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平成三十一年 春分

2019年3月21日

彼方と此方

行く人、来る人

花を散らすと

春分となったその日に、「桜の開花宣言」となった。

関東ではまだ一分から二分咲きではあるが、これから満開に咲き誇るまでを、日々愛でるのもまた楽しい。

この時期になると、日に何度も頭に浮かんでくる歌が二首ある。

どちらも西行法師の

「春風の 花を散らすと 見る夢は 醒めても胸の 騒ぐなりけり」
「願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」

の桜(花)を詠った、注釈の必要のない、あまりにも有名な和歌二つである。

鎌倉時代の歌僧である西行法師の歌は、平易で飾り気が無く素朴であるが、季節や恋の歌に心に滲みる作品が多い。

決して華美な言葉ではなく、率直に平俗な言葉で構成された西行法師の歌は、『新古今和歌集』では最多の94首が勅撰されている。

ジャンルにこだわらず、簡素に表現され、それが完成されている作品は、時代を超えて人の心に残り続けるものが多い。

しかし、それだけにそれを作り出すのは至難の技である。

そして、西行法師は、それを成し遂げた数少ないひとりである。

また、彼が願いを込めた歌の通り、桜が満開の旧暦二月十六日(新暦三月三十一日)に入寂したことも人の心に深く残った。

また図らずもその日が釈尊涅槃の日であったのも、彼の死をより印象付けた。

彼岸

春分の日は、秋分の日同様に「彼岸の中日」である。
中日の三日前が「彼岸の入り」で、三日後が「彼岸の明け」となる。

そもそも「彼岸」とは仏の境地に達した悟りの世界「彼方側/あちらがわ」であり、これに対し我々の棲む迷い多き世界は「此岸/しがん」は「此方側/こちらがわ」となる。

日本の寺院では彼岸の期間「彼岸会」が行われるが、本来、仏教にはこの行事自体はもともと無く、日本独特のもので、冬と春、夏と秋の季節の節目に日本人が行ってきた先祖供養と仏教が結びついたものらしい。

このように「彼岸」とは「あちら」であり、「此岸」は「こちら」という意味であるが、「彼岸」という言葉は、しばしば広義に「あちらとこちら」の境界線/境界域という意味で使われることもある。

例えば、ニーチェの著書の和名『善悪の彼岸』のように使われることもあり、この本の中の「箴言」の章の和訳で
「愛よりなされたことは、つねに善悪の彼岸に起こる」とも使われている。

この場合「愛」とはキリスト教が愛と定義する行為を示すとされ、「善悪の彼岸」とは、その善悪の境界線/境界域として使われている。

ひとつの物事を判断する側面が違えば、〝善と悪〟の〝あちらとこちら〟は、寄せては返す岸辺のように揺らぎその境界線は定まったものではないと解釈できる。

ニーチェは同様の言葉として
「或る時代が悪と感ずるところのものは、通常、かつて善と感ぜられたものの季節はずれの反響である———古き理想の隔世遺伝」とも記している。

『善悪の彼岸』の中にはこんな言葉もある。
「天才を持つ人間は、さらに少なくとも二つの天分を有しない限り堪えがたい者である、——感謝と純潔

先日、〝イチロー〟という〝天才〟がユニフォームを脱いだ。

頑固で偏屈だという評判もあるが、我々ファンの見る限り、イチローは野球に対し非常に純潔であり、真摯に取り組んでいるがために、そう映ってしまうだけのことを知っている。

取材する記者のお座なりだったり、勉強不足な質問に対して、答えることを拒否したり、時に完全に無視したり

することは、至極当たり前の行為に映る。

日本のマスコミに対して同じような評判を持つタイプにサッカーの〝中田英寿〟がいた。

アメリカの事情では知らないが、イタリアや欧州では、プロスポーツの取材記者は、例えばサッカーならサッカーのことをとにかく何年も勉強して少しづつスキルを上げ、狭き門をくぐり抜けてからやっと、サッカー専門の記者という立場を掴み取るのだが、日本の場合は、新聞社に就職してそれから各分野に配属されて、そこから専門の記者としてのスタートをきる。

故にイタリアや欧州の取材記者は、選手を取材する立場となった時点で初めから記者としてはプロなのであるが、日本ではそうでない場合が多い。

かつて中田がイタリアのセリエAでプレーしていた時、専門的な戦術に関する質問をするイタリア人の記者に比べて、あまりにも稚拙で幼稚な質問をする日本人記者に、対し、彼が心底呆れた顔をしたのを目撃したことがある。

選手も記者も互いにプロであろうと主張し、態度で示すことが偏屈ならば、それのどこが悪いのだろうかと思う。

イチローの場合も同じような理由で、ありがたくない評判を得ているように考えられる。

しかし、野球に対し頑なに純潔を貫いたその精神力があったこそ、イチローは絶対的パワー全開の当時のメジャーリーグにスピードとテクニックで魅せる野球を披露して見せて〝革命〟を起こすことができた。

メジャーリーグにおけるイチローの大きな功績は、築き上げた個人記録の数々はもちろんであるが、彼のプレーが当時のメジャーリーグ全体の悪しき流れを、野球本来のプレー主体の「あるべきベースボールの姿」に引き戻したことにある。

日本人メジャーリーガーの魁(さきがけ)となった〝野茂英雄〟も日本のマスコミ受けは良くなかった。

選手労組とオーナーとのストライキ騒動などで辟易としていた米国の野球ファンの前に現れた彼は、変則的なフォームから黙々と投げる姿でファンの心を掴んだ。

私は、〝野茂英雄〟のメジャー初登板、バリー・ボンズのいたサンフランシスコ・ジャイアンツ戦、〝イチロー〟の開幕戦、オークランド・アスレチックス戦は、生中継のテレビの前で正座をして観た。

それがどうした—と言われそうだが、そうさせるもの、雰囲気がこの二人にはあった。

また先日のイチローに引退試合には、いろいろな〝感謝〟に満ちていた。イチローと「日米野球ファン」「マリーナズ」「アスレチックスとその他メジャーリーガー」「メディア」の〈彼方側と此方側〉相互の〝感謝〟である。

そして昨シーズン、まさにイチローと入れ替わるかのように一人のプレーヤーがメジャーに登場した。

〝大谷翔平〟メジャーリーグの舞台で投手として160㎞以上の球を投げ、同時にどのメジャーリガーよりも打球を遠くに飛ばす打者の両方をやってのけるまさに規格外の革命的プレイヤー。

この世界で唯一無二の野球小僧〝大谷翔平〟が日本に日本人と生まれたことに、心底感謝している。こんなに幸せなことはない。

アインシュタインは、「死とは、モーツァルトを聴けなくなること」と言ったが、最近私は「死とは、大谷翔平の活躍を見られなくなること」と冗談ではなくそう思っている。

まこと彼方側で大谷翔平は観られないのである。

編緝子_秋山徹