平成三十年 啓蟄
新幹線と馬の尻
全てはローマに
最新技術も過去からは逃れられない
「雨水」の頁で、みなさん機械に使われてやしませんか、と書いたが、
今回は、最新の技術も過去からは逃れられない、というお話。
突然であるが、
日本の新幹線のレールの幅は1435mmである。
このレール幅は、世界の鉄道の60%を占めていて「標準軌」と呼ばれる。
しかし、なぜ1435mmという半端な幅なのか。
それは、18世紀半ば産業革命期のロンドンに遡る。
ロンドンの古い街道の石畳には、十数世紀にわたる馬車による轍(わだち)が深く刻まれていた。
馬車の両輪は、この轍に収まらないと転倒したりして危険なため、イギリス国内の馬車は、この轍の幅が規格として統一されていた。
お察しの通り、この幅が1435mmである。
鉄道や車の黎明期には、その車両の制作の多くを馬車職人が担っていたため、この規格がそのまま使われて、現在に至っている。
では、深い轍が残るこの街道は誰が作ったのか。
それは2000年以上前の「ローマ帝国」である。
ローマ帝国は、その領土を飛躍的に拡大し、帝国の拡大に伴ってローマから領土へと至る道、「ローマ街道」を整備した。
「すべての道はローマに通ず」である。
このローマ街道を疾走したのが、映画「ベンハー」*1でお馴染みの〈二頭立て二輪戦車〉で、その夥しい数の行軍が深い轍を刻んだ。 ※1競技場のシーンは4頭立て
周辺国は、領土支配から解放された後も、この轍の幅に合わせて馬車を作り続ける他なかった。
ヨーロッパの歴史は、互いの侵略の歴史であるが、一度侵略され領土となってしまうと、この轍のように、消えない刻印がどこかに残される。
スペイン・アンダルシアの「アルハンブラ宮殿」のように、美しいものばかりなら良いのだが、そうではないものが多い。
ローマの馬車の車輪幅は、二頭立ての馬と馬の尻の中心線を結んだ長さ、といわれている。
この馬と馬の尻の中心線の長さ1435mmが、十数世紀を経てイギリスの産業革命に影響し、鉄道のレール幅が決まった。
当然、車両のサイズも、このレール幅に影響を受ける。
こと鉄道交通に関して「ローマ帝国」は、まだ生き続けており、日本の新幹線のサイズも、ローマ帝国の馬のケツが基準となっているのである。
ポンペイ
これを身をもって確かめる方法がないかと、常々考えてたところ、運良くポンペイを取材する機会を得た。
ご存知のように、南イタリア、ナポリ郊外にあるこの世界遺産は、ベスヴィオ火山の噴火の際の火砕流と火山灰によって、2000年前の姿がそのまま真空パックされて残された街である。
この世界遺産の興味深いところは、立派な建造物や遺物だけでなく、市井の人々の暮らしぶりが、そのままパッケージされていることにある。
2000年前の売春宿やパン屋、洗濯屋、外科医の家は、こんなものがすでに2000年前に存在していたのかという驚きを我々に与え、街中に残された落書きには、当時の普通の人々の暮らしぶりがうかがわれて、興味は尽きない。
ポンペイがパッケージされた西暦79年は、ローマ帝国ティトゥス皇帝の時代に当たり、まさにローマ帝国が最盛期を迎える目前の時期である。
当然、馬車は往来し轍が残るどころか、横断歩道まである。
私は1435mmの長さの紐を日本から持参し、ポンペイ遺産の横断歩道の上に立って轍に紐を当ててみた。
そして、それは当然のごとくピタリとあった。
その瞬間、2000年前の轍のレールの上から、新幹線が発車する様を思い浮かべることができたのである。
馬の尻の規格が宙をゆく
これには後日談があり、NASAのスペースシャトルにもこのレール幅が影響したという。
スペースシャトルに装着する燃料タンクは、ユタ州で作られて鉄道でフロリダ州のケネディ宇宙センターに運ばれてくる。
鉄道輸送の間には、当然トンネルがある。
タンクはトンネルを通れるサイズで作られ、トンネルは列車が通れるサイズで、列車の車両サイズは、レール幅に合わせて作られている。
つまり、ローマ帝国の戦車の車輪幅が鉄道のレール幅を決め、そのレール幅が、列車、トンネル、果てはスペースシャトルの燃料タンクのサイズの規格を決定している。
最新技術も過去からは逃れられない。
馬のケツの規格サイズが、宇宙を行く。
※なお、日本のレール幅は、新幹線の1435mmではなく、1067mmが一番普及している。これはイギリスが、鉄道を植民地で展開する際に使用した幅で、日本が技術をイギリスから導入した際に、この規格が用いられたためである_うーん植民地サイズかー