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平成三十年 小満

2018年5月21日

ゲージツは感動だ

汪蕪生〈Wang Whusheng・ワンウーシェン/1945-2018〉

訃報

敬愛する芸術写真家「汪蕪生」兄が四月九日に〝胆管がん〟で亡くなった。

72歳であった。

常に健康に気を遣い、酒やタバコといった体に悪いことは一切遣らなかった人だが、芸術家特有の繊細な神経が疲弊しきったのと、制作における若い頃からの身体的な無理が重なったのではないかと、私は思っている。

クラシックが好きで、特にヨーヨーマのチェロと、パバロッティ、ドミンゴ、カレーラスの三大テノールのアーリアは大のお気に入りで、作業中の部屋に常に鳴り響いていた。

汪蕪生は、魂で話す人だった。

腹の底から怒り、笑い、そして悲しんだ。作品の制作に対する思いは強く、頑固でブレることはなかったが、人との関わり合いには悩み、脆く傷つきやすかった。

その証拠に、小さい頃「お前は命を削りながら話すところがあるから、人を選んで話をするようにしなさい。そうしないと、お前の身がもたないよ」と、お父さんに言われたそうである。

そしてまた直感で動く人だった。

自分に感ずるところがあれば、昨日と真逆のことを平気で言ったり行なったりした。
そして、彼の作品もまた見る人の直感に訴えかけるものだった。

「美しいもの」を見る者にストレートに投げかける。

自分の作品を前に人が何を感じてくれるか、それが全てであった。

そのために作品には、手間と暇と労力を惜しみなく降り注いだ。

芸術それは感動

頭でっかちの芸術ではなく、見る人に感動を与える芸術を志したい。

汪さんは常々「芸術に難しい理屈は必要ありません、見る人が感動するかどうか、それが全てです。人それぞれに感動の仕方は違います。違っていて良いのです。芸術家は感動となる元を提供することが仕事なのです」と言っていた。

汪さんの作品は、そのほとんどがモノクロームで35mmフィルムで撮影されているが、作品自体のサイズは、大きいもので縦1m42cm、幅2m13cmのものもある。

当然1点1点現像&紙焼きは自分の手で行なわれ、通常真下に向けて使う引き伸ばし機(投影機)を、90°の角度で壁に向けて使用する。

暗室とはいえ、引き伸ばし機と壁までには距離があるため、細かいホコリまで写ってしまうのだが、それを細かい筆でひとつひとつ手作業で修正するため、1点に一年以上を要することもある。

汪さんにとって、撮影そのものはスケッチもしくは素描であり、暗室こそが真の制作の場となっていた。

「通常写真といえば、撮った時点である程度完成と考えられがちですが、全く同じネガであっても、暗室作業の焼き方で全く違う作品となります」

画家が絵筆をとるのと同じように、暗室では様々な構図やいく通りもの焼き方を試して、部分的に色調整をかけながら作品を完成させた。

長いものでは、暗室作業だけで2年間かかった作品もある。

黄山 峨々(がが)たる山嶺 巍々(ぎぎ)たる雲山

黄山神韻

幻の皇帝「黄帝」が不老不死の薬を作ったという伝説から「黄山」と名付けられた山は、中国安徽省にあり、汪さんは故郷のこの山を作品の題材とした。

黄山は中国の古い詩に
「五岳より帰りて山を見ず、黄山より帰りて岳を見ず」
五岳〈泰山、嵩山(すうざん)、灊山(せんざん)、華山、恒山〉から帰ったものに普通の山はもう目に入らない、しかして、黄山から帰った者には、その五岳さえ目に入らない。
と詠われる霊峰である。

中国山水画の5割が「黄山」を、3割が「桂林」を描いたものと云われている。

そんな霊峰黄山を題材とした汪さんのモノクローム作品は、「心象風景」「心象写真」「黒白魂」「天人合一」というフレーズとともに評価される。

特に「天人合一/人は自然の中に置かれ、両者が強調し合って始めて発展と生存をすることができる」は、汪さんの作品と対峙した時に抱く感覚そのものである。

1981年から制作活動の場を日本に移した汪さんのファンは多い。

池田満寿夫(版画・陶芸家/故人)「驚くべき風景写真です。山水画かと見間違うほどでした。いや、これは疑いもなく、写真です。山水画を写真で凌駕した傑作です」

森本哲郎(評論家/故人)「まさしくフィルムに焼き付けた山水図である。汪氏の作品には、まさしく気韻が生動し、山水と撮影者との〈気〉が見事に溶け合っている」
気韻生動(きいんせいどう)/絵画や書から漂う精神的生命や品格、気品

特に日本画壇の巨匠〝東山魁夷〟は、汪さんをよく可愛がった。
「私は再び眼前に神韻を帯びた黄山の光景が次々に浮かび上がるのを感じた。白黒のフィルムによる撮影に、中国古来の水墨画の持つ深い味わいに通じるものが表れている/東山魁夷」
神韻(しんいん)/芸術作品などの人間の作ったものとは思われないようなすぐれた趣き

汪さんは「絵は人なり、書は人なり、写真も人なり、と東山魁夷先生から教わった」と言っていた。

東山魁夷没後の2005年には、国連本部で「東山魁夷・汪蕪生二人展」が開催されている。

そんな汪さんが大事にしていたのは、1996年ウィーン美術史博物館で開催された個展「天上の山々」来館者用の感想ノートに書かれた生の言葉だった。

「わたしは今日、学校へ行きたくなかったのでここに来ただけだった。そうしたらここは、本当に素晴らしいところだった。全部が私に影響を与えた。ほんものの写真がここにはぐるりと展示されている。わたしは一人の人間としてここにいて、歩いて観て廻る。ここには永遠がある」

どんな美術評論家の賛辞よりも、一般の人々が彼の作品を見て感動を受けたという言葉をとても喜んでいた。

それはとても汪さんらしかった。

どうしたら魂が貧しくならないか、それは毎日を心豊かに暮らすことです。
美しいものを見て感動し、その喜びを味わい魂に刻み込んでいくことです。_汪蕪生

編緝子_秋山徹