平成三十年 秋分
トニー・ベネット前編
我が憧れの隠居
Anthony Dominick Benedetto
御歳92歳のトニー・ベネットが9月14日にニュー・アルバム『LOVE IS HERE TO STAY 』をリリースした。
生誕120周年を迎えた〈ジョージ・ガーシュウィン〉の名曲を、現代のジャズ・ボーカル女王〈ダイアナ・クラール〉とデュエットした作品集である。
トニーベネット−本名アンソニー・ドミニク・ベネデット(Anthony Dominick Benedetto)は、1926年8月3日にイタリア移民の子として生まれた。
幼くして父親が亡くなったため、母親が女手一つで三人の子供たちを育て上げた。
ニューヨークのクイーンズで育った若きトニーは、対岸のマンハッタンを憧れの眼差しで見つめていた。
やがて、マンハッタンに渡る前の18歳の時に召集に応じ、欧州戦線に送られて戦争というものを体験する。
この時の悲惨な体験が彼を生涯平和主義者とした。
彼の歌手としてのメジャーデビューは、24歳の1950年4月17日の「ブルーバード・オブ・ブロークン・ドリームズ」録音から始まる。
以来100枚以上のアルバムをリリースし、全世界で5000万枚以上を売上げ、グラミー賞の受賞は13度を数え、名実ともに「キング・オブ・ジャズ・ヴォーカル」となった。
先輩で盟友のフランク・シナトラをして〝For my money, Tony Bennett is the best singer in the business.〟 と言わしめた。
「おれが金を払ってでも聞きたい歌手はトニー・ベネットだけだ」は誤訳だそうだが、「おれの考えでは、トニー・ベネットは音楽業界最高の歌手だ」という正しい訳よりも、誤訳の方がしっくりくる。
かつて画家のアンディ・ウォーホールは、彼のドキュメンタリー番組の中で現代社会にまだ〝粋〟はあるかと聞かれ、あると答えてトニーベネットと一緒の写真を出して〝トニーベネットがそうだ〟と言ったという。
トニー・ベネットは、現代のアメリカ・ショービジネス界における〝生ける伝説的存在〟である。
隠居の本懐
トニーベネットを〝隠居〟と呼ぶのは憚れるかもしれないが、われら『麻布御簞笥町倶樂部』の定義する〝次世代に己の技術や知識を伝える隠居〟として、トニーは最高のお手本となる存在である。
その証としてトニー・ベネットは、ここ20年余りの間に記念碑的なデュエット・アルバム(下記参照)をほぼ5年ごとにリリースしている。
『ウィズ・マイ・フレンズ』/2001年 生誕75周年
参加ミュージシャン−ダイアナ・クラール、スティービー・ワンダー、B.B.キング、レイ・チャールズ、ボニー・レイット、ビリー・ジョエル、ナタリー・コール、KDラング、シェリル・クロウ他−11名
『デュエッツ:アメリカン・クラシック』/2006年 生誕80周年
参加ミュージシャン−ポール・マッカートニー、バーブラ・ストライサンド、ジェイムス・テイラー、ジョージ・マイケル、スティング、エルヴィス・コステロ、ボノ(U2)、ジョン・レジェンド他−20名
『デュエッツⅡ』/2011年 生誕85周年 〈年齢〉
参加ミュージシャン〈年齢順〉−ジャッキー・エバンコ〈11〉、レディ・ガガ〈25〉、エイミー・ワインハウス〈28〉、キャリー・アンダーウッド〈28〉、ジョシュ・タローハン〈30〉、ノラ・ジョーンズ〈32〉、ジョン・メイヤー〈34〉マイケル・ブーブレ〈36〉、クイーン・ラティファ〈41〉、マライア・キャリー〈44〉、フェイス・ヒル〈44〉アレハンドロ・サンス〈48〉、シェリル・クロウ〈49〉、KDラング〈50〉、アンドレア・ボッチェリ〈53〉、ナタリー・コール〈60〉、アレサ・フランクリン〈69〉、ウィリー・ネルソン〈73〉−19名
アルバムの収録ナンバー自体はスタンダードな曲ではあるが、75歳・80歳・85歳・92歳で現役のトップ・ミュージシャンとのデュエットを新規録音するエンタテナーを、私は他に知らない。
日本はもちろんのこと、ショービジネス本場のアメリカにおいても稀有なことである。
『デュエッツⅡ』収録時、73歳とトニーとそんなに歳の差のないカントリー・ミュージック界の重鎮ウイリー・ネルソンの言葉が振るっている〝今回のように、素晴らしいジャズバンドと共演すると、僕ももっと技術を磨かなきゃと思うんだ〟
以下は収録に参加したビックネームの感想である。
ビリー・ジョエル
〝トニーは彼自身が楽器さ。トニーはプレーヤーのように歌う。彼は すべての音を正確に再現できる。彼は「楽器」の使い方を心得てる〟
エルトン・ジョン
〝彼の音楽には限界がない。世界一のアーティストだ。この年にしてすばらしい声を持ってる。80歳なんて信じられないよ〟
ポール・マッカートニー
〝トニーと共演できたことは僕にとっての名誉だ。しかも この〈アビーロード〉スタジオでね。僕が初めて ここに来たのは20歳か22歳の時だった。そこのドアから入ったんだ。その日以来 ここでアルバムを作ってきた。ここに来るといつでもワクワクする。トニーとなら なおさらだ〟
オペラ・テノール歌手アンドレア・ボッチェリ
〝彼は僕にとって伝説的な存在だ。世界随一のアーティストと歌えるなんて嬉しいね〟
デュエッツⅡ
特筆すべきは、このアルバムでデュエットしたミュージシャンのラインナップである。
トニーベネットのアルバム収録方法は、スタジオでバンドが生演奏をする中で、実際にトニーと参加ミュージシャンがデュエットをしながら録音するという手法で、限りなくライブ録音に近い。
昔ながらの収録のこの方法は、リスナーが臨場感を味わうことができるとともに、参加者ミュージシャンは直接トニー・ベネットの技術を身を以て体験することができる。
その証拠に、アルバム・プロデユーサーの〈フィル・ラーモン〉は語っている。
〝トニーは説教などしていないのに、相手は必ず何か学んでいる。1分歌っただけでショービジネスを学習できるんだ〟
このデュエットアルバムのシリーズは、様々なケミストリーを起こした。
『ウィズ・マイ・フレンズ』『デュエッツ:アメリカン・クラシック』に参加した〈ダイアナ・クラール〉は2000年にツアーを一緒にまわり、最初に紹介したとおりこの9月14日に92歳のトニーとアルバム『LOVE IS HERE TO STAY 』をリリースした。
『デュエッツ:アメリカン・クラシック』『デュエッツⅡ』参加の〈KDラング〉は『Wnderful World』というアルバムをトニーとリリースしている。
『デュエッツⅡ』に参加した当時25歳という孫世代の〈レディ・ガガ〉もまたトニーとアルバム『Cheek to Cheek』をリリースし、ツアーを一緒にまわった。
その後のグラミー賞授賞式ではライブでデュエットも披露し、歳の差60歳のデュエット・カップルと紹介された。
『デュエッツⅡ』で最も印象的なナンバーは、このレコーディング直後にクスリの過剰摂取により亡くなった〈エイミー・ワインハウス〉との『Body & Soul』だろう。
レコーディングの模様を映した映像には、緊張するエイミーにトニーがダイナ・ワシントンの「彼女がフレーズを意識した歌唱で曲に独特の世界観を作り出していた」という逸話などを聞かせてリラックスさせる場面がある。
この時トニーはエイミーに、ダイナ・ワシントンがクスリのためにあたら若い命と才能を奪われたことを示し、暗にエイミーにクスリをやめるよう警告している。
しかし、トニーの願いも虚しく、27歳のエイミー・ワインハウスはアルバム発売前にこの世を去ってしまった。
訃報に接しトニーは『悲劇以外の何物でもない、天使のような子だった』と呟く。
隠居の含蓄ある言葉もタイミングを逃せば、若者によっては遅すぎる場合があるのだ。
トニーは翌年、『デュエッツⅡ』のグラミー賞授賞式の舞台に、エイミーの両親とともに壇上に上がり、この賞をエイミーに捧げると追悼スピーチした。
『Body & Soul』は世界で最もレコーディングされているジャズ・ナンバーであるが、このアルバムに収められたエイミーワインハウスとトニーの一曲は、エイミーの才能と独自の世界観が溢れる唯一無二の仕上がりとなっている。