令和元年 夏至
短夜と翳

「陰影」と「ゆらぎ」の唐紙
短夜/みじかよ
夏至_一年で最も陽の長い日である。
これを短歌や俳句の世界では「日永/ひなが」と呼ばず「短夜/みじかよ」という枕詞であらわす。
もちろん日中の暑い時候に、涼しく過ごしやすい夜を惜しむという当然の理由だけでなく、
清少納言『枕草子』冒頭の
「夏は夜、月の頃はさらなり、闇もなは蛍のおほく飛びちがひたる。—————」
という一文にあるように、すべてが白日の下に晒される日中よりも、闇に飛ぶ蛍の灯りのそこはかとない趣(おもむき)の夜を、いにしえより日本人は愛(いつく)しんだのだと思う。
どうも日本人は、長いものよりも短いもの、大きいものよりも小さきもの、勝者よりも敗者に想いを寄せる民族のようである。
これが欧米などとの感性の違いであるようである。
この感性の根っこは、欧米が「自然とは征服するもの」であるのに対し、日本をはじめとする東洋的な考え方の「自然の中にあり、ともに生かされている」という思想にあると思われる。
誰そ彼時/黄昏時
さて、陽が長くなって昼と夜との境目の時は遅くなり、夜と朝の間は早くなる。
陽が落ち、夜の闇が迫ってくる夕間暮れ、〈黄昏時〉は「向こうにいる人が誰だかわからなくなった時/誰(た)そ彼(かれ)時」が変化したものだと昔習った。
また夜と朝のつかの間は、同じ意で異句の「彼(か)は誰(たれ)時/かわたれどき」とも教わったが、こちらは〝朝方〟だけではなく、むかしは〝夕方〟にも使われていたらしい。
やがて夕方も暮れはじめる時分を、昔の人は「あの世とこの世のさかい」「魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)する世界とのさかい」と感じ〈大禍時/おおまがとき〉や〈逢う魔が時/おうまがとき〉とあらわした。
これが全くの負の意識かというと、そうでもないように思う。毎日繰り返しやってくるこの境目は、人々の日々の営みのリズムをつけるためのものと考えられる。
日が入り、辺りが暮れなずむ頃、大人たちは仕事を、子供たちは遊びを終え家へと戻らなければならなかった。
なぜなら、街灯もなく屋内も暗かった頃、闇夜の外界は魑魅魍魎たちの支配する世界であったから。
人間はおとなしく家族で過ごし、そして休むだけである。
この昼と夜の境を不安定な時間であり空間であると考えたのは、日本人だけではないようで、東南アジアでも同じような言葉で表すようだ。
正確な表現を忘れてしまったが、以前タイの友人に「夕暮れ時は危険で禍が起きる時空」とタイ人も考え、日本語に似た表現をすると聞いたことがある。
しかし、ある者たちにとって夜は、闇に密かに潜む、何か禍々しいものに想いを馳せる時間でもある。
そしてまた夜は、光源氏や在原業平、平貞文ら色男たちをはじめとする恋する者たちの時間でもある。
闇があって光がある
日本人の感性の特徴は当然、その住処日本家屋に現われる。中でも日本家屋の闇と光のコントラストを際立たせたのは「唐紙」である。
唐紙は「唐(中国)から渡ってきた紙」で、遣唐使など中国から戻ってきた僧侶などにより持ち帰られたものとされている。
写経や歌を詠んだりするのに使用されていたものが、衝立や襖に貼ると綺麗だということで、壁や天井にも貼られるようになった。国内では平安時代から生産が始まったされる。
唐紙には「京唐紙」と「江戸唐紙」があり、どちらもその作り方は、版木に雲母(きら)や絵具をつけた上から和紙をあて、手のひらを使って〝手かげん〟で紙に文様を付ける。
今日、この唐紙の木版摺(もくはんずり)の技術を継ぐ人は少なく、数える程の職人しかいなくなった。
平成29年「江戸唐紙」の職人、〈小泉幸雄さん〉が、この技術における人間国宝に認定された。
「京唐紙」と「江戸唐紙」の違いは、「京唐紙」の目立ちすぎないさりげなさに対し、「江戸唐紙」はキレの良い華やかさという気風の違いにあるという。
その気風ゆえか、「京唐紙」は〝木版摺〟でしか作られないが、「江戸唐紙」は〝手書き〟や〝型紙を使った更紗染〟で作られるものもある。
以前、更紗染色家の〈中野史朗さん〉が、江戸唐紙の「松屋」からの頼まれ仕事で唐紙を染めていたことがある。
唐紙の型紙は幅が90cm以上あり、着物の着尺幅の倍ほどあるため通常は、二人で両側から染めるそうだが、中野さんの場合は工夫をして一人で染めていたようだ。
型は一枚か二枚型がほとんどだが、七、八枚の型紙を使うものもあったという。
着物と全く同じ更紗染が施された襖紙というのも贅沢なものだと思った。
いま日本で唐紙を製作しているのは、更紗染色家の中野さんに仕事を依頼していた江戸唐紙の『松屋』と、京唐紙では『唐長』のみである。
『唐長』の文様は、京都四条烏丸のレトロなビルを建築家〈隅研吾〉が再生した「古今烏丸ビル」の外壁に使われているので、目にした方も多いと思う。
京都『唐長』十一代目千田堅吉さんによる『京都、唐紙屋長兵衛の手仕事/NHK出版』という著書がある。
その「唐紙と明かり/唐紙には陰影が似合う」と云う項に
——明かりとの取り合わせには気をつけねばなりません。いまの時代はできるだけ明るくて白い部屋が好まれることが多いのですが、江戸時代に生まれた唐長の唐紙は、陰影のある部屋に合うので隅から隅までくまなく照らし出す蛍光灯のある部屋には不向きです。
——昔は「翳(かげ)」というのは悪い意味ではなかったはずです。
——唐紙は場所と光を選ぶ素材です。観光用に照明をうんと明るくしているお寺などがありますが、唐紙には正直言って似合いません。創建当時はそんな照明はなく、庭先の照り返しやろうそくの光だけだったはずで、そのなかでパッと一瞬輝く華やかさに人々は憧れたのです。まわりは静けさに満ちて、決して派手でたなかったはずです。
と、蛍光灯の部屋にはわざわざ〝木版摺〟の唐紙を使う必要はなく、印刷の唐紙で十分だと記されている。
真っ当に作られたものには、使われるべき場所がある。その場所を違えてしまえば、それは不幸な出来事である。
障子や格子戸から入り込む光の角度によって、微妙に唐紙の文様は変化する。
そこにあらわれる「ゆらぎ」や「陰影」「翳」と云うものを日本人は心奪われる。
谷崎潤一郎の『刺青』の冒頭に
「それはまだ人々が「愚」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった」
という素敵な文章がある。
チンピラ芸人に道徳を強いる今の世の中では無理な話ではあるだろうが、大人の男の「愚」の部分である「翳」をどうにか許してもらえないだろうか。
大人の男の遊びなど断じて高尚なものでは無い、白日の下に晒されては身も蓋もないものだらけだ。
それは唐紙の光の陰に隠れた部分のようなものなのだ。
頼むから光の当たる文様の部分だけを褒めていただきたい。
「翳」の部分には決して触れずに—