝修羅の道〟が待っている。
お叱りを覚悟で記せば「日本人は、長寿というまやかしの言葉に死に方を忘れてしまった民族」ではないのか。
無用に長生きすることが、果たして〝幸せ〟で〝寿ぐ〟ことなのか。
ここに頭を抱えてしまいそうな数値がある。
総務省統計局の「人口推計/2017年10月20日」によれば、
日本の総人口1億2,672万人のうち75歳以上が全体の13.8%〈1,749万人〉
これに対し15歳未満の子供人口は12.3%〈1,560万人〉
ちなみに日本で飼育される犬猫のペット数は1,975万頭〈2016年全国犬猫飼育実態調査/一般社団法人ペットフード協会〉
犬猫のペット数の方が、子供の人口より400万も多いのである。
そして、60歳以上の世帯がペットを飼育している率は全体の20%以上を占めており
高齢者が手間暇をかけ愛情を注ぐペットよりも少ない数の子供達が、
将来の日本の社会保障を賄い、高齢者を支える責を負うのである。
気の毒以外の何物でもない。
これからの日本に、地球に、体力はない。
衆知のとおり、地球環境にとって最大のガンは、膨張する人類の世界人口である。
これを少しでも軽減すること、つまりは無用に生きることを止めることを、
真剣に考えることは我々の使命ではあるまいか。
そこで、確実だとは言えないので目標として述べたい。
編輯子はなるべく早く往生したいと思っている。
少なくとも父親が逝った75歳以前に、
でき得るならば70歳前に健やかにポックリ逝きたい。
毎朝真剣に仏壇と神棚に祈っている次第である。
それが、わずかにできる過去への贖(あがな)いでもあるから。