平成三十一年 穀雨
輝いたものと、損なわれたもの
天の気まぐれ、美しきものよ再び
春疾風と桜隠し
この時期、春の嵐と呼ばれるように風雨が強まったり、日々や朝夕の寒暖の差が激しい天候が続いている。
それはこの時候の季語「春疾風(はやて)」や「春雨」からもみてとれるように、古からの風土であるようだ。
穀物の恵みとなり滋養を与えてくれるこの雨は〈穀雨〉と呼ばれ、節気の名称となっている。
ところが今年は4月の上旬に日本列島の各地で雪が舞った。
舞うだけではなく積もったところもある。
春、桜が咲いた後に雨風が花を散らすことを「花荒らし」、雪が降りそれが枝に積もって桜が見えなくなることを「桜隠し」というらしい。
ともに美しい響きの季語だが親爺の体にはこたえる。
「春眠 暁を覚えず」という、あまりにも有名な言葉で始まる孟浩然の『春暁』という詩は、「春疾風」「春雨」「花荒らし」といったこの時候の景色と気配を描く。
春眠 暁を覚えず
処処 啼鳥を聞く
夜来 風雨の声
花落つること 知る多少
穏やかな春の日、少し遅く起きてみたら、鳥の啼き声があちらこちらに聞こえる。夜半には雨と風の音が聞こえていたので、きっと花がずいぶん散ってしまったのであろう。
春の陽と昨夜の雨の湿り気、そして散った花びらの香りが混じり合った、甘くも清々しい空気の匂いを鼻先に感じさせる詩である。
穏やかで麗らかな陽射しの1日があったと思えば、花をも凍らせるような季節外れの雪も降らせる。
まるで、「女心の春の空—」と思ったら、あれは「秋の空」であったか—
「女心と秋の空 変わりやすきは人の常 それを信じる馬鹿もいる」
と言ったのは〈太陽王ルイ14世〉とされるが、真偽のほどはどうなのだろうか。
英語には
〝A woman’s mind and winter wind change often.〟
〝A man is as moody as autumn weather.〟
という「ことわざ」があり、ここでは女心は「冬の風」、男心は「秋の空」とある。どちらも移り気であることに変わりがない。
室町時代に作られた狂言『墨塗』には、
「男心と秋の空は一夜で七度変わる」という有名な台詞がある。
日本ではまず〝変わりやすきは男心〟とされた。
しかし、『墨塗』のあらすじは、訴訟のため上京していた大名が、勝訴したため田舎に帰る暇乞いに馴染みの女のところに来たところ、女が涙を流しながら〝件の台詞〟を述べるのであるが、その女の涙がそばに置いてあった器の水を差しているのを見て取った従者の太郎冠者が、その器の水に墨を入れると、女は黒い涙を流し嘘泣きとバレてしまう。逆上した女が器の墨水を大名と太郎冠者に塗ってやると追いかけるところで幕となる。
結局、女心は恐ろしいという内容なのではある。
以降、歴史を下るにつれて、「男心—」が『男心と女心—」は気まぐれとなり、やがて、ルイ14世の言葉や英語でのことわざが伝わったり、昭和デモクラシーなどの影響で、なんとなく時代の雰囲気や流れが女性上位となったことで「女心は—」へと変化したという説を目にした。
現代では「女心と春の空」と引用するのは決して間違いではないというのが通説らしい。
そうなると、女心も男心も季節に関係なく移り気で、人の心は常に定まることなく気まぐれで揺れているというのを、この言葉自体の変遷が物語っていることになる。
天の仕業もまた気まぐれである。
再び輝いたものと、損なわれた美しきもの
天の気まぐれは、この日曜と月曜にかけての二日間続けて世界中を驚かせた。
ひとつは、14日(日曜)のタイガーウッズのマスターズ復活優勝で、そしていまひとつは、翌月曜15日のノートルダム大聖堂の火災である。
このふたつを同じ土俵で語るなとお叱りを受けるかもしれないが、私の感覚としては同一線上にある。
表現に語弊があるかもしれないが、両方の画を目にして、片方は〝美しきもの〟の〝蘇り〟、もう片方は〝損ない〟を感じた。
4月14日の日曜日(日本時間15日早朝)、オーガスタ18番ホール、パーパットを沈めてタイガー・ウッズが11年ぶりにマスターズで復活優勝を遂げた。
ゴルフに詳しいわけでもなく、プレーするわけでもないが、タイガー・ウッズの絶頂期には深夜や早朝にも関わらず、テレビの生中継を観て興奮したものである。
スポーツ選手の中には、ジャンルや世代、国家、民族さえ超えて人を魅了する選手がいる。
タイガー・ウッズとはそういうプレイヤーであろう。
そのタイガーがこの十数年間、怪我やプライベートの問題でどん底にいた。長い間世界ラン1位にいた男が、2017年には1199位にまで落ちたという。正直1199位までランクがあるということにも驚いたが—
元世界的なトップ選手が長きにわたりここまで落ちて、這い上がり復活した例を私は知らない。
それもマスターズという特別な大会を再び制したことは、常人にはない星の巡り合わせを持っているのだろう。
翌日の〈NBCスポーツ〉の記事が心に残る。
「スポーツはしばしば、『その時、どこにいたのか』という瞬間を与えてくれる。ウッズが16番ホールでカップから70センチ以内につけたショットを見せた後、2019年4月14日は、明らかにその瞬間の1つになった。これは1986年のマスターズ大会(46歳のジャック・ニクラウスが11年ぶりに復活勝利した)のように子供たちに何があったかを語る日になるだろう」
「スポーツ史において、最も偉大な選手の1人が、ゴルフの外で幸せをつかめない運命があったとしても、ゴルフでは、多くのことをもたらすことができるのだと証明した。想像を駆り立て、夢がしばしば現実になる場所でウッズはとても考えられないことをやってのけた」
今回の優勝もたまたま生中継で観ることができたのは、お金に替えられない歓びであった。
傷ついた白い貴婦人
ウッズの復活に浸っている間も無く、ノートルダム大聖堂の火災という、悲しく切ないニュース映像を目にすることになった。
1245年に完成されたノートルダム(フランス語で〈私たちの貴婦人〉)大聖堂は、パリの中心シテ島にカソリックのシンボルとしてその美しい姿を誇示し、その色合いから〈白い貴婦人〉という愛称でパリ市民に親しまれてきた。
しかし、その歴史の中で不幸な時代がなかったわけではない。
1989年のスランス革命では、王家と密接なつながりがあり、聖職者という特権階級の棲家である大聖堂は市民にとってもはや憎むべき支配階級のシンボルとなった。
ファサードの彫刻やステンドグラス、内部の装飾などがパリ市民たちの手によって略奪と破壊の限りが尽くされて、大聖堂はその美しい姿を失い、1795年には廃墟と化し、閉鎖された。
その後、ビクトル・ユーゴーらの運動により改修がなされ、1864年に修復を終え、その美しさを再び取り戻した。
それからは、1836年に建設された凱旋門、1889年の建築エッフェル塔とともに、麗しの都パリを代表する建造物として現在に至っていた。
昨年は1300万人の観光客が世界各地から訪れたという。
今回の出火原因は、施されていた補修工事関係の失火というのが大方の見方で、今のところ宗教を根に持つテロではなさそうであるのが、せめてもの救いか。
あのヒットラーさえも、最後の最後まで〈美の宝庫フィレンツェ〉への爆撃を禁じていたように、どのような立場であろうとも、人として世間・世界に対してやってはいけないことがある。
「日本人の心の中に、日本の文化とその精神性がすべからく残っていて本当に必要であるならば、金閣寺を駐車場にしても構わないのかもしれない—」と言ったのは坂口安吾であるが、もはや日本の金閣寺は日本だけのものではなく、世界中みんなのものである。
もちろん坂口安吾も、金閣寺を軽んじたわけではなく、日本人の伝統に対する思いが希薄になっているのを揶揄したものであるが、金閣寺を傷つける行為は今日、世界が許さないのである。
ノートルダム大聖堂しかり、炎上する大聖堂の映像を見て、涙を流したのはフランス人ばかりではあるまい。
すぐさまマクロン仏大統領は、5年後のパリ・オリンピック前までの修復を宣言し、そのための義捐金は1週間を経ずして8億ユーロ(約1000億円)を超えた。
喝采をあげる市民とともに、義捐金を申し出た企業や大富豪は搾取側の特権階級ばかりで、そんな金があるのなら貧しいものに分けろと、マクロン政権への抗議デモを敢行していた市民からは多くの避難が挙がってもいる。
一枚岩とならないところが、いかにもフランスらしい。
美しきものを蘇らせたその直後に、世界が愛する美しきものを傷つける。
天の仕業は、まことに気まぐれである。