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令和元年 秋分

2019年9月23日

メロンパンの悲哀

災害対策の彼岸と此岸

白露

秋分/お彼岸_太陽が真東から昇り、真西に沈んで、昼と夜の長さが同じになる日。

春の彼岸に対し、「秋の彼岸」もしくは「後の彼岸」と呼ばれる。

〝彼岸〟とはあちら側の岸、仏教では煩悩の川を渡ったものが棲む、仏の「悟りの世界」である。

一方、煩悩のこちら側の世界は〝此岸/しがん〟と呼ばれる。

人は、太陽が沈む真西に此岸から彼岸の極楽浄土を想い、この日に先祖の供養をして徳を積んで、一歩でも近づかんとする。

二十四節気の暦の上でも、春分と秋分の〝二分〟は、夏至・冬至の〝二至〟と同様、季節を隔てる重要な時候である。

日本の春夏秋冬は、立春・立夏・立秋・立冬で始まり、春と秋に分けられ、夏と冬に至って移ろう「二至二分四立」で成り立っている。

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく云ったもので、旧暦から新暦に変わっても、彼岸の時期には天候が落ち着く。

しかし、災害は別である。

台風15号が関東を襲ったのが、「白露」の翌9月9日午後5時頃である。

その影響で、千葉県では大規模な停電が起こった。

ピーク時には〈64万戸〉の電気が止まるという規模であった。

また断水した地域も多かった。

秋分の本日23日、それから2週間あまりが経過した。

君津市や鋸南町(きょなんまち)などでは、いまだ約2800戸が停電し、断水が続く地域もあるという。

停電や断水の復旧の遅れについては、専門の知識があるわけではないので、言葉をさし挟むつもりはない。

地域住民の方のご苦労を慮るのみである

大量のメロンパン

このような生活状況の市民がいる中、君津市では市議会選挙が[9月15日告示/投票日9月22日]の日程で強行された。

生活の基盤のライフラインが損なわれている市民がいる状況下で、選挙を行なったことには、市や選挙管理委員会の見識を疑わざるを得ない。

君津市長はSNSで「私は反対したが、選挙委員会が決定した」とコメントしたが、市の首長の権限はそんなに低く、意見は聞き入れられないものなのだろうか。

市民の権利と利益を守り代弁する議員を決める選挙である。

その肝心の市民が十分に検討できない状況の下で選挙をすることが、どれだけ不公平で彼らに不利益を与えるか、そこに考えが至らない公僕は、退場いただくしかない。

また、9月21日にNHKのニュースが報じたところによると

「千葉県が、災害時の非常用に県内10箇所の倉庫で備蓄していた発電機の半数以上が、そのまま使われずに倉庫にに眠っている。理由は市町村からの要望がなかったから—」らしい。

そして、この事態に対する県の災害対策本部のコメントが「市町村に対してもっと積極的な呼びかけを行うべきだったかどうか、今後、検討したい」である。

噴飯ものである。

「今からでも必要とされている市町村があれば、ただちに貸し出します」ではなかろうか。

災害が、いつ何時、どの程度の規模で起こるかは、誰も知りようがなく、それは人知を超えている。

また、その対策が後手に回ってしまうのは仕方のないことだと思う。

しかし、後手に回ってしまってから、何を施すかということが、人間の智慧である。

君津市の選挙にせよ、千葉県の発電機にせよ、その人間の智慧が全く活かされておらず、公僕として、著しくバランスというものを欠いてはしないだろうか。

まったくこの人たちは、どちらを向いて仕事をしているのかがわからない。

同様の、どちらを向いて仕事をしているか分からない話を「分とく山」の野﨑料理長から聞いた。

ある震災の時に、避難所で不自由されている人たちに、温かくて美味しい食事を召し上がっていただこうと、1000食分の食材とともに被災地に赴いた野﨑さんの元に現れたのは、「保健所」の役人である。

その時役人が野﨑さんに放った言葉が「1000食も作って食中毒が出ては困るので、止めるように」である。

呆れて天を仰いでしまう。

野﨑さんは「責任は持ちます。何かあれば逮捕されても構わない」と予定通り千食を料理して、無事、温かい料理を避難者の方々に召し上がっていただいたという。

さらにこの時、被災者の方から「大量のメロンパン」を渡されたというのである。

被災者いわく「食料として渡されたメロンパンが大量にある。しかし、毎食冷たいメロンパンを食べ続けられない。余ってしようがないので持って帰ってください」

メロンパンに罪はない。

とりあえず、食中毒も出ず食べるものがあれば良いだろうと、毎度毎度、冷たいメロンパンを食べさせられる人の思いを想像することもできず、思いも至らずに用意した「輩」の罪である。

保健所の規定では、検査も認可もしていない場所で、1000食もの料理が作られることを認める事はできないのであろう。

しかし、そもそも保健所は、住民の健康を守り維持することが第一義の役所である。

そのため衛生にこだわるのはわかるが、災害非常時のいま何が優先され、住民に何が必要であるかに思いが至らず、そこに智慧を出せないとすれば、公僕として「万死に値する」と思うのだが如何だろうか。

時に人にとって、衛生よりも精神衛生の方が重要なことがある。

東北にお住いの着付けの先生は、「東北大震災」の際、津波の濁流で多くの着物がダメージを受け、また、とても着物を着いる場合ではない状況が続き、ようやく着物を着たのは、地震から半年以上が経った時であるが、「この時初めて〝震災〟から抜け出し、また日常を取り戻すことができたという思いがして、本当に嬉しかった」と仰った。

災害時には、もちろんライフラインの復旧が最優先であるが、人それぞれが思う日常、そこに戻ることを目標とする思い、戻ろうとする意志が持てることが、とても大切なことである。

こと精神衛生面からは、毎日メロンパンだけを食べて人はとても生きていけない。

日本は、遠く昔より災害を被ってきた国である。

近代では「関東大震災」「神戸大震災」「東北大震災」をはじめ、ここ最近でも、地震、大型台風、豪雨などの災害に毎年みまわれている。

政府としても、年毎に情報が蓄積され、対策はより高度に密になっているはずであろうが、今回の台風15号の千葉県の状況などを見る限り、その成果を具体的にみることができない。

イタリア_生活大国はボランティア大国

では、災害時の他の国の事例はどうか。
日本と同じく火山国で地震災害が多い国イタリアでは、災害発生から2日後には必ず届くものが3つあるという。

その1/トイレ
被災後4時間以内に困るのは「トイレ」と云われているが、日本で避難所に仮設トイレが到着するのは、平均して4日後。2日後に届くイタリアのトイレは、仮設とはいえ広くて美しく洗面台や鏡もついている。また車椅子対応のスロープがついたものもある。

その2/ベッドとテント
まずはキャンプで使われるような簡易ベットが、数日後にはマットレスのベッドが運ばれる。また5分で組み立てられる8人用のテントも同時に届くため、被災者はプライバシーを確保できる。このテントは、体育館などの屋内に設営されるため断熱効果があり被災者の健康を守る。
かたや日本では、体育館の床で雑魚寝、良くてダンボールを床に、また仕切りとしてどうにか自分の場所を確保するのがやっとである。

その3/キッチン・カー
トイレやベッドなどと同時に届くのが、日本で見かける軽ワゴンではなく、長いトラック、トレーラーの「キッチン・カー」で、なんと1時間に1000食の温かい料理が出せるという。また登録しているプロのシェフも多く、災害時には、すぐさま駆けつける体制が整っている。数日後にはワイン付きのフルコースに近いものまで出すことが可能とのこと。
かたや、冷たいメロンパンである。

ここまで比較が悲惨であると、書いていて恥ずかしくなる。
日本は資金の使い方と方向性を見誤っているとしか云い様がない。

イタリアでこれらを実際に運営するのは民間ボランティア団体で、事前に訓練を受けたボランティアがこれに参加する。
イタリアでは、ボランティアに参加できるスキルを持っている人は、憧れの存在であるという。

ここでの国や公務員の役割は、まず、国がトイレやベッド、キッチン・カーをこれらの民間ボランティアに支給する。
被災地の公務員は日常業務を中心に行い、応援に駆けつけた他の地区の公務員や国の公務員が、被災者とボランティアなどとの調整する。

さらに国は法律で「トイレは48時間以内、マットレスのベッドは1週間以内の到着」を目標として定め、また「企業は、社員がボランティアに参加することを拒否してはならない」という法律を整備した。

国が国家予算で機材を準備し、ボランティア活動のための法制度をする。公務員は直接支援活動をするのではなく、通常業務と被災者と救援者の調整をする。そして実際に支援活動を運営するのは民間のボランティア団体という、これほど効率の良い連携システムはないだろう。智慧の結晶とも云える。

イタリアの総人口は、日本の約半分の約6000万人で就業率38%で労働者数2300万人、国民の5人に2人以下しか働いていない。

これに対し日本の就業率は50%で労働者数6300万人である。

両国のGDP/国民総生産は、ほぼ同等である。

イタリアは日本よりも少ない労働者で日本と同等の富を稼ぎ出していることになり、仕事をしている人の生産性は極めて高いのである。

なんだか、この生産性がそのまま災害時のシステムの差に出ているような気がする。

こと災害対策においては、イタリアが〝彼岸〟日本が〝此岸〟に思えて来る。

編緝子_秋山徹