1. HOME
  2. 24節気に想ふ
  3. 平成三十年 春分

平成三十年 春分

2018年3月21日

無いものは、なんですか?

完全にパッケージされた街

「啓蟄」の頁から、ポンペイPompeiのお話の続き
2000年前のポンペイにあったもの、無かったもの

ポンペイ、ヴェスヴィオの灰に埋れる

南イタリア、ナポリ郊外のポンペイは、西暦79年8月24日
ヴェスヴィオ火山の噴火とともに、街ごとこの世から覆い隠された。

噴火とともに、ゆっくりと、しかし確実に、ポンペイの街全体に降り注いだ火山灰は、街中の建物を、人々を、そして生活の営みの全てをも包み込み、見事に保存してみせた。

17世紀後の1708年、この地の「チヴィタ〈街〉」という地名の由来などつゆ知らぬひとりの農夫が、井戸を掘り始めたところ、地中から美しい大理石の柱が突如現れて、ポンペイの街は再びこの地上にその姿を現すこととなる。

発掘が進んだポンペイを訪れたゲーテは、「はっきりとイメージしたければ、さしずめ雪に埋もれた山間の村を思い浮かべれば良い。建物と建物の隙間、さらには押し潰された建物自体も灰に埋もれた」と『イタリア紀行』に記している。

ポンペイの遺跡の特殊性は、他の世界遺産のように、後世に遺されるべくして遺された建築物や美術品、装飾品といったものも当然あるが、他の世界遺産にない「人の姿」や「一般市民の住居」「あらゆる種類の店舗」「職人の道具」「娯楽施設」「家計簿」「膨大な落書き」などが奇跡的に遺されたことにある。

「人の姿」は、火山灰が覆うことで人の姿をそのまま維持した空洞に石膏を入れることで復元され、その人が身につけていた装飾品によって、富裕層か庶民かの区別もつけることができた。

「住居及び店舗」は、一般家庭の建物内に残された調度品や、パン屋の石臼や石窯などの器具、居酒屋ではバーカウンターやワイン壺などで区別判明できた。確認されている店舗では、総菜屋、洗濯屋、金物屋、宝飾店があり、中でもパン屋35軒、ケーキ屋12軒に加え、居酒屋120件を含む飲食店は200軒以上に上る。

「職人の道具」も多数遺されていて、道具などから農民、織物工、染色工、金細工士、鍛冶屋、両替商、薬剤師などの存在とともに、針、鏡、メス、ピンセット、ハサミなどの豊富な医療器具の種類から、なんと外科医が存在していたことが確認されている_驚くべきは、これらがおよそ2000年前の西暦79年の事実であることだ。

現在、ポンペイの発掘品は、ナポリの国立考古学博物館に展示されている。

また、裕福な資産家の住居に描かれている絵画(下図/ウエッティ家のフレスコ画)なども職人の存在を裏付けている。

果樹園農夫と加工業者か?

洗濯屋と酒屋

葡萄園とワイン醸造

薬剤師

「娯楽施設」は、最大のものは二万人を収容できる円形闘技場があり、他に5,000人収容の大劇場と1,600人収容の音楽堂(小劇場)が遺されている。

また、日常のものとして脱衣所や温浴室・熱浴室(サウナ)の設備で公衆浴場と知れたり、また、街に数カ所あった娼館(売春窟)には、細かく区切られた小部屋とベッドが備え付けてあり、各小部屋の入口の上には、その部屋の娼婦がどういうサービスをするかが描かれていた。(ポンペイは海洋交易の盛んな街だったため、言葉の通じない外国人客も多く、そのため客が選びやすいように、サービス内容を掲示していたと考えられている_ごもっとも)

出土した2000年前の「家計簿」は本当に興味深い。当時は紙ではなく、石版に蝋を塗った上から鉄筆で記録をしていたおかげで、〈家族三人に奴隷一人〉というポンペイでは一般的な家族の9日間分の家計簿が焼けずに残っていた。

これからポンペイの物価は、他の都市に比べて非常に安かったと推測されている。

遺された「落書き」の数は1万点以上に及んでおり、絵具等で描かれた〝塗書〟と、壁などに刻まれたものの2種類に区別され、〝塗書〟には選挙ポスターが多く、空き家の賃貸物件の紹介なんていうものもあるという。落書きについては、次回更新「清明」に譲る。

現在考えられている一般的なポンペイ市民の暮らしぶりは、上下水道の完備された住居に住み、食事は外食が主で生活費は安く、仕事は午前中に終え、午後は余暇に当てられた。

ある者は、体育場〈パレストラ〉と呼ばれる今日でいうスポーツクラブで汗を流してから、またある者は、街に三つある公衆浴場に直接向かう。公衆浴場には入浴係がいて、体の不自由な人の補助をしたり、入浴後にはマッサージや脱毛、香水のサービスを施してくれる。

時に、大劇場や音楽堂(小劇場)で開催される悲喜劇や演奏や詩の朗読を鑑賞する。また、待ち遠しいのは円形闘技場で開催される〈剣闘士の戦い〉の観戦で、熱狂のあまり他の街の市民との乱闘騒ぎまで起こすこともある。今日のアイドルやアニメヒーローのように、剣闘士は女性や子供からの人気も絶大である。

このように、ポンペイ遺産に興味が尽きないのは、まさに〝建物と建物の隙間〟に遺された、知り得ることのなかった2000年前の〈市井の人々〉の営みが垣間見えることにある。

これほど人間臭い世界遺産は他にないだろう。

どれだけ人間臭いかは、120軒ある居酒屋に、思わず我々親爺が頭を抱えたくなるくらい色濃く遺る。居酒屋の大理石のカウンターにはワインの入った壺が埋め込まれていて、惣菜が並びテーブルの用意もある。

その奥には博打場があり、主にサイコロ博打や闘鶏が行われたいた。博打に勝った者のために、博打場のさらに奥には娼婦がいた。

居酒屋でまさに親爺の悪行〈呑む・打つ・買う〉が完結できてしまう_実に羨ましい。

そして極めつけは、この博打場からは重心をずらした〝イカサマ用のサイコロ〟がいくつも出土していることだ_あー2000年前の親爺たちよ!_あっぱれ

ナポリ国立考古学博物館に展示されている〈いかさまサイコロ〉

つらつらとポンペイ案内をしたが、人が人として生きていくにおいて、必要なものも不必要なものも、道徳的なものも非道徳なものも、高貴なものも下賤なものも、美しいものも醜悪なものも、全てが2000年前には存在していたことをポンペイは教えてくれる。

ここにない物は何か、それは〈たかだか電化製品かコンピュータ〉くらいのものである。この〈たかだか〉で我々の生活は豊かになったか。2000年前の人の営みとなんら変わったところはない。いや、むしろポンペイの人々の方が豊かに思えてしまう。

進歩がなかったとは言わない。

ただ、足りないものを探し嘆くのではなく、足りているものを知り、今を生きることが大切だとポンペイは教えている。何故ならば、こんなにも豊かで平和であった街も、ヴェスヴィオの噴火の一瞬で失われてしまったのだから。

編緝子_秋山徹