令和元年 霜降
起きて半畳、寝て一畳
その櫛、誰のもの
霜降
晩秋の山里は味わい深い彩となるが、心の在りようによっては侘しき景色とも映ってしまう。
それは、やがて来る冬の朝霜を、清々しいまでの冷気の結晶とみるか、冷ややかな水の棘の塊が身に凍みると感じるの違いにもなるのだろう。
この時候の季語に「身に入(し)む」がある。
秋の気候の冷たさや、心の物寂しさを表現した季語であるが、次の「松尾芭蕉」と「与謝蕪村」の両句は、まさに「身に入む」
芭蕉の作は
〈野ざらしを 心に風の しむ身かな〉
山里の季節の移り目が、風とともに我が身体にも心にも染み渡るという風情を詠み、その秋の野晒しの風景が現れる。
かたや、蕪村の作
〈身にしむや 亡き妻の櫛を 閨(ねや)に踏む〉
亡き妻とともに寝ていた閨で、ふと、踏んでしまった妻の櫛
妻が居なくなってしまったことで一層深まった晩秋の寝屋の闇と、蕪村の心の寒々しさが伝わり、妻を失った侘しさ寂しさというものが、こちらにまで哀しき想いとして伝わってくる心に沁みる句である。
蕪村六十二才の時の作である。
蕪村の妻の「とも」は、文化十一(1814)年三月にこの世を去った。
だがしかし、蕪村が辞世の句〈しら梅に明(あく)る夜ばかりと なりにけり〉を遺し、六十八才で亡くなったのが天明三(1784)年一月とある。
蕪村は、妻「とも」よりも30年早くこの世を去っている。
計算が合わぬと、調べてみたら、どうも句にある〝亡き妻〟とは、本妻「とも」とは別の、むかし良い仲だった女性のことで、櫛はその女性の形見らしい。
この句は、ともに暮らす妻ではなく、以前の良き女の亡くなったのを知り、偲んで詠んだもの。
したがって、〈亡き妻の櫛を閨に踏む〉は、あたかも私小説のような創作である。
時代がそれを許すのか、蕪村の創作に対する執念か、はたまた妻の「とも」の度量の大きさが作らせたのか、わずか十七文字の中に、これだけの物語を忍ばせるとは、まこと俳人とは、業の深い不埒(ふらち)な人種である。
生涯とは「生に涯(かぎ)りあり」、この生を貪欲に周りの人間を巻き込みながら創作に捧げてしまう作家とは、禅にある「起きて半畳、寝て一畳、天下とっても二合半」の精神に、最も遠い存在なのか、はたまた最も近い存在であるのか、つい考えてしまう。
起きて半畳、寝て一畳、天下とっても2合半
この精神について、臨済宗建仁寺派/小堀泰巌(たいがん)管長が説く
「贅沢というものは煩悩、妄想であって、それを外すというのが私たちの大きな目標です。眠るのも最低限。寝る場所も畳一畳。修行道場の禅堂では、みなの生活するところは本当に畳一枚が自分の場所として与えられ、就寝も食事も座禅もそこで行います。
簡素に生きる。これがいちばんの贅沢だと思います。なかなかできないかもしれませんが、やってみると一番の贅沢だということがわかると思います。満足の上限をおさえれば、心穏やかでいられます。
寒い時に寒くなる。当り前のことです。でも、暖房を入れたら、少しでは満足できない。暑い時にも中途半端な涼しさでは満足できない。いっそのこと暑いときには暑い生活をしてしまえばいいんです。庭に水をうつ。それで涼が得られたんですからね。」〈以上建仁寺HPより〉
もちろん我々はこの境地には至れない。
厳しい修行の末、この境地にたどり着くのは、禅僧といえども一握りだろう。
しかし我々も「起きて半畳、寝て一畳、天下とっても二合半」という言葉を忘れずに自分を律することはできる。
どんな豪邸に暮らそうとも、起きているときに使う広さに、寝ているときに使うベッドの大きさにも限りがある。
どんなに位の高い貴人でも、金満家でも、1日に二合半以上の白いご飯は食べられない。
小堀管長の「簡素に生きる。これがいちばんの贅沢だと思います」「満足の上限をおさえれば、心穏やかでいられます」という言葉が重い。
我々にできることは「知足の戒/我、唯(ただ)足るを知る」を胸に刻むことである。
己の身の丈を知り、身の丈にあった生活をすること。
無いことを嘆くのではなく、いま有るということを「有り難い/有るということが本来難しいこと」と想うことで、小堀管長が説かれるように、心穏やかになれるのではなかろうか。
当然、私たちは禅僧のように、畳一枚までに簡素にはできない。
しかし、ひとつひとつの物を吟味して、必要最低限のものでミニマムに暮らすことは可能なはずである。
身の廻りの、ひとつひとつの物を吟味するのは楽しい。
民芸品なり、工芸品なりの来歴や職人の技を識り、手元に置くことは喜びである。
決して高価なものである必要はない。
衣食住、それなりに真っ当に作られたものを選ぶ、そのための知識を得ることは、決して大げさではなく、この国の文化を知ること、ひいては自分自身を知ることにつながる。
どんな人であろうとも、突然生まれ落ちた人間はいない。
誰かの子であり、孫であり、その後ろには連綿と続く祖先がいる。
多くの不必要なものを買い求めるのは、金満家に任せておけばよろしい。
物に溢れた現代社会だからこそ「知足の戒」は、重要なのだと想う。
物を追い求めても、それは止め処ない。
金銭を追い求めるのも、これまた止め処がない
私たちの「生には涯(かぎ)り」があり、何人(なんびと)も形ある財産をあの世まで持っていけはしないのだ。
あの世に持っていけるのは魂だけ、その魂がこの世にある時に、どれだけ美しいものに感動し、真っ当な精神を持っていたか、魂のありようだけが、その人の価値を決める。
生前、写真芸術家の汪蕪生はよく云っていた
「あの世に持っていくその人の魂が豊かになるための作品を、作りたい」
そういった意味では、汪蕪生の写真同様に、蕪村の俳句もまた美しいものとして私の胸に刻まれている。
とすると、蕪村の業の深さもまた、人々の豊かなる魂のためには必要なものなのか——
などと、秋の夜長に止めどなく、また纏まりもなく、つらつら想う貧しい親爺がひとり。