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平成三十一年 啓蟄

2019年3月6日

今宵、偲ぶ夜

後ろを顧みて立つ人

啓蟄に蠢(うごめ)く

二十四節気〈啓蟄〉—前節〈雨水〉の雪解け水が地中に滋養として入り、新芽の芽吹きを呼ぶとともに、虫たちや小動物もまた地上へとその姿を現わす。そして水温(ぬく)み、湖・池・川の水が温まり、水に棲む動植物や虫たちも同時に目を覚ます時候。

白川静の『字通/平凡社』によれば、〈啓蟄〉の〈蟄〉は、虫蛇の類が冬ごもりをすることを表し、「かくれる・とじこもる」という意味を成し、家居して世に出ぬことやその刑罰を「蟄居/ちっきょ」と呼ぶのはこれからであるという。よく時代劇や小説などで、武家が受ける「蟄居閉門に処す」という処罰がこれである。

また「蟄蟄/ちつちつ」と書けば、多くのものが静かに集まるという意味になるという。

〈啓〉は「ひらく」という意味から、「閉じこもるのが開かれる」ということで、〈啓蟄〉は虫蛇の類の冬ごもりの終了を示す。

時候〈啓蟄〉の言葉を見ると、私の頭に必ず思い浮かぶのが〈蠢(うごめ)く〉という字である。まさに春に地中から出てきた虫たちそのものの姿がこの字には描かれているようだ。

『字通』によれば、春には〝虫がうごめいている様〟〈蠢動〉の意味があるという。

みるところ〈蠢く〉は、春の生命感あふれる様子のように感じられるが、どちらかというと、もう一つの意味の「おろか・みだれるさま」というマイナスイメージの表現、〈蠢蠢/乱れさわぐさま〉〈蠢人/愚かな人〉〈蠢桿/無謀〉〈蠢才/愚者〉などのように使われることの方が多い。

こうやって〈虫〉の字に溢れる春の季節だが、以前から気になっていたことがあったので調べてみた。それは、なぜ昆虫だけにではなく両生類の〈蛇〉や〈蛙〉、貝類〈蛤〉〈蜆〉、軟体動物〈蛸〉に虫偏が付いているのかということだった。

『字通』によると、本来〈虫〉とは蛇の「まむし」のことを指し、昆虫の総称は〈蟲〉という字であったのが、いつの頃からか略字として〈虫〉が使用され、〈虫偏〉は、昆虫に限らず蛇より小さい小動物全般の漢字に付けられるようになったらしい。

なんだか呆気なく解決してしまった。

訃報

と、ここまで書いて、

三日前にお会いしたばかりの、近しく仕事で大変お世話になっている方の突然の訃報が届いた。

不謹慎かと思ったが、言葉を大事にされる方であったので『字通』で〈訃報〉の〈訃〉という字を調べてみた。

〈訃〉とは「しらせ」とある。そして意として「死を告げ知らせる」とあり、知らせる内容は〈死〉に特化されるようである。

では〈死〉「みまかる」とは—字形からいえば、一度風化してのち、その残骨を収めて葬るのであろう、〈葬〉は草間に死を加えた字で、その残骨を収めて弔喪することを〈葬〉という/『字通』原文そのまま—とあって形そのものであった。

〈弔〉はどうであろう、字形は「弓を持つ人」であり—古くは屍を草野に棄て、その風化を待って骨を収めるので、その骨を拾うとき、獣を追うために弓を持参することを示す字と解したのであろう—とある。

〈喪〉は字形は「哭と亡」からなり〈哭〉は祭礼の器を並べ哀哭する意で、〈亡〉は死者の意であることから、そのまま死者に対する哀告を示す字であるとしている。

色々と死にまつわる言葉をみてみたが、本日鬼籍に入られた方に対する喪失感は埋まらなかった。

『羅生門』の脚本家・橋本忍

先の2月24日に第91回アカデミー賞の授賞式が行われた。ご承知のようにアカデミー賞は前年度の映画業界に業績のあった監督や俳優、作品などを讃える祭典であるが、式の構成の中に昨年鬼籍に入った業界人を称えるメモリアルのコーナーがある。

世界の映画人とともに取り上げられていた日本人が2名いた。

脚本家の「橋本忍/7月19日100歳没」とアニメ監督の「高畑勲/4月5日82歳没」の両名だ。

またこの日、作品『ROMA』で「監督賞」「撮影賞」「外国語映画賞」の3部門で最優秀を受賞したメキシコ人監督のアルフォンソ・キュアロン/Alfonso Cuaron は、「外国語映画賞」のスピーチにおいて「私自身も『市民ケーン』『ジョーズ』『羅生門』『ゴットファーザー』『勝手にしやがれ』といった外国語の映画に大きな影響を受けて育った」と語った。

キュアロン監督が挙げた黒澤明監督作品『羅生門』の脚本家が、メモリアルコーナーに登場した「橋本忍」であると認識していたかどうかは定かではないが、関連性のあるスピーチとなった。

橋本忍にとって『羅生門』という作品は、特別なものであったはずだ。独学で脚本を書いていた橋本は、人の勧めによって伊丹万作(脚本家・映画監督/監督・俳優の伊丹十三は長男)に、脚本を送り認められて指導を受けるようになる。

やがて、芥川龍之介の「藪の中」をベースにした脚本が、黒澤明監督の目に止まり、その後黒沢と共同で脚本を仕上げたものが『羅生門』として映画化されることになる。

『羅生門/1950』は、橋本忍の脚本家としてのデビュー作となり、ベネツィア国際映画祭金獅子賞、アカデミー賞名誉賞を受賞する。

これは黒澤明にとっても初めて国際的な評価を得ることになった作品となった。

ひいては日本映画が世界に知られるきっかとなった映画でもある。

これ以降、橋本忍は『生きる/52』『七人の侍/54』『生きものの記録/55』『蜘蛛巣城/57』『隠し砦の三悪人/58』『悪い奴ほど良く眠る/60』『どですかでん/70』と黒澤明監督作品7本に関わることになる。

特に『羅生門』『生きる』『七人の侍』の3本は黒澤明を代表する作品である。

以前もここに記したが、

「今の若者は、あるものを批評する批評家としての教育は受けていて、批評することには長けているが、批評を恐れず制作することには臆病である。自分自身が自分の批評を恐れて制作できずにいる。とにかく脚本でも書いてみることだ—批評など恐れずに。書いて、書いて、その中からようやく作品となるものが生まれてくる」

という趣旨のことを橋本忍は語っていた。

独学で脚本を書き、作品を伊丹万作に送り続けて指導を受けるようになり、その中のひとつが黒澤明に認められて脚本家となった橋本忍だけに、説得力のある言葉である。

本日、突然の訃報を受けた故人も大変映画の好きな方だった。
黒澤プロダクションとも少なからず縁があった。
その関係から私も雑誌に「黒澤明と絵コンテ」についての記事を書かせていただいたことがある。
その記事の取材の際に黒澤プロダクションの資料室に二日間篭り、実際使われた台本やスチール写真、絵コンテなど多くの黒澤作品に関する資料に接することができたのは、全くの幸せなことであった。

そんな至福の時間を与えていただいたことなどが懐かしく思い出され、感謝の念が再び浮かんでくる。

『字通』をパラパラとめくっていて、〈愛〉という字の成り立ちに目を引かれた。

愛の字形は「後ろを顧みて立つ人の形。それに心を加え」後顧の意を示しているという。

故人を「いつくしみ、したしむ」こともまた、恋愛とは違うひとつの〈愛〉のかたちであるとすれば—

今宵はじっくり故人を偲ばねばなるまい。

編緝子_秋山徹