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平成三十年 立春

2018年2月4日

〝はづかしき人〟と恥ずかしい人

はづかしき人_杉原千畝

 

リトアニア、命のビザ

古語に〈はづかしき人〉というのがある。

「その人を前にすると、立派すぎてこちらが、気恥づかしくなる人」という意味で

『枕草子/106段/言ひにくきもの』に「はづかしき人の、物などおこせたる返事」
[現代語訳/こちらが恥ずかしくなるほど身分の高い立派な人が、物などを送って下さった時のこちらの返事]とある。

我々がよく使う「その人の行いを見ていると、こちらが恥ずかしい思いをする下衆な人」の〈恥ずかしい人〉とは真逆の意味である。

世に〈はづかしき人〉は、ごく稀であるが、

第二次世界大戦下のリトアニア領事代理「杉原千畝/すぎはら・ちうね(1900−1986)」は、その人であろう。

本年平成30年1月14日、安倍首相がリトアニア訪問の際に、カナウスの杉原千畝記念館を訪れたことがニュース等で伝えられたため、記憶に新しい人も多いかもしれない。

杉原千畝は、ナチス・ドイツがポーランドを占領した際に、その迫害から逃れてリトアニアに来たユダヤ人に、日本本国・外務省の命令に違反して、独自の判断で日本国通過の査証を発給した人である。

千畝が、一ヶ月間ほとんど不眠不休で発給した通過ビザは2,000余に上り、それは6,000名以上のユダヤ人の命を救ったとされている。

ビザは「命のビザ」と呼ばれ。

千畝は同じくユダヤ人労働者1,200名を救ったチェコの実業家「オスカー・シンドラー(ステイーブン・スピルバーグ監督作品『シンドラーのリスト』のモデル)」に倣い「日本のシンドラー」と称される。


杉原千畝の不幸は、母国日本に帰国したのち、命令に背いてビザを発給したことで外務省での居場所を追われ、半ば強制的に退官させられたことである。

千畝の「命のビザ」を受けて生き延びたイスラエルのバルハティック宗教大臣の尽力で、1969年イスラエル国家から勲章が授与されるまで、杉原千畝は忘れられた存在であり、日本国・外務省内では、長きに渡り〈訓令違反を犯した不届者〉という扱いであった。

杉原千畝を支えた妻の幸子さんは2008年に93歳でお亡くなりになったが、2002年取材でお話を伺う機会があった。

「主人と私にとって、リトアニアのことは辛いことでしかなくなり、早く忘れたい出来事となりました。外務省を追われてから以降は、二人ともリトアニアでの出来事は決して話さなくなりました」と、外務省退省以降を回顧されていたが、
「こんなことをする人は他にいないだろうね。でもビザを出してあげないと、神様に背くような気がするね」という、ビザ発給を決意した時の千畝の言葉どおり、悔いはないと話された。

恥ずかしい輩

これに比べ〈恥ずかしい人〉のなんと多いことよ。

つい最近も、大いに恥ずかしい輩がいた。

「成人の日」を辛いニュースで染めた「ハレノヒ」代表〝某〟(名前を書くのも腹立たしい)である。

成人式に、あるべき「晴れ着」がなく、泣いた娘さんのなんと多いことか。

会社を潰すにせよ、夜逃げを決め込むにせよ、人として守るべき最低限のルールがある。

会社を潰され、夜逃げをされれば、多くの取引先は多大な被害と迷惑をうけるが、業者間であれば商売上のリスクとして覚悟せぬこともない。

しかし、それによって泣かせてはならぬ相手が、あろうというものだ。

「成人式」という一年の僅か一日の〝晴れの日〟を商いとして生計を立ててきたものが、その日に夜逃げをしたら、生涯において己を殺したも同然であり、万死に値する。

当日の早朝、この事態を仲間から連絡を受けた知人の着付けの先生は、娘さんの振袖をもって駆けつけ、ボランティアで着付けをしたと聞いた。

これは、立派な〈はづかしき行為〉であろう。

これに比べ、この事態に全くの無力である自分を、恥じるばかりである。

成人を迎えたばかりの若人が、〈恥ずかしい人〉から受けた難を雪ぐのは、我々大人の先輩が、今回のような〈恥ずかしい行為〉を犯さぬ覚悟と姿を若人に示すほかない。

編緝子_秋山徹