平成三十年 清明
ポンペイ・エロチカ

性の遺物、愛とエロスの落書き
またまた、ポンペイPompeiのお話
清明/万物が清く明るいという時候に、エロス関連のお話で申し訳ないが、生命の源の話としてお付き合いいただきたい。
性の遺物
二千年前のポンペイは、かつての日本と同じように、性に対して、さしたる禁忌もなくたいへん大らかであったようである。
日本の民間信仰にみられる道祖神のように、自然崇拝やアニミズム信仰から、豊饒の象徴として、男根を型どったものや性行為の画が祀られているものが、ここポンペイにも多くみられる。
次のようなものが、商店の入り口や店舗の壁の絵、富裕層の住宅のファサードのモザイクであったり、壁龕(へきがん/彫刻などを飾るため壁などに作られたくぼみ)に設置されていたり、壺の側面に描かれていたりする。
ファルス(男根)の重さを量るピリアポス神/ウェッティVetti家入り口西側の壁
ファルス(男根)型のチャーム(飾り)/ナポリ国立考古学博物館
これらは豊かさの象徴として、商売繁盛や豊作を願う荘園主や商売人が、崇拝および祈願の対象物や偶像として、男根なり性行為を型取り、描いたものである。(浮き彫りに関しては少し怪しいが..)
主題は性行為や男根ではあるが、性本能や性的な愛といったエロチックなものを表現しているのではない。
しかし、至極真剣に作られているかというと、そういうわけでもなくユーモアと悪戯心も大いにみてとれる。ストレートな表現のみで終わらずに、どこかに抜けた部分や遊び心を入れる、それがまた、ポンペイの文化度の高さを示しているようである。
愛とエロスの落書き
ポンペイ遺産の面白いところは、高貴な人間だけではなく、庶民、一般市民の生活や声・語らいが直接的に残っていることにあると前述した。
では、音なき声・語らいの跡形とは何か、それは落書きである。
ポンペイに遺された落書きは約一万点に上り、すべてナンバリングされて記録されている。
落書きとされる中には、公職選挙に関するポスター塗書(絵具等で描かれたもの)も含まれ、ポスターは、街中の建物の外壁などに2800点が記録されている、また選挙に関連して候補者への推薦文も多くみられる。
推薦文は「〇〇組合は、〇〇〇〇を推薦する」といったお定まりのものが主だが、中には、こんな愉快なものもある。
「ウァティアを造営委員として〝コソ泥仲間〟は推薦する」
造営委員とは、建物や道路の管理〈治安警察〉を担当する役職で、これは〝コソ泥〟が〝警察署長〟候補を推薦するという、いわば、嫌がらせ・誉め殺しの類である。
何度もしつこいが、これは二千年前の話なのである。
「何も永遠に続くことはない。今、高く輝く太陽が、すぐに海の抱擁の中に沈んでいく。そして月は鎌になり。また少しすれば満月になる。おこっているような風も、軽いそよ風に変わるものだ。」
「我々は愛しているのか? 我々は嫉妬しあっているのか?」_深い、哲学的
「愛はすべてに勝つ、我々は愛に服従する」_箴言(しんげん)だ
「ウェヌスだけが人間の本性の舵を取るのだから」_悩める君
「乙女よ、君は美しい!君は君でしかない。その君に挨拶を。チャオ」_愛するものは賛辞を惜しまない
「ここで、ダフニクムは微笑みを交わしあう」_あの日この場所で
民衆の英雄・剣闘士
「トラキア闘士のケラドゥスは乙女たちのため息」_女性たちの憧れ
剣闘士の宿舎からは、豪華な装身具から身分の高い女性と思われる女性と剣闘士の一対が、ベッドの上で発掘されている。
いつの世も、有閑マダムの火遊びは尽きぬということか。
身もふたもないエロス
「サビナ、君は吸う。でもうまくできない」_ホップ
「ミルティス、君は上手に吸う」_ステップ
「ルファ、君は吸えば吸うほど上手になるね」_ジャンプ
もちろん同じ場所に書かれたものではない。
もっと具体的かつ下品で、ここに書くのすら憚れるものも多い。
「ウィルゴラから、彼女のテルツィオに、へたくそ」_実名で二千年後まで暴露されても
カエサルの「来た、見た、勝った」のパロディー「来た、やった、帰った」_おみごと
「ニンファとやった。アモムスとやった。ペレンネとやった」_今も昔も数自慢は嫌われますよ
「乙女よ、多くのものが君を愛する。アニケトゥスは陰茎で君を愛する」_現代にもありがちな凡庸な一文
ひとりの愛「日中に手の指を閉じる君」_悲しい
「毛がなくて、つるつるであるよりも、巻き毛に覆われた性器の方がやりやすい、側から熱を与えてくれるし、満足しているのが分かりやすい」_人それぞれ嗜好があります
売春
売春に関する落書きも多い
ポンペイでは、9の娼婦の部屋、十九の売春宿、住居に付随した売春宿三十五が確認されている。
サービス料金「ギリシャ人エウテュキス、優雅なやり方で、値段は二アス」_高いのか安いのか
性癖
「本当に、褐色の肌は危険極まりない。私は彼女を見ると、すぐに黒い肌の少女すべてを好きになってしまった」_性的嗜好
倒錯者
売春宿には、ロリータ嗜好や男色家たちのために、少年・少女たちがいた
ロリータ
「もしこの街で幼い者との成功を望むのなら、全ての少女たちが相手をしてくれることを知るだろう」_ソドム(悪徳)その1
男色・少年愛
「ここでルフスがソドムをした。かわいい。失望して子供を愛するようになった。女はもういらない」_ソドム(悪徳)その2
『善悪の彼岸』で「人がおのれをたやすく神と思い込まずにいるのは、下腹部のゆえである」と言ったのはニーチェであるが、エロスとは、人が人である証でもある。
それは、動物が行なう単純な〝種の保全〟という行為ではなく、性に〝愛〟〝エロス〟という感情を持ち込み、思い悩み、悶え苦しむ、人間ゆえの多面性の一つである。
本来、宗教というのは、精神的な葛藤や苦痛から解放され、喜びに満ちた生活を送るための人生哲学である。
人は〈悟り〉を開くために出家をしたりするが、どの宗教においても、異性との関わりを戒めるものが多い。
例えば、上座仏教では227の戒律があるが、この中で一番多いものが不邪淫戒(女戒)に関するもので、仏陀は、とにかく異性との関係が修行の一番の妨げになると考え、これを厳しく禁じた。
宗教が最も警戒するほど、人を惑わす強い力を持つものが、人の〝性(さが)〟〝情愛〟〝エロス〟というものであろう。
二千年前のポンペイは、衣食住のみに生きるための、単なる集合体を超えて文明・文化が存在する社会を形成していた。
社会は、多様性に富んだ悩みを生み、人を苦しめ惑わせる。
人の悩みもまた、二千年前から全く変わっていない。
ポンペイに遺された人々の中でも胸を打つのは、町の正門で鎧をまとい直立不動の姿勢のまま火山灰に埋もれたローマ兵の姿である。
彼は、門番兵としての矜持を胸に勇敢に死を迎えた、しかし、彼にもまた倒錯した性癖がなかったとは、言えないのである。