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平成三十年 夏至

2018年6月21日

タイでおもろい坊主になってもうた 中編

女性は大敵/タイの比丘は辛いよ

芒種に引き続き、タイ仏教のお話である。

タイ仏教とラーマ四世

タイは日本同様、東南アジアにおいて、西欧諸国の植民地となったり、内戦や社会主義国家となった歴史を持たぬ稀有な国である。

第二次世界大戦時下では、日本の同盟国であったが、敗戦国にはならぬという、なかなかな強(したた)かさでもって生き抜いてきた。

タイの仏教が現在のように一般国民の間に根付いているのは、植民地をキリスト教化する西欧祖国の統治を避けることができ、宗教そのものが否定される社会主義国家とならなかった点が大きい。

そして、1851年に即位した〝ラーマ四世〟の功績もまた大きい。

即位前に27年の間僧籍にあった賢帝は、秩序に問題があると感じていた国内の仏教を改革すべく、まずサンガ(出家者集団)組織を再整備した。
サンガ(サンスクリット語)=僧伽、これが略されて〈僧(そう)〉となった。

また、寺院を教育と福祉の機関と定めて、地域社会の要とした。

1869年のラーマ四世崩御後も仏教の整備は進み、1902年には「サンガ統治法」が施行されて出家する者は国家への届出が必要となった。

これ以降、出家者の証である鬱金(うこん)木綿の衣を纏い比丘を名乗るものが、戒律を犯すと〝詐欺罪〟に問われ、逮捕されて重い量刑が科せられることとなった。

ラーマ四世は、仏教の整備だけでなく、タイの近代化に尽くした王でもある。

自ら「英語」と「ラテン語」を学び、西洋文化を積極的に取り入れた。

英国より女性家庭教師を招き入れて子弟の教育に当たらせたりもした。

この時の逸話を基に書かれた物語が『王様と私』である。

王様と小堀さん

この物語を戯曲化した作品は、〈ユル・ブリンナー〉が舞台と映画(1956)で演じ、近年では〈渡辺謙〉が本場ブロードウエーで主演したことで話題となって、我々日本人にも馴染み深いが、タイでは〝不敬〟であるとして一切の上映や舞台公演を禁じられている。

今でも、この物語『王様と私』の存在すら知らないタイ人が多くいる。

タイ人にとって国王は特別な存在であり、西欧人家庭教師とはいえ、一般人と親しく交流すること自体が、考えられないことであるのが第一の要因である。

それに加え、『王様と私』のモデルであり、物語の基となる『アンナとシャム王』を記した英国人家庭教師アンナに虚言癖があり、物語の逸話には疑わしい点が多くあることも大きな要因となっている。

実際、私も何度かタニア〈Taniya〉のお姉様方に『王様と私』をどう思うかとお聞きしたことがあるが、皆一様に知らないと言うか、知っていても知らないフリをしているようだった。

そんな時は逆に「小堀さん」を知っているかと聞かれることが多い。

「小堀」は『クー・カム(運命の人)』というタイ作家による小説の主人公の名前で、この物語が1973年に映画化されると、タイの国民的ドラマとなり、その後も何度かリメイクされている。(近くは2013年▶︎こちらが予告編日本語MV

この第二次世界大戦下の、タイ政府高官の娘「アイスマリン」と日本軍青年将校「小堀」のラブストーリーは、タイでは見事に老若男女みんなが知っている。

このドラマのおかげで、大戦後のタイ人の対日感情が一気に友好的になったとさえ言われている。

貴郎がタニヤに行って、女性から名前を聞かれた時に「小堀」と答えれば、とてもスムースなコミュニケーションを始めることができるだろう。

女性に触れてはならない

とまれ、タイ仏教である。

タイの仏教は、東南アジア大陸部の多数を占める上座仏教(パーリ仏教)であるが、周辺国に比べ、国王自らが帰依して積極的に庇護しているのが特徴である。

上座仏教では、出家して比丘となって修行した者のみに悟りの機会が与えられるのに対し、在家信者にも恵みがあるとする大乗仏教、特に大部分の国民にとって「葬式仏教」となっている日本とは趣を異にする。

上座仏教で出家し比丘となる者は、地位や財産、家族といった俗世での関わりを一切断ち、信者より喜捨・寄進された物のみで生活し、食を乞い、厳しい戒律を守り、修行に励む、ゆえに一般市民は、たとえそれが昨日比丘となったばかりの者であろうが、一時出家中の者であっても、これを敬う。

タイを旅行したことのある人は気付いただろうが、飛行機や電車、バスといった座席はすべてにおいて比丘が優先され、搭乗の順番も一番先となる。

他にも食堂や病院、全ての施設においても同様に比丘は優先され、タイ社会全体で守られる。

だからこそ、前述のように戒律を破った比丘には、重い罰が科せられるのである。

上座仏教の大きな特徴は、女性蔑視とも受け取られる女性の扱いである。

原則的に女性の出家者〈比丘尼〉は認められておらず、ミャンマーのように認めている国でも、長年修行をした立派な比丘尼であっても、昨日出家したばかりの男の比丘よりもその順位と扱いは低くくなる。

ミャンマーでは女の子も小さな頃に寺に一時修行をする

これは仏陀が男であり、比丘の修行の最大の妨げが、男女の情愛であることを良く知っていたからで、決して女性を軽んじていた訳ではないが、今日、上座仏教の中でサンガにおける女性の立場が大きな議論の一つとなっている。

それでは、女性の役割が小さいのかというとそうではなく、托鉢・粥飯(朝昼食事)といった、日常的に寺院を支える役割を担っているのは、主に女性たちで、女性抜きにして寺院は成り立たない。

出家中の比丘が守るべき227の戒律の内の多くは〈不邪淫戒/女性と接してはならない〉である。

その中には、いかなる理由があろうと女性と二人きりになることを厳禁とすることや、女性の体が比丘のまとう袈裟に一瞬でも触れると、その比丘がこれまで積んできた修行そのものが全てが無になる、というものがある。

かつてバンコクで、エレベータに乗った比丘が片方の隅に、たまたま乗り合わせてしまった女性が反対側の隅に固まって間違っても近づかないようにしているのを、目撃したことがある。

生前、藤川〈チンナワンソ〉和尚が、タイから若いタイ人住職を東京に連れてきたことがある。

東京の寺院や観光地を案内するうち、はからずしも満員電車で移動する事態となってしまった。

東京の満員電車である。戒律など知らず、比丘など尊重するはずもない群れが、男女を問わず住職に迫り来る。

どうにか、同行者で住職を囲み女性との接触を避けることができたが、その時の住職の恐怖に引きつった気の毒な顔は忘れられない。

しかし修行に励む比丘とて、健康な成人男子である。

どうしても我慢ができなくなった時に行く場所が、比較的大きな寺院には必ずある。

そこには、現世では非常に美しかった女性のミイラ化した遺体と、生前の写真が安置してある。

その姿と写真を見比べ、自分のモヤモヤの対象が、死んでしまえば、こんなに醜いものなのだということを悟り、熱き煩悩を抑えるという。

仏教本来の修行に、〈死体が腐乱し白骨化するまでを観続け、肉体や実世界が穢れていることを認識することで煩悩を打ち消す修行法〉の「不浄観」があるが

こちらは何とも切実である。

人間がおのれをたやすく神と思い込まずにいるのは、下腹部のゆえである_ニーチェ

編緝子_秋山徹