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平成三十年 七夕

2018年7月7日

仲良きことも辛きこと

「伝説」と「神事」と「宮中行事」の合わせ技

七夕伝説

「伝説」としての〈七夕〉は、〝織姫(織女星)〟と〝彦星(牽牛星)〟の物語である。

天の神は、娘の織姫の婿として彦星を迎えた。二人はお互いに一目見て惹かれあい、仲睦まじく暮らしたが、あまりにも仲が良すぎて、織姫は神々の衣を織ること、彦星は牛の世話をすることという、各々本来の役割が疎かになってしまった。天の神は怒り、二人を東と西の世界に分けてしまったが、悲嘆にくれるばかりの織姫を不憫に思い、一年に一度、七月七日の一日だけ二人が天の川を渡って逢うことを許した。〉と、我々日本人が子供の頃から慣れ親しんだお噺しである。

神事

「神事」の〈棚機〉は、日本古来の禊(みそぎ)の行事で、〝穢(けが)れの祓(はらい)〟と〝五穀豊穣〟を願い、七月七日に新しく織った布を神に献げたものである。

この布を織るのは、特別に選ばれた〈棚機女/たなばたつめ〉と呼ばれる乙女で、彼女は「機屋」と呼ばれる水辺の小屋で神を迎えた。

当然、この〈棚機女〉は織姫(織女星)に由来したものである。

特別な乙女が選ばれて、身を清め、禊を行なう行事は、〈早乙女(田植女)〉が〈菖蒲を葺いた小屋〉に籠もる「端午の節句」、〈依り代=人形(ひとがた)=雛人形〉に穢れを移し、川に流して禊をした「上巳の節句」に通じるものがある。

宮中行事

「宮中行事」の〈七夕〉は、中国から伝わった〈乞巧奠/きこうでん〉が宮中の行事となったもので、七月七日に〝機女星〟が養蚕や針仕事をつかさどるのにあやかり、五色の糸を通した針と山海の産物を供えて、星を眺めながら裁縫だけでなく技芸全般の上達を祈願したものである。

これが江戸幕府により、五節句(人日/上巳/端午/七夕/重陽)のひとつとして定められ庶民の間に広まると、五色の短冊に願いを書いて笹竹に吊るすようになったのが定着して、今にいたる。

短冊はもともと、古代から神木とされた〈梶の木の葉〉であったものである。

また、五色の素麺を供えるのは、本来の供物の索餅(さくべい)という素麺の元となった唐渡りの菓子の転用である。

五色

実は、糸や短冊・素麺の五色には、中国から渡った「陰陽五行説」の思想の大きな影響がある。世の中の万物すべてが〈木火土金水/もくかどごんすい〉から出ずるという五行説には、それぞれに、色と方角と季節、それを守護する動物が定められている。

木=緑(青)-東-青春-青龍
火=赤-南-朱夏-朱雀(すざく)
土=黄-中央-土用-麒麟
金=白-西-白秋-白虎
水=黒-北-玄冬-玄武(げんぶ・亀)

古代中国で、皇帝はすべての中央に君臨するものとして、衣服は黄(金)色であり、調度品や建物に幻獣麒麟が多く描かれているのはこのためである。

また、「君子は北辰す(北を背にして座す)」という言葉があり、〝北〟を背にすれば正面は〝南〟、右が〝西〟、左が〝東〟となる。

この位置関係では太陽が東〝左〟から昇り、西〝右〟に沈むため、席の配置や並びの際の「左を上位」とする考えの根拠のひとつとされている。ちなみに西洋世界は「右が上位」である。

馴染みのあるものに、五色のわかりやすい例がある。

それは大相撲の土俵で、上から吊られた幕の東・西・南・北の四方から、緑・白・赤・黒の房が垂れ、真ん中に土(黄)俵がある。

また東の横綱が正横綱で、西の横綱よりも上位となり、大関以下も同様、左のほうが番付上位となる。

七夕の書といえば、この時期の時候の挨拶状「暑中見舞い」があるが、〝暑中〟とは「小暑(七月七日)」から「大暑(七月二十三日前後)」と「立秋(八月七日前後)」のあいだの一ヶ月間を指すため、この期間内に書状を送るのが正しい。

寺子屋の子供らは、七夕に里芋の葉にたまった夜露で擦った墨で願いを短冊にしたためたが、わたしども大人は、菊の花びらに降りた露を入れた御酒をいただいて願う、「重陽の節句」の九月九日が愛しい。

 

編緝子_秋山徹