令和元年 芒種
大黒様と一寸法師
もっと美味しい健康へ
穂先の棘_芒
芒種_芒(のぎ)とは、稲や麦などの穂の先にある細く尖った毛・棘のことを呼ぶ。
梅雨の時期となるこの時期に、農家では作物の種を撒く時、特に稲作では田植えの時期となる。
本来〝菖蒲の節句〟も旧暦ではこの時期に当たる。
この節句の〝菖蒲〟という名の由来は、田植えと〝早乙女〟にある。
田植えで苗を植える娘を昔は〝早乙女〟と呼んだ。
〝早乙女〟は、田植えの前の晩に〝菖蒲〟の葉を葺いだ小屋に篭り、身を清めてから翌日の田植えに備えた。
このことから〝菖蒲〟の節句となったものである。
それだけ、稲作にとって田植えは神聖で重要なものであった。
元来、菖蒲の節句は「女性安息の日」であったのが、いつのころから〝菖蒲〟が〝尚武(武を尊ぶ)〟につながることから男の子の日の節句となっていき、江戸時代に幕府によって正式な式日となった。
また、この菖蒲の節句には節供として〝粽(ちまき)〟が食されるが、これは同日の〝端午〟の日に中国で粽が食べられる習慣が取り入れられたものである。
このように、日本の式日や雑節などや儀礼には、複数の教義や中国などの習慣、風俗が習合されたものが多い。
大黒様と一寸法師
稲作や農作を日本全国をめぐって伝えたのが「国造りの神」として出雲大社に祀られる〝大国主命(おおくにぬしのみこと)〟である。
大国主命は素戔嗚尊(すさのおのみこと)から6代目の孫にあたり、『出雲国風土記』『記紀』にある「因幡の素兎」や「国譲りの物語」が有名である。
また大国主命の複数いる妻の一人に、稲作の精・奇稲田姫がおり、これは日本の「狩猟の縄文文化(森の民)」から「農耕の弥生文化(農の民)」への転換を象徴するのが「大国主命の国造り(稲作の伝播)物語」であることを示唆している。
大国主命の「大国」の音が「だいこく」で「大国様(だいこくさま)」と呼ばれていたことが、いつしかヒンズー教のシヴァ神の異名「大黒天」、さらに「七福神」の「大黒様」と同一視されてしまった。
日本独特の習合神といえるだろうが、本来は全く別の神様である。
大国主命の相棒として日本全国を一緒に巡った神がいる。
〝少彦名命(すくなひこなのみこと)〟といい、高御産巣日神(タカミムスヒ)の指からこぼれ落ちた小さな神で、国造りの旅に出る前の大国主命が海に佇んでいるところに、カガミという植物の皮を使った船に乗り、小鳥の皮を着て現れた。
大国主命と一対で語られることが多く、日本全国の『風土記』に大国主命とともにその名前が登場する。
穀霊的な性質が強く、大国主命と農耕や医療を広め、酒造りも広めたとされている。
その姿が小さいことや穀霊的な要素から、農作物の命である〝種〟の象徴とも考えられる。
また、植物の皮の船に乗って登場したことや、小粒ながら大きな力を蓄えていることから〝一寸法師〟のモデルであるともされている。
神社では「五穀豊穣の神」「医薬の神」「酒造りの神」として祀られ、また、「温泉の神」ともされる。
温泉の神の謂われは『伊予国(愛媛)風土記』にあり、二神がかの地を訪ねた時〝少彦名命〟は病に伏せ重体となる。
〝大国主命〟は、大分の早見の湯から源泉を引いてきて温泉を作り、〝少彦名命〟に湯治させたとある。
ちなみに〝少彦名命〟が平癒した時に踏みしめた際の足跡が遺る石が現在も道後温泉の脇に祀られている。
これが日本最古の温泉とされる「道後温泉」の来歴である。
ちなみに『伊予国風土記』には、始まりの所縁とともに、その後、聖徳太子、天智天皇(中大兄皇子)、天武天皇、などが湯治に訪れたと記されている。
〝大国主命〟と〝少彦名命〟の二神が全国を巡って農耕民族としての礎を築いた日本民族であるが、現在われわれの食料自給率は著しく低く、己の食い扶持分の確保も危うい。
このような末代の民を国造りの神たちは、どのようにご覧になっているのだろうか。
もっとも食料自給率は、旬の時期に旬の食材で昔ながらの食事方法にもどせば、かなり改善されるともいう。
もっと美味しい健康へ
日本人の食生活の改善を目指して、「分とく山」の野崎洋光料理長が、「もっと美味しい健康へ」というコンセプトの下に「シェフパートナーズ/ChefPARTNERS」という団体を2年前に作られた。
旧知の料理人、特にこれからの料理界を背負う若手の方々を中心に賛同される18人の方々が参集された。
以下が野崎料理長の趣意である。
日本人の薬食い
食べるということは色々な要素があります。
まずは美味しいものを食べる。
コミュニケーションをはかるために食べる。
行事食として食べること伝えていくことなど、諸々あります。
そして一番大事な健康維持、生命維持ということになりますと、私たち日本人は米食です。
米を食べるためにどのような食事を行なってきたか、それは元々野菜をたくさん食べながら「薬食い」をしてきたというのが、私たち日本民族でありました。
1月7日の「七草」から始まり、多種多様な野菜を栽培して、それに自然に自生しているものを加えながら食べてきた文化があります。
コメとトラブルに
それがいつしか、脂肪をたくさん摂取する欧米の食文化を取り入れるようになり、米とトラブルを起こすことになりました。
素早くその98%が消化される米ですが、その米の糖化の早いことが今は悪者になっています。
米は糖化した途端に酸性食品になりますが、私たちの祖先は、こんにゃくや牛蒡、海苔などの自然の食品を米と一緒に摂ることで、体をアルカリ性に中和しながら「薬食い」してきました。
近年、日本人の寿命は延びましたが、それにつれて病気も増えてきてしまったことに対して、我々がどういう対処をすべきかといえば、結局は野菜を食べることです。
野菜を食べることが良いことは、今では誰もが知っていることですが、食物が生産地から貴方のお口に入るまで、近道で食べるということが重要なのです。
命の入り口
いま私たちは、命の入り口をどうするか、ということを真剣に考えるべきだと思います。
できれば生産地からお口に入る距離をなるべく「近道」にする。
既製食品というのはその距離が長すぎます。
鮮度の良い野菜を簡単な調理方法でお口に入れる。
たとえばブロッコリーを80度くらいで茹でる。これは完全に加熱をするんではなくて「酵素を動かしながら食べる」ということです。
ブロッコリーやカリフラワー、蕪であるとか、小松菜も低温で茹でる。 それぞれに適した火の入れ方があります、薬で摂るのではなくて、食べ物で摂ることが大切です。
なぜ食べ物で摂るのが大切と申しますと、食べる行為というのは口の中で咀嚼します。
咀嚼することによって唾液が出ます。その唾液がガン細胞を殺し、ガン予防になるという風にも言われております。
ですから、食べること_命の入り口をどういう風に大切にするかということを考えて、鮮度の良い食材を食べていただきたいなと思います。
これが、日本人の本来の健康法だと思います。
シェフパートナーズ料理塾では、現代の「薬食い」を仲間のシェフ、料理人たちとご紹介していきたいと思います。
『シェフパートナーズ』会長
「分とく山」野崎洋光
このコンセプトを基に新サイトを6月1日に配信開始したので、ご高覧いただければ幸いである。