1. HOME
  2. 24節気に想ふ
  3. 平成三十年 大暑

平成三十年 大暑

2018年7月23日

古き良きセリエA

代理戦争イタリアン・カルチョ

FIFAワールドカップ

今回は、親爺たちには懐かしい二十年ほど前の、イタリアン・サッカー全盛期のセリエAのお話である。

2018FIFAワールドカップ・ロシア大会は、7月16日フランスがクロアチアを4対2で下し、1998年フランス大会以来2回目の優勝を果たして、その幕を閉じた。

喧しく語られているロシア大会の内容はさておき、今回の大会にはオランダとイタリアというふたつのサッカー大国が予選落ちでW杯自体に参加できなかったことが、大いに寂しかった。

オランダ

オランダは1988年大会にリヌス・ミケルス監督がヨハン・クライフを擁し「トータル・フットボール」を披瀝して世界中に衝撃を与えた。

それまでの、各々の選手が自分の持ち場に専念する〝ポジション・サッカー〟から、全員で守り、全員で攻撃するという〝トータル・サッカー〟は、サッカーの進化系ともいって良いものだが、日本代表監督も務めたイビチャ・オシムが「理想として追い求めるものだが、不可能に近い」と言ったように、1988年のオランダ以上に体現したチームはいない。

いまだワールドカップでの優勝はないものの、オランダは現代サッカーに大きな影響をもたらし、優秀な選手を輩出してきた。

ナポリとマラドーナ

さて、われらがイタリアのワールドカップにおける通算成績は、優勝4回・準優勝2回を誇り、ブラジル(優勝5回準優勝2回)、ドイツ(優勝4回・準優勝4回)についで三番目となる好成績を上げている。

今回のロシア大会に、そのイタリアが出場できず、イタリア人は大いに落胆しているだろうと思われるだろうが、我々が思う以上に、イタリア人の落胆はひどくない。

もちろん、出場したことに越したことはなく。
イタリア代表、通称アズーリ(チームカラーの〝青/Azzurri〟から)の試合となればイタリア人は熱狂する。

そして、もしイタリアが敗退しても、ひいきの国の応援をする。

ひいきの国の多くは、自分たちの街のチームに所属する選手が代表として出場している国である。

イタリアは共和国として統一されてから約160年と、とても日が浅い。

それまでは、ローマ・ミラノ・ヴェネツィア・ナポリ・フィレンツェといった20以上の大都市国家と100以上の小都市が長きにわたり、互いに侵略しあい、戦いながらしのぎを削ってきた。

現在、その大都市・小都市には必ずサッカーチームがあり、市民は強い愛着を持っている。

プロ・トップリーグのセリエAであろうが、セリエBやセリエC、もしくはそれ以下の下部リーグであろうが、都市のサッカーチーム同士の試合は、都市対抗〝戦〟の要素が想像以上に色濃い。

我がチームの試合に市民は長い諍いの歴史を思い起こし、サッカーというゲームに姿を変えた中世の都市間の戦いが目の前で再現され、これに熱狂する。

ここイタリアでカルチョと呼ばれるサッカーは、紛うことなき代理戦争であり、愛国心(ナショナルチーム)よりも郷土愛(おらがチーム)がはるかに勝っている。

それが証拠に、1990年イタリア大会では、準決勝でナポリ所属の〈ディエゴ・マラドーナ〉率いるアルゼンチンとイタリアが対戦したが、ナポリではアルゼンチンを応援する市民が多かったと聞く。

1990年代後半、初めてナポリに取材に行った際、ナポリはセリエBに降格していたが、街のあちこちの建物の壁龕(へきがん)に設えられた聖壇には、キリスト像やマリア像とともに、必ずといって良いほどマラドーナの写真が祀られていた。

マラドーナは、選手生命のピークの7シーズン(1984-1991/188試合・81得点)をナポリで過ごした。

これは信用できる人が実際に見たことの伝え聞きなので、私は信じているのだが、ユベントスのホーム、トリノでナポリが試合をした時の話である。

試合前のアップを行なっていたマラドーナに、ユベントスのウルトラ(熱狂的ファン)が、あろうことかマラドーナめがけてグレープ・フルーツを投げつけた。

マラドーナは、このグレープ・フルーツを胸でトラップし、割ることなく、投げつけた本人の胸にピタッと蹴り返したというのである。

小さなスタジアムではない。ユベントスのホーム、アリアンツ・スタジアムは41,500名収容の巨大なスタジアムで、マラドーナと投げつけたファンの間は、約30メートルの距離と大きな傾斜があったという。

これには、さすがのユベントス・ファンも拍手喝采したらしい。

知人はこの印象が強烈で、その日の試合の内容は、スコアも含め全く覚えていないと言った。

このマラドーナが活躍して、北の裕福なチーム、ユベントスやACミラン、インテルを負かす様は、南イタリアの貧しい地域の人々を狂喜乱舞させた。

1986-1987と1989-1990の2シーズン、スクデットを獲得(優勝すること)した時には、60,240人収容の本拠地サン・パオロ・スタジアムに7万人近くが入場し(_どうやって)、その場にいた友人は、スタジアムが大きく揺れ動き、〝壊れるっ〟と本気で思ったらしい。

ナポリのサポーターは限りなく熱い

古来、南北イタリアは仲が悪い。北は、われわれが南の貧しい経済の穴を埋めて国全体を支えているという強い自負があり、南は、北の人間は人情味薄く面白くない、北の人間と話すくらいなら〝犬〟と話した方がましだ、とまで言う。

そんな北のチームを負かし、ナポリチームのリーグ成績が良くなればなるほど、人はスタジアムに来る。

すると、スタジアムを中心に街も活況となり、景気が良くなって雇用を生んだ。

マラドーナは、勝利という喜びとともに、多くの貧しいナポリ市民の収入まで増やしたのである。

故に、ナポリの聖壇には彼の写真がいつまでも祀られている。

ナポリのウルトラ(熱狂的サポーター)

セリエA

20年以上前からイタリア・セリエAは〈世界最高峰のグループリーグ〉と呼ばれ、世界中のサッカー・プレーヤーがこのリーグでプレーすることを望んでいた。

事実、当時のセリエAには各国の代表選手が集結していた。

マラドーナと同時期には、ユベントスにフランスの英雄〈ミッシェル・プラティニ〉がいたし、1993年前後のACミラン全盛期の中核には、黄金の中盤トリオと呼ばれた〈ファン・バステン〉〈フランク・ライカールト〉〈ルート・フリット〉がいて、それはそのままオランダ代表チームの中盤であった。
ワールドカップとなれば、ACミランの熱狂的ファン・ミラニスタは、イタリア代表チーム同様にオランダ代表チームのサポーターでもあった。

ナポリの〈マラドーナ〉(左)とユベントス〈プラティニ〉(右)

イタリアのトップリーグ・セリエAには18チームが属し、ホーム&アウェイ総当たり方式の34ゲームの得点成績でリーグ優勝を争う。

リーグ終了後には、下位チームはセリエBとの入れ替えもある。

2000年前後では、セブンシスターズと呼ばれる、ユベントス、ACミラン、インテル、フィオレンティーナ、ローマ・ラッツオ、パルマもしくはトリノのビッグ・クラブ7チームが上位を独占していた。

シーズン中には特別なカードもある。

それはデルビー(ダービー/英)と呼ばれ、ミラノ・デルビー〈ACミランvsインテル〉ローマ・デルビー〈ローマvsラッツオ〉トリノ・デルビー〈ユベントスvsトリノ〉ジェノヴァ・デルビー〈サンプドリアvsジェノア〉は本拠地を同じくする2チーム同士の激突である。

例えばミラノ・デルビーではミラノの街が、この時はミラニスタとインテリスタに二分され大いに盛り上がる。サポーター同士は近しいが故に激しく争う。

他に、イタリア・デルビー〈ユベントスvsインテル〉や因縁のデルビー、例えば〈ロベルト・バッジョ〉の移籍を巡る〈ユベントスvsフィオレンティーナ〉などがある。

フィオレンティーナのスタジアム
中央フェンスで囲まれ隔離された部分が相手チームのサポーターの席

カルチョ行脚

1999年ミレニアムを迎えようとするクリスマス前の年末、キーテレビ局に企画が通り、セリエAの選手・関係者にテレビ・インタビュー取材をすることになった。

その内容は、当時JリーグからセリエA・ペルージャに移籍を果たしたばかりの中田英寿について、関係者からお世辞抜きのコメントをもらうというもので、番組は『中田の真実』という題名で正月番組として放映された。

ミラノ、ヴェネツィア(この時セリエBのチームには名波がいた)、パルマ、フィレンツェ、ペルージャ、ローマと取材して、多くのセリエA関係者(選手・監督・チームの会長・テクニカルディレクター・FIFAエージェント)に話を聞くことができた_とは言っても、イタリア語の話せぬ私は、制作スタッフとして同行していただけだが。

選手で印象深かったのは、パルマの〈F.カンナバーロ〉〈テュラム〉〈ブッフォン〉、ACミラン〈マルディーニ〉〈アルベルティーニ〉、ASローマ〈トッティ〉、フロントではACミランのオフィスで引退してフロント入りしたばかりの〈バジーレ〉、名将〈トラッパットー二〉は彼の自宅で理路整然とした解説を聞いた。

バレージ/ACミランのオフィス

〝場所〟で興味を惹かれたのは、ACミランのミラネッロと呼ばれる専用練習施設である。

ミラノ市街から1時間ほどの場所にある練習施設は、ほぼ山ひとつ全てがACミランのものだった。

そこには、オーナーであるベルルスコーニ会長が視察に来るためのヘリポート、500人収容できるミニ・スタジアム、練習用ピッチが6面、建物は大きなクラブハウスの他、通常のジムに加え、故障者専用のジムが併設され、外科的治療の医師、栄養面からの治療を施す医師、医師からのプログラムを具体的に指導するトレーナーがいて、選手一人一人の専用トレーニングメニューを元にトレーニングが行われていた。

クラブハウスにあったACミランのロゴ刺繍入クッション
許されるなら持って帰りたかった

この取材中、予期せぬ話が持ち上がった。

それはフィレンツェでFIFAエージェント〈モレノ・ロッジ〉をインタビューした後だった。

モレノ・ロッジは、イタリア代表にも選ばれたことのある元フィオレンティーナのMFで、引退後FIFAエージェントとなり、元選手の眼力で有望な若手選手を見出し、セリエAのチームに紹介していた。

この時期は、のちにACミランの主要メンバーとなった選手のエージェントをやっていた。

この撮影は、イタリア在住の友人から紹介されて実現されたものだが、収録後、友人とともに残ってくれと言われた。

実は、中堅クラブのボローニャから、日本のある選手の獲得を依頼されている。

ついては、日本の連絡事務所として、私と選手が話をできるように手を尽くしてくれないかというものだった。

その選手は、当時Jリーグで〝天才〟とも呼ばれていたMFだった。私も大好きなプレーヤーだったので、快諾し、帰国後ずいぶん頑張ってみたが、本人と連絡を取ることも叶わず実現には至らなかった。
隔世の感があるが、その頃日本では、FIFAエージェントというと、選手の契約金を釣り上げて、法外な手数料を取る〝悪の権化〟のように思っているチームが多く、彼の所属するチームはその筆頭で、頑なに彼と連絡を取ることさえ拒んだ。

数年後、ようやく彼は海外に移籍してそこそこ活躍をしたが、サッカー選手にとって数年は大きい、あの時点でセリエAのサッカーに触れていれば、もっともっと活躍できたろうにと思う。

残念でならない。

今季、Jリーグの「ヴィッセル神戸」に〈イニエスタ〉、「サガン鳥栖」に〈フェルナンド・トーレス〉という、古豪スペインを代表するふたりのトップ選手が加入した。

特に〝スペインの至宝〟と呼ばれたイニエスタには、かつての「鹿島アントラーズ」の〈ジーコ〉のようにピッチ上の監督として、チームのみならず、Jリーグ全体の底上げを牽引してほしい、楽しみに見守りたい。

 

編緝子_秋山徹